一級建築士事務所良質住宅研究所 工夫のある家づくりと、資金面も含めた課題を解決できる家づくりのお手伝いをさせていただいています。
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大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー1

大阪のことを昔は、江戸の八百八町に対して
八百八橋とか、東洋のベニスと呼んでいました。
今は、市内中にあった川が埋め立てられ
橋は 地名だけになってしまいました。
しかし最近、大阪市も水辺再開発とかを打ち出し
川べりの整備にのりだしています。
そこで私も、大阪の川と橋の紹介を思いつきました。
名づけて 大阪 八百八橋 大川(淀川)下り です。
大阪の母なる川 淀川 を、毛馬の閘門から大阪湾まで
下っていきたいと思います。
きっと 大阪らしい風情を お伝え出来ると思います。
そして 第1回は、毛馬閘門から初まります。

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              毛馬閘門
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毛馬閘門を抜けると大川最初の橋
毛馬橋が見えてきます。

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー2 毛馬橋から飛翔橋

枚方鍵屋浦をでて、三十石船に見たてたクルーズ船は
毛馬の閘門を抜けて大川に入ります。
江戸時代には、毛馬の閘門は出来ていませんでしたが、この付近で度々
洪水が起こるので、明治40年に、毛馬の閘門が造られたようです。
そして、大川に入って最初に潜る橋が 毛馬橋 です。この橋も
江戸時代にはなく、毛馬の渡しとして長柄と毛馬を結んでいました。
続いて潜る橋が 飛翔橋(ひしょう) という、人と自転車専用の橋です。
白いアーチ形にデザインされた新しい橋です。
このあたりの船の下る方向の右側が、毛馬桜ノ宮公園です。
また左側の川岸も並木道が整備されていますので、土曜日曜には
多くの人がランニングやサイクリングで、桜ノ宮公園辺りまで走っています。
このあたりは、さほどビルもなく、のんびり船は進んで
もうすぐ都島橋が近づいてきました。

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毛馬橋を潜ると
次に潜るアーチ形デザインの橋が飛翔橋です。

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飛翔橋は、長柄東の団地と善源寺町を結ぶ
人と自転車専用の橋です。

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー3 都島橋から環状線 桜ノ宮鉄橋

飛翔橋を過ぎて、川面の風を受けながら、船は ゆっくり進みます。
そうすると 都島橋 が見えてきました。
この橋は 結構 古く、大正11年(1922年)7月に開通した市電
梅田ー善源寺線(後に守口まで開通) の電車橋として、出来ています。
さらに 現在の橋は、昭和31年(1956年)3月に竣工しました。
そんな 歴史のある 都島橋 を潜ると、もう 環状線 桜ノ宮駅の鉄橋 です。
大川クルーズも、いよいよ 大阪のもっとも賑やかな
ゾーンに入っていきます。

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都島橋 と右手は 阪神高速道路守口線 です。
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環状線 桜ノ宮駅の鉄橋 を潜ります。

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー4 源八橋 から OAP を過ぎます。

大川下りで、環状線鉄橋を潜りますと、直ぐに 源八橋 に差掛かります。
この源八橋は、江戸時代からあった 源八渡 から取った名前で
昭和11年(1936年)に完成しています。
また この近くで生まれた 与謝蕪村 が 「源八を渡りて梅のあるじかな」 と
読んでいますように、源八渡しは、江戸時代から往来が
多いところだったようです。
さて 源八橋を過ぎますと、ひときは大きな OAP(大阪アメニティパーク) の
建物とOAP港が、右手に近づいて来ます。
さらに左手には、桜ノ宮公園が続き、前方に桜ノ宮橋の
銀色のアーチも見えて来ました。

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              源八橋
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     アメニティパーク(OAP)港

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー5 桜ノ宮橋(銀橋)

源八橋を越えて、帝国ホテル大阪(OAP)を右に見て、下ってきますと
正面に銀色のアーチ橋が見えてきます。ただ 以前は、一つのアーチで
あったものが、道路拡張で、二つのアーチになっている、桜ノ宮橋です。
戦前は、日本一のアーチ橋として知られた橋で、銀色の錆び止め
塗装の色から、銀橋と呼ばれて親しまれてきました。
この橋の辺りの河原に広がる桜ノ宮公園は、昔は、大阪市内小学生の
ラジオ体操の会場であったりしましたが、今は、造幣局の通り抜けとともに
桜の名所として、知られた場所です。
そして この桜ノ宮橋を越えると、大阪城天守閣も視界に入ってきます。

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大川から見た桜ノ宮橋(銀橋)
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二つのアーチになっている桜ノ宮橋(銀橋)

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー6 桜ノ宮橋 から 川崎橋 へ

さて、桜ノ宮橋(銀橋)を越えますと直ぐ右に、桜の通り抜けで名高い
造幣局 があります。
現在は、独立行政法人になりましたので、造幣博物館を
リニューアルしたりと、観光客誘致にも積極的なようです。
そして 大川に、優美な吊橋が見えて来ました。川崎橋 です。
この橋の名も、昔あった川崎の渡しから、ついたようです。
川崎橋を越えますと、左手側から寝屋川が合流し
天満橋は目の前です。

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桜ノ宮橋西詰の造幣局正門
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桜ノ宮公園から見た川崎橋

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー7 いよいよ天満橋です。

川崎橋を越えますと直ぐ目のまえに、2段になった天満橋が見えます。
そして左手には、京阪電車の鉄橋があり、その下を流れているのが
寝屋川です。
その寝屋川と分かれて行くところに見える建物が
日経新聞社とテレビ大阪です。
その奥には、橋下知事が一時 廃止を打ち出した
ドーンセンターのガラス張りの建物も見えます。
そして、OMM(大阪マーチャンダイズマート)ビルが川岸に続きます。
この建物は、大阪万博の前に出来た、当時 大阪で一番高い
22階建ての高層ビルでした。
もともと この敷地は、京阪電車の終着駅 天満橋駅でした。
それが、京阪が地下で淀屋橋まで延伸することになり
この駅の路地に、OMMビルを建てる事になったのです。

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大川上流から望む天満橋
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左手に見える大手前のビル街
日経新聞社・テレビ大阪と後ろに見えるドーンセンター

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー8 八軒家浜船着場

船が、天満橋を潜りますと、左手直ぐが 八軒家浜船着場 です。
江戸時代の三十石船・二十石船の最終寄港地になっていた船着場で
当時 八軒の宿場があったことから、この名前がついたと言われています。
ここで下船した旅人は、ここから熊野街道を、高野山や熊野詣に
さらに旅を続けたようです。
尚 この大川下りは、このまま堂島川・土佐堀川に船を進め
大阪湾をめざします。

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京阪シティーモール沿いに新しく復元された
八軒家浜船着場

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昔の八軒家浜船着場のあった場所に
建てられた船着場の石碑

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー9 天満橋から天神橋へ

天満橋を越えますと、次は 天神橋に向います。
天神橋の手前に、中之島の剣先と呼ばれている部分から
右が堂島川、左が土佐堀川に分れます。
そして、右側川岸に広がる南天満公園には、豊臣秀吉の大阪城築城の
頃に、天下の台所と言われた、大阪の三大市場の一つに数えられる
天満青物市場がありました。1635年、この地に移った天満青物市場は
1685年当時、54軒の店が並んでいたそうです。
(後の二つは、堂島川沿い堂島河岸にあった、堂島米市場と
木津川沿い雑候場の魚市場です。)
また 左側川岸は、奈良時代以前から、難波津と呼ばれた湊として
栄えていたと伝えられていた場所です。その時代の瀬戸内海から
当時の中国大陸に向けた玄関として、栄えていたそうです。
船は このあと、天神橋から堂島川と土佐堀川に向います。

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大川から天神橋 中之島剣先を望みます。
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南天満公園の中にある
天満青物市場跡の石碑です。

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー10 天神橋から難波橋へ

いよいよ 天神橋まで来ました。
そして ここで、川が中之島を挟んで、堂島川と土佐堀川に分かれます。

天神橋は、豊臣秀吉の時代に架けられたと、伝わっています。
その後、1888年にドイツ人技師の指導で、鋼製トラスの橋に
架け替えられ、さらに1934年、松屋町筋拡張にあわせて
現在の橋になりました。

さて 船は、堂島川を難波橋まで下ります。
船の左側に、中之島公園のバラ園が見えて来ました。
そしてもうすぐ 難波橋、別名 ライオン橋 です。

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天神橋から見た 中之島 阪神高速環状線
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1888年当時の鋼製トラスの橋の銘板

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー11 難波橋(なにわ)へ

堂島川を天神橋から下って行きますと、上には、阪神高速道路が走り
左手にバラ園が見えます。そして正面に、大正ロマンの面影を感じさせる
難波橋(なにわ橋 別名 ライオン橋)が近づいてきます。

江戸時代に架けられたと伝わる難波橋は、江戸時代には
天神橋 天満橋 とともに、浪花三大橋と呼ばれていました。
それでは 難波橋を、写真で ご紹介します。

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         側面から見た難波橋
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       難波橋南詰のライオン像

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー12 土佐堀川から難波橋へ

中之島剣先から土佐堀川に入って、難波橋へのルートも下ってみます。
尚 この中之島剣先部分には、大噴水も出来るそうですので
このあたりの風景も良くなりそうです。

土佐堀川へ入って直ぐ、天神橋を越えると左手に
茶色いモダンな建物が見えてきます。
この建物は、大阪を代表するゼネコン 大林組 の元本社ビルです。
1926年(大正15年)に建てられたモダン建築です。
さらに少し行きますと、土佐堀川が東横掘川に分かれる角にも
白い建物が見えます。こちらも、1930年(昭和5年)に建てられた
大阪高島屋を設計した久野節の手になるモダン建築です。

そして、左に分かれる東横堀川から西と、今 進む土佐堀川から南が
船場で、豊臣秀吉の時代から徳川の時代につくられた町割で
この町づくりで東西を通り、南北を 筋 と呼ぶようにしたそうです。
この当時の大阪は、大阪城に向かう 東西軸 通りが大きな道でした。

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土佐堀川沿いのモダン建築 元大林組ビル(現在は辻学園)
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東横掘川の角に建つモダン建築 福原ビル

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー13 難波橋とバラ園

難波橋(なにわ橋ーライオン橋)には、色々と見所が多いので
もう少し紹介します。

難波橋には、橋の中央に高欄と呼ばれる、塔のような欄干があります。
この高欄には、大阪市の市章 澪標(みおつくし)が刻まれています。
澪標は、その昔 大阪の海の中の浅瀬を避けた安全航行のための
目印とされたものです。
また橋中央には、難波橋の歴史を伝える石碑があります。
この難波橋から、東側の階段を降りたところのバラ園も
部分開園しています。

パリ セーヌ川のシテ島に似た、雰囲気も漂う中之島の難波橋界隈に
一度足を運んでみては如何でしょうか。
川面には、ハードムッシュならぬ、水上バスも航行しています。

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            難波橋の高欄
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            難波橋の石碑
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          中之島公園バラ園

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー14 鉾流橋と栴檀木橋

難波橋を過ぎますと、堂島川の次の橋は、鉾流橋です。
この橋の名前は、天神祭りの鉾流神事からきているようですが
この橋が出来たのは、そんなに古くはなく
1918年(大正7年)だそうです。
そして現在の橋は、1929年(昭和4年)に完成しました。

このあたりは、右手に高架の阪神高速道路が走ってますので
視界が遮られてますが、左手は、中之島の緑のなかに
東洋一と言われる、東洋陶磁美術館の建物や
中之島のシンボル、大阪市立中央公会堂も見えてきます。

そして 土佐堀川を下りますと、栴檀木橋が見えてきます。

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堂島川(大川)から鉾流橋を望みます。
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土佐堀川から栴檀木橋を望みます。

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー15 鉾流橋界隈

鉾流橋に着きました。
この橋の北詰 天満警察署の前には、天神祭りの鉾流神事が
代々行われている鳥居があります。
さらに 堂島川右手には、大阪高等裁判所の重厚な建物
左手には、ネオルネサンス建築の大阪市立中央公会堂が見えます。

この中央公会堂は、株の仲買人 岩本栄之助氏が
明治42年アメリカ視察から帰り、大阪にも市民が集う集会施設が
必要と100万円の寄付をして、設計コンペで建てられた建築です。
しかし 後に、この岩本栄之助氏は、株の暴落で財産を失い
自殺に至るという、悲しい話も伝えられています。

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鉾流橋から中央公会堂を望む
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天満宮 鉾流斎場鳥居

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー16 栴檀木橋 

土佐堀川に架かる栴檀木橋は、江戸時代初期、蔵屋敷のあった
中之島から船場に荷物を運ぶために、架けられたと伝えられています。
また 橋の名前の栴檀木は、その名前の通り、この橋の道筋に
栴檀の木が、あったからとも伝えられています。
尚 現在の橋は、1985年(昭和60年)に架け替えられたものです。

そして 栴檀木橋の正面にも、中央公会堂が
エレガントな姿を見せています。

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栴檀木橋から中之島公会堂を望む

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栴檀木橋の歴史を示す石碑と欄干

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー17 みおつくしプロムナード 春 夏 秋 

大川下りの一番の見どころは、中央公会堂と栴檀木橋北詰から
土佐堀川に沿って続く並木路があります。
これが みおつくしプロムナードで、御堂筋まで続いています。

春夏は、新緑が美しく、秋になれば紅葉が鮮やかなトンネルをつくり
冬になれば すっかり枯葉も落ちて、中之島に冬の到来をロマンチックに
知らせてくれます。

そんな四季の変化を感じさせてくれる
中之島公園で、季節を愛でてください。

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初夏の みおつくしプロムナード
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紅葉の みおつくしプロムナード

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー18 中之島公園から水晶橋へ

中之島公園 みおつくしプロムナード 下の土佐堀川沿いには
ひときわ目立つ、緑の賛歌彫像が立っています。
また 中央公会堂の隣には、大阪府立の中之島中央図書館の
ギリシャ神殿を思わせる、外観の建物が目を引いています。
尚 この中央図書館は、住友の十五代目 住友吉左衛門 の
寄付によって建てられました。

さて そろそろ、堂島川を次の橋 水晶橋 に向けて
船を進めたいと思います。

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          府立 中之島図書館
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        鉾流橋から見た水晶橋

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー19 水晶橋

大阪の橋の中で、一二と言われる美しい橋が 水晶橋 です。
元々は、堂島川の可動堰として、1929年(昭和4年)に造られました。
地盤沈下の影響もあって、水晶橋の下を通れなくなり
天神祭の船渡御のコースが、鉾流橋から東に替えられたりもしています。

それでは、美しい水晶橋をゆっくりご覧ください。

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               水晶橋
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             水晶橋欄干

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー20 大江橋へ

大川下りも いよいよ、大阪のメインストリート 御堂筋 に
架かる 大江橋 に着きます。
この橋は、江戸元禄時代には、既に架けられていた
五つの橋の一つで、大阪でも古い歴史のある橋です。

現在の橋は 淀屋橋とともに、パリ セーヌ川に架かる橋を参考に
1935年に完成しました。

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        堂島川に架かる大江橋
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             大江橋欄干

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー21 淀屋橋界隈

土佐堀川の方も、淀屋橋まで下りました。
橋の歴史は、大江橋と同じですが、こちらは 豪商 淀屋さんが
架けたと伝えられています。しかし 淀屋は、その後 お店の不祥事で
廃業に追込まれて、今に継承されていません。
そんな歴史も残る淀屋橋ですが、現在は、市役所や日銀大阪支店の
存在感もあって、大阪市の真中心の趣きです。

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土佐堀川から見た淀屋橋
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淀屋の跡と由来を示す石碑です。
淀屋橋南詰 土佐堀通り に少し入ったところにあります。

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー22 淀屋橋大江橋界隈

淀屋橋・大江橋 あたりは、いろんな角度から橋を見ますと
また違った風景が発見できます。
そこで、その発見した風景を ご覧頂いて
次回の 中之島ガーデンブリッジ まで下ります。

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淀屋橋北詰 陽だまりに遊ぶ
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大江橋南詰 中ノ島石碑

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー23 堂島浜を下る

江戸時代の大阪の中心 堂島沿い をゆったり船は下ります。

行くての左に見えてますのが、建替えられた 日本銀行大阪支店 の
重厚な建物です。そして右手の阪神高速道路環状線の向うに
大阪三菱ビルや屋上庭園のある 新ダイビル
さらにその隣に、全日空ホテルが見えます。

江戸時代は、現在の中之島ガーデンブリッジのあたりに
堂島米市場があり、その廻りに豪商や藩の米蔵が並んでいました。
ここでは、世界で初めての先物取引を、お米でしていました。

さて そんな話をしているうちに
船は、中之島ガーデンブリッジに到着します。

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堂島川側から見た
日本銀行大阪支店の建物です。

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堂島川の北岸側を走る
阪神高速道路と新ダイビルや全日空ホテル

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー24 中之島ガーデンブリッジ

大江橋の次の 中之島ガーデンブリッジ は、中之島に架かる橋のなかで
もっとも新しい橋です。
平成2年に、地震等の災害の時の堂島浜・中之島からの
避難路として架けられた人専用の橋です。
そのためか、橋の巾が広く公園のようになっています。

中央には 「そよかぜ」 と名のついたモニュメントもあり
そこから ハバロフスク・上海・シドニー 等の都市の方向が記されています。

この橋の北詰階段下に、堂島米市場跡の碑が立っていて
ここが天下の台所と言われた、大阪の中心であった場所です。
そして、お米の先物取引を世界で最初にした、歴史的な場所でもあります。

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   中之島ガーデンブリッジの橋上広場
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           堂島米市場跡碑

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー25 錦橋

淀屋橋から土佐堀川を下りますと、次は 錦橋 が見えてきます。
この橋は、水晶橋のアーチ橋と並ぶ、美しい橋ですが
こちらも昭和6年に可動堰として造られました。
橋の名前の由来は、橋をギャラリーのようにするために
錦絵を飾った事から、つけたと言われています。
そのため橋の上には、錦絵が飾られています。

また この橋に至るまでの、土佐堀川左岸側には
住友生命・住友商事・三井住友銀行 等の大阪発祥の財閥
住友のビルが並んでいます。

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錦橋と今はない大阪フェスティバルホール
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錦橋の橋の上の錦絵です。
バックの大阪フェスティバルホールは
この時もう、養生シートで覆われていました。


大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー26 渡辺橋

渡辺橋は、古代にまでさかのぼる、古い歴史があります。
しかし 現在のところに渡辺橋が出来たのは、江戸時代からです。
そして 現在の橋は、1966年に架けかえられたものです。

さらに この橋の名前は、古代 この地を治めていた
豪族 渡辺氏 からつけられたと言われています。

その渡辺橋の北詰には、サントリー本社 さらに堂島ホテル
南詰には、朝日新聞大阪本社、そして 解体工事に入っている
新朝日ビル フェスティバルホールがあります。
このあたりは、御堂筋側とは また違う
エンターテイメントな雰囲気が感じられる街です。

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               渡辺橋
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 渡辺橋上の堂島ロールを買う人の行列


大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー27 肥後橋 

渡辺橋から四ツ橋筋を南へ渡り、中之島を越えますと
土佐堀川に架かる肥後橋になります。その名の通り
肥後橋は、肥後橋北詰の中之島に、肥後熊本藩の
蔵屋敷があったことから、この名がつきました。
現在の橋は、昭和41年に架け替えられたものです。

肥後橋の南角には、大同生命のユニークなデザインの
建物が目立ちますが、元々は、東隣に建つ三井住友銀行の
ような、昭和モダンの建物でした。
このように、このあたりも随分、街の様相が変わってきました。

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土佐堀川に架かる肥後橋です。
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肥後橋の中央にある 肥後橋・渡辺橋の石碑です。

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー28 田蓑橋

大川(堂島川)渡辺橋を越えて、次の橋は、田蓑橋です。
はっきりした、橋名の由来が分かりませんでしたが
恐らく水田が広がっていた、のどかなところだったのでは
と想像しながら、船を進めて行きます。

川の左岸には、モダン建築でご紹介したダイビルも見えてきます。
右岸は、相変らずの高速道路の高架道路が、もう少し続いて
大阪の繁栄の時代を牽引した、糸へん企業の一つ
東洋紡の本社ビルも見えてきます。
もうすぐ、田蓑橋です。

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          田蓑橋とほたる街
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       田蓑橋 南詰近くのダイビル

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー29 蛸の松

田蓑橋の北詰西寄に、何故だか松ノ木が植えられています。
この松ノ木は、枝ぶりの姿が蛸が泳いでいる姿に似ていると
云う事で 「蛸の松」 と名付けられている松ノ木です。
江戸時代 このあたりは、広島藩の蔵屋敷のあったところで
福嶋正則が植えたもので、その当時から、見事な黒松という事で
名所になっていたようです。

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田蓑橋たもとの蛸の松です。
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蛸の松の説明板です。

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー30 土佐堀川 「大阪の宿」

肥後橋を過ぎた右手の中之島遊歩道に、水上龍太郎の小説
「大阪の宿」 の石碑があります。東京生まれの主人公 三田 が
土佐堀川沿いの、このあたりにあった旅館 「酔月」 で繰り広げる
物語です。

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水上龍太郎の小説 「大阪の宿」 石碑
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土佐堀川から筑前橋


大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー31 筑前橋界隈

土佐堀川に架かる筑前橋は、その名の通り
現在の福岡にあった、黒田藩の蔵屋敷につながる橋でした。
江戸時代の橋は、もう少し上流だったそうですが、その後
堂島川の田蓑橋と同じ通りになる、現在の位置に架け替えられました。
筑前橋北詰には、大阪市立科学館や、万博公園にあった
国立国際美術館も こちらに出来て、中之島の新しい
カルチャーな場所として、賑わうようになっています。

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筑前橋と市立科学館
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国立国際美術館 
写真のモニュメントは、うさぎをイメージしているそうです。

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー32 玉江橋へ

堂島川に戻って、田蓑橋の次の橋は、玉江橋です。
玉江橋は、元禄初期には、堀江橋の名前だったものが
他に同じ名前の橋が出来たことから、元禄11年(1698年)
玉江橋に改名されています。

この玉江という名は、堀江で、美しい玉が見つかり
その玉の見つかった辺りを、玉江と呼んだのが由来で
その玉が、堀川戎のご神霊となったことから、縁起が良いという事で
それにあやかり橋の名に、玉江という名をつけたと伝えられています。
尚 現在の橋は、1929年(昭和4年)に架け替えられています。

さて 船は、阪大病院跡に開発された 「ほたる街」 を右手に見ていると
まもなく 玉江橋です。

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田蓑橋から玉江橋を望みます。
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玉江橋 南詰から、ほたる街側を望みます。

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー33 玉江橋界隈

玉江橋の北詰東側に出来た 「ほたる街」 のおかげで
この界隈も賑わいが出てきました。この 「ほたる街」 のあたりは
元は 中津藩があったところで、その中津藩屋敷で 福沢諭吉 が
生まれています。その事を表す、福沢諭吉生誕の地の石碑が
堂島川北岸の遊歩道沿いにあります。

また 福沢諭吉生誕の地の縁もあって、慶応義塾大学も
ほたる街に進出して来ています。
さらに 玉江橋を渡る なにわ筋 に、JR・南海の なにわ筋線 という
鉄道が、橋下知事の強いアピールで、実現に向けて動き出したようです。

このように 玉江橋界隈も、これから大きく変貌しそうな雰囲気です。

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中之島駅から見た ほたる街
(手前のビルは ABC朝日放送)

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ほたる街 堂島川北岸にある
福沢諭吉 生誕の地の石碑

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー34 常安橋

玉江橋から なにわ筋を南下した、土佐堀川に架かる橋が
常安橋 です。淀屋橋で知られる材木商 淀屋常安 が
このあたりの中之島開発にも大きく関わっていたので
その名前から、常安橋と名づけられたと伝えられています。

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        筑前橋から常安橋を望む
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             常安橋欄干

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー35 越中橋

土佐堀川で、常安橋の次の橋が 越中橋 です。
越中橋は、土佐堀川の中で最も古い、1657年(明暦3年)には
すでに存在していたようです。
現在の橋は、土佐堀川と住友病院を結ぶ人専用橋で
昭和39年(1964年)に かさ上げ改良されて、現在に至っています。

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常安橋から見た越中橋
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越中橋の橋の上から
リーガロイヤルホテルと住友病院を望む

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー36 堂島大橋

堂島川では、玉江橋の次は 堂島大橋 です。
この橋は、中之島に架かる橋としては
桜ノ宮橋(銀橋)と ともに、アーチ橋です。
現在の橋は、1927年(昭和2年)に架けられていますが
最初の橋は、1883年(明治16年)に架けられた木造の橋です。
尚 昔は、堂島川の北側に、曽根崎川(蜆川)が流れており
そこに堂島小橋が架かっていたので、堂島大橋となったようです。

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上流側から見た堂島大橋
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堂島大橋から大阪国際会議場を望む

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー37 土佐堀橋

土佐堀川は、越中橋の次は、土佐堀橋です。
この橋が 初めて架けられたのは、大正10年(1921年)と
比較的 新しく、その後 現在の橋は、昭和44年(1969年)に
改築されています。

このあたりは、昔 土佐堀浜と呼ばれた、船着場だったようで
このあたりでは、土佐座がひらかれ、土佐の物産の商いが
行われていました。
それで、土佐の名前がつけられたようです。

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      越中橋から土佐堀橋を望む
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        土佐堀橋とあみだ池筋

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー38 上船津橋

大川下りの堂島川に架かる橋は、ここで紹介する
上船津橋を残して、あと一つのところまできました。
その上船津橋は、昭和11年(1936年)に架けられた
中之島では、比較的新しい橋です。
昭和56年(1981年)に、阪神高速道路工事の時に
架け替えられて、今日に至っています。
このあたりは、中央市場に近いこともあり
食品加工の会社の多いところです。

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上船津橋から見た中之島センタービルです。
このビルが出来た当時、大阪で30階を越える
超高層ビルは、このビルと、北浜の大林本社ビル
堺筋本町の大阪国際ビルと、大淀のホテルプラザの
4つの建物しかありませんでした。

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上船津橋欄干です。


大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー39 湊橋

中之島の西端から、一つ手前の土佐堀川に架かる湊橋は
昭和57年に架けられた、中之島に架かる橋としては
上船津橋の架け替えより、さらに1年遅れで出来た
新しい橋です。

そして 上船津橋と同じで、上に阪神高速道路が通り
湊橋から、中之島最後の端建蔵橋に掛けて
中之島西ランプになっています。

さらに この橋から
川は左手 木津川と、右手 安治川に分かれます。

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     下流側 昭和橋から見た湊橋
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              湊橋欄干

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー40 船津橋

船津橋は、堂島川に架かる 中之島に渡る最後の橋です。
現在の橋は、1963年(昭和38年)に建造されました。
この橋の北詰には、新しい大阪中央市場が広がっています。

また この橋を越えたところで、堂島川と土佐堀川が
再び合流します。
そして 大川下りは、いよいよ安治川に入ります。

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             船津橋欄干
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    北詰の近くの大阪中央卸売市場


大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー41 端建蔵橋と昭和橋

土佐堀川と堂島川が合流して、安治川に変わるところに
架かっている、中之島に架かる橋の最後が 端建蔵橋 です。
名前の由来は、中之島の西橋にも蔵が建っていた事から
ついた名前と言われています。

そして 土佐堀川が、木津川に変わるところに架かるのが
昭和橋 です。端建蔵橋は 明治42年に、市電開通に
あわせて架けられています。
また 昭和橋も、昭和7年(1923年)の市電路線の
開通にあわせて、架け換えられました。

このあたりの 船津橋 端建蔵橋 昭和橋 は
宮本輝の小説 「泥の河」 にも登場します。
そんな小説にも描かれた、雰囲気の残る中之島西端界隈です。

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端建蔵橋 安治川側から
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昭和橋 東側


大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー42 安治川へ

船津橋を越えて、安治川に入りますと、次の橋は
阪神なんば線の鉄橋と、環状線の鉄橋の鉄道橋を除くと
国道43号線の安治川大橋まで、橋はありません。
途中に、橋の変わりの 安治川隧道(トンネル) があるだけです。

その訳は、昔の大阪の港は、川口にありましたので
川口までは、大きな船が入港していた為です。
さて その安治川ですが、右手には、新しく建替えられた
中央市場、左手は、川口居留地のあった、川口の街です。

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船津橋北詰 中央卸売市場前公園から
安治川を望む

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船津橋から中央卸売市場を望む

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー43 安治川隧道へ

安治川右手の、中央卸売市場を過ぎて、しばらく下りますと
安治川を地下トンネルで潜る、安治川隧道があります。
両岸の出入口の建物が、少し見える程度ですので
見過ごしてしまうかもしれません。

さらに進むと、この春 開通した 阪神なんば線 の鉄橋が
見えてきます。そして 阪神なんば線に続いて、JR環状線の
鉄橋も見えてきます。JR環状線を潜るのは、この大川下りの
桜ノ宮鉄橋に続いて、2度目です。
そして、国道43号線 安治川大橋が見えてきました。
この橋を過ぎると、安治川の河口が大きく広がり
もう海が近いことを感じさせます。

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安治川隧道 南側入口
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阪神なんば線 鉄橋


大阪八百八橋 大川(淀川)下りー44 USJから天保山大橋へ

大川下りも、いよいよ ラストが近づいてきました。
安治川も、随分 河巾が広くなって、もう直ぐ海です。

船の右手には、ユニバーサルスタジオのホテル群が
大きくなってきました。
そして正面には、天保山大橋の優美な曲線が追っています。
さらに、この天保山大橋を潜りますと、大阪湾です。

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ユニバーサルスタジオのオフィシャルホテル
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天保山JCTと港大橋

大阪八百八橋 大川(淀川)下りー45 大川下り 最終回

毛馬閘門からスタートしました 大川下り も、いよいよゴールの
停泊地 天保山埠頭 が近づいてきました。天保山大橋の向うに
ちょうど、豪華客船 飛鳥Ⅱ が停泊しています。

ここの風景は、ロンドンから来た観光客が
ユニバーサルサポートと天保山埠頭を結ぶ連絡船の中で
テムズ河の雰囲気に良く似ていると言っていました。
差し詰め、天保山大観覧車が、ロンドン・アイと
いうところでしょうか。

さらに、天保山を越えれば、そこは 大阪湾です。
しかし その大阪湾に、新たな人工の島 舞洲と夢洲 が出来ています。
そして、その舞洲と此花を結ぶ此花大橋、舞洲と夢洲を結ぶ
夢舞大橋が、既に架かっています。
大阪の橋の歴史は、さらに大阪湾に伸びているようです。

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大観覧車と海遊館と豪華客船
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港大橋と夢舞大橋

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー1 湊町出港

前回の大川下りに続いて、大阪八百八橋シリーズ第2段として
大阪城と道頓堀を結ぶクルーズ船 水都号 アクアminil に乗って
道頓堀から 東横堀川 大川 寝屋川 と
大阪の川と町と橋を巡りました。

その第1回は、出発地 湊町リバープレイス(湊町港)と
その周辺をご紹介します。
湊町リバープレイスは、旧国鉄湊町駅跡地に
2002年 オープンしました。ここは、大阪の再生プロジェクト
「ルネッサ なんば」のウォーターフロント開発の一貫として
行われたものです。
そのお陰で湊町界隈も、すっかり観光スポットに生れ変りました。

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          湊町リバープレイス
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         湊町港とキャナル堀江

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー2 深里橋・大黒橋

湊町港を出港したクルーズ船が、道頓堀川を進みます。
そして、最初に潜る橋が 深里橋 です。
この橋の上には、四ツ橋筋が走っています。

その次に潜る橋が 大黒橋 です。
この橋は 浪速区にある、大黒神社への参詣道に架かる橋です。
さらに 道頓堀川に架かる橋は、続きます。

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               深里橋
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               大黒橋

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー3 新戎橋・道頓堀橋

道頓堀クルーズ船は、大黒橋を越えると直ぐ、新戎橋を潜ります。
その次には、御堂筋に架かる 巾約45mの道頓堀橋の長い橋の下を
潜ることになります。只今 この橋は、橋の改修工事中ですので
鉄骨の橋脚の間を進む事になります。

そして、この道頓堀橋を潜りきりますと、いよいよ 道頓堀の中心地
戎橋に進んで来ます。

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               新戎橋
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              道頓堀橋

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー4 戎橋界隈

道頓堀クルーズ船は、戎橋まで進んで来ました。
右手には、大阪繁華街のシンボルとして、世界中に紹介されている
グリコの看板が迫って来ます。

戎橋は、阪神タイガースや近鉄バッファローズ
サッカーワールドカップの時に、ファンが飛び込んで
死亡事故がおきるなどしたため、飛び込みの出来ないように
することと、イメージアップを計るため、新しく架け替えられ
2007年11月に完成しました。

戎橋の名前は、今宮戎神社にお参りする参道であったことから
この名前になったと伝えられ、最初の橋は、道頓堀が安井道頓に
よって造られた1615年に架けられました。
しかし現在は、別名「ひっかけ橋」とか「なんぱ橋」と
ありがたくない名前でも呼ばれています。

休日には、35万人が通行する戎橋をくぐると、新しく整備された
とんぼりリバーウォークが両岸に続きます。まさにミナミの中心です。

クルーズ船は、ゆっくり道頓堀を航行します。


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               戎橋
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          江崎グリコの看板

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー5 とんぼり リバーウォーク

戎橋を潜りますと両岸に、河岸が遊歩道になった
とんぼり リバーウォーク が広がります。

いかにも大阪らしい風景です。このリバーウォークの中ほどに
湊町の次の船着場 太左衛門橋船着場 があり、ここで降りることも
出来ますが、船は まだまだ、道頓堀川を進みます。

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戎橋から見た とんぼり リバーウォーク 夜景
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ドンキホーテ えびすタワー と 太左衛門橋船着場

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー6 太左衛門橋

クルーズ船は、ドンキホーテの ど派手な楕円形観覧車 えびすタワー 前の
太左衛門橋 船着場をすぎると、太左衛門橋を潜り
次は 相合橋 です。

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道頓堀をめぐるクルージング船
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相合橋から太左衛門橋
道頓堀を望みます。

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー7 相合橋

相合橋は、1680年頃に架けられた橋で
この時代、南には芝居小屋が立ち並び
北側には、お茶屋街 宗右衛門町 や遊郭がありました。
ただ 当時、この界隈の人々からは、橋を渡ると男女の縁が切れる と
言われ、縁切り橋 と呼ばれて、橋を渡るのを嫌われたとも
伝えられています。そんな 艶っぽい橋です。

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道頓堀川から見た相合橋
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日本橋から見た道頓堀川

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー8 日本橋

クルーズ船は、相合橋を越えて、日本橋まで進んで来ました。
さて この日本橋は、同じ名前の橋が、東京にもありますが
どちらも 江戸幕府が造った公儀橋です。
東京が 1603年(慶長8年)、大阪が 1619年に架けられました。

ただ 呼び方は、何故か大阪が「にっぽんばし」
東京が「にほんばし」です。
大阪の日本橋のたもとには、安井道頓の大きな石碑も建っています。
そして、道頓堀通りも宗右衛門町も、この日本橋の架かる堺筋までです。

船は、この先の下大和橋に向います。
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日本橋欄干
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日本橋を潜ります。

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー9 下大和橋・上大和橋

道頓堀川も下大和橋を越えますと、直角に北へ曲がります。
この曲がるところまでが、道頓堀川で、曲がってからは
東横掘川になります。

元禄年間に道頓堀が閉鎖されるまでは、東横掘川が、この曲がるところが
行き止まりでした。そのため この場所は、堀止めとか、堀詰めと呼ばれて
船着場があったそうです。

そして、道頓堀が開削されて、架けられた橋が、下大和橋です。
架けられた当時 上大和橋は、まだ出来ていなかったので
当時は、大和橋と呼ばれていました。大和橋のいわれは
堺筋から東長堀まで細長いて、いた大和町に由来しています。

また 上大和橋付近は、道頓堀に関わる役者さんが
多く住んでいたところです。
今でも、大坂歌舞伎の船乗り込みは、上大和橋から東へ直ぐの
高津神社に参ったあと、上大和橋から道頓堀を下ります。

という事で、このあたりは、大阪の演芸文化に深い関わりのある界隈です。
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             下大和橋
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             上大和橋

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー10 瓦屋橋・東堀橋

次に潜る瓦屋橋は、この橋の東詰一帯に、瓦の窯や土取場があって
瓦の生産がおこなわれていた事から、この名前がついたようです。
橋ができたのは、元禄中期以降だと伝えられています。
その次にある橋は、東堀橋です。

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               瓦屋橋
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               東堀橋

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー11 九之助橋

九之助橋の由来は、はっきりしませんが、このあたりから西の
鰻谷通りにかけては、住友家の銅吹所があり
銅の精錬所等のある町だったようです。
瓦屋橋と九之助橋の間にある東堀橋は、その後にできた橋です。

また 九之助橋を渡って、東に行くと松屋町筋にでて
空堀通り商店街に続きます。
クルージング船は、次の末吉橋に進みます。

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              九之助橋