一級建築士事務所良質住宅研究所 工夫のある家づくりと、資金面も含めた課題を解決できる家づくりのお手伝いをさせていただいています。
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私の趣味を ご紹介します。

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   所長さん

プロフィール
名 前  齊藤 敏輝
性 別  男性
現住所 大阪府交野市
年 齢  61歳
誕生日 06月14日
血液型 O型
出身地 大阪府大阪市
趣 味  旅行, 読書
職 業  自営業
所 属  ㈱良質住宅研究所
自己紹介
私は、大阪市北区で設計事務所をしている所長です。街角建築家を自認しています。
事務所の仕事は、個人住宅の新築やリフォームの設計から業者選定、工事監理、ローン設定等
家づくりの全てです。ぱとらさんの家もさせて頂きました。
家づくりをするのにモットーとしているキーワードは「良質」「工夫」「風通し」「低コスト」です。
趣味は「海外旅行・国内旅行」「鉄道」「競馬」「風景画を描く事」です。
できれば一年に一回は、海外旅行に行きたいと思っています。
宜しくお願いします。

※上記の紹介文は、ミクシーで掲載されている所長のページの文章です。


私の趣味は
旅行すること、鉄道に乗ったり写真を撮ったりすること、風景画を描くこと
好きなものを集めること です。
仕事をOFFにできた時に、撮った色々な写真や、描いた風景画や
集めたものの写真を、ここで紹介します。
もし興味を持って頂けるなら、見てやってください。

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        私の描いた水彩画


掲載記事紹介

京都市の景観をウォッチ
ローカル私鉄の小さな旅
私のコレクション・QSLカード
水彩画・鉛筆画
国内の懐かしい鉄道
オールディーズ・戦後昭和の時代
建築巡りの旅日記
いろんな鉄道といろんな駅
私の懐かしいもの展覧会
所長のコラム


私も登録しています。
趣味人倶楽部

池田屋跡に居酒屋

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「池田屋事件」のあった 池田屋跡 は
今は、同じ名前の居酒屋になっています。
ご丁寧に、階段落ち を再現する 大階段 まであるそうです。

復興のシンボル 鉄人28号

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神戸 新長田の復興のシンボル
鉄人28号 を見に行ってきました。
さすがに大きくて迫力がありました。

サンライズ瀬戸号のソロ個室

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以前に東京に出張した時に、時間を有意義に使いたいため
大阪発0時34分~7時04分東京着 の サンライズ瀬戸号 を
利用しました。画像は、私の利用したソロ個室です。
プライベートが確保された個室ですので、朝までゆっくり休めました。

寺田屋騒動の寺田屋

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幕末の 寺田屋騒動 のあった、寺田屋 に行ってきました。
坂本龍馬ファンの人で、賑わっていました。
場所は、京阪電車 伏見桃山下車 徒歩約10分です。


浅草で見た人力車

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東京に用事で行った時に、浅草で見た人力車に
素敵な花嫁さんと、凛々しい花婿さんが乗っていました。
全く知らない二人ですが、お幸せになってほしいものです。

 

中央ヨーロッパ旅行記ー1

1月9日から16日まで、ベルリン・ドレスデン・マイセン・プラハ・ウィーン
プラチスラバ・ブタペスト と廻れる、中央ヨーロッパ旅行に行ってきました。
行くまでは、私の事務所も仕事の延期等もあり、迷いましたが
おもいきって行きました。
とっても寒いヨーロッパでしたが、それぞれの都市に残る史跡、街並
建築物 は素晴しかったので、旅行記として紹介したいと思います。

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       ドレスデンの大聖堂 夜景

中央ヨーロッパ旅行記ー2 ヘルシンキ到着

関西空港からフィンランドのヘルシンキに直行、約9時間のフライトから
ヨーロッパの旅は、始まった。
コースは、北京上空ーウランバートルーヘルシンキ。
途中 窓から、広大なシベリアの凍った大地が見えた。
何となく今回の旅行が、相当寒くなる様な予感がした。
(結果 それがピッタリあたってしまったが・・・)
そして、ヘルシンキに無事着陸。時差の関係で同じ日の15時15分。
ヘルシンキは、北緯60℃。北海道よりも はるか北
アンカレッジと ほぼ同じ位置という随分 北である。
窓からみた光景も当然のごとく、寒々とした景色が広がっていた。
ここで 2時間の乗り継ぎで、ベルリンへ向かう。

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    飛行機から見た ヘルシンキ近郊

中央ヨーロッパ旅行記ー3 ベルリンに入る

ヘルシンキの空港で、2時間の乗り継ぎを経て
待望のベルリンテーゲル空港に着き、直ぐホテルに直行して
長い一日が終わる。さすがに眠い。
次の日 1月10日 ツアーバスで、ベルリン市内観光にでる。
しかし 朝の気温は -7℃、前の晩は -17℃ だったとか。
ベルリン市内に雪が積もったのは 10年ぶりで、-17℃ の最低気温は
20年ぶりとの話。ビックリ えらい時に来たなぁ・・・
第一に、博物館島 と呼ばれる中州にある(大阪の中之島のような感じ)
ペルガモン博物館 を見学。現在のトルコのペルガモンから発掘された
ゼウスの祭壇 や、新バビロニアの イシュタール門 が
復元展示されている。インディージョーンズの映画を思い出した。
続いて、ブランデンブルク門 を見学。この門を境に、ベルリンが東西に
分断されていた。その戦争の時代を今に伝えている。
そして 東西分断の象徴、ベルリンの壁 や、ユダヤ人虐殺の碑
ホロコースト記念碑 など、ドイツ人が不戦を自分達自身に
誓っている様な史蹟を見る事が出来た。
そして、この街で最も近代建築が建ち並ぶ ポツダム広場 や
ベルリン一の繁華街 グーダム を見たあと、バスはベルリンを後にして
ドイツ自慢の高速道路 アウトバーン で、一路 ドレスデンに向った。

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ペルガモン博物館で復元されたゼウスの祭台
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ブランデンブルク門 
門を境に手前が旧東ドイツ、門の向うが旧西ドイツ

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イーストサイドギャラリーと呼ばれて
壁に絵や落書きがされているベルリンの壁
壁の向うが旧ベルリン


中央ヨーロッパ旅行記ー4 バロックの真珠 ドレスデン

ベルリンから有名なアウトバーンで、2時間半ぐらいで ドレスデン に着く。
「バロックの真珠」 とか 「エルベ川のフィレンツェ」 と紹介されていた
ドレスデン。自分の目で見て、その形容詞がオーバーでないことを
実感した。まさに、百聞は一見にしかず、である。特にライトアップされて
劇場広場から見える大聖堂や、ドレスデン城の素晴らしい光景は
一生忘れられない感動を覚えた。
また、ヨーロッパのテラスと呼ばれるところから、エルベ川を隔てて見える
ドレスデンの夜景も素晴らしかった。
しかし、これらの建造物のほとんどが、第2次世界大戦の空襲で
壊滅的被害を受けたものを再建・修復したという
現地のドイツ人女性のガイドさんから説明して頂いて
これも驚きであった。
そして、すっかり夜の帳に包まれたドレスデンを後にして
今夜の宿泊地、ケムニッツに向った。

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劇場広場から見たドレスデン城
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ドレスデンの街中にあったワインのお店
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城壁にマイセン焼きタイルで描かれた
「君主の行列」

中央ヨーロッパ旅行記ー5 中央ヨーロッパのスケッチ ブダペストとドナウ河

中央ヨーロッパ旅行のそれぞれの訪問地で、スケッチをしました。
その中から今回は、ブダペスト漁夫の砦から見た
ブダペストの街とドナウ河です。とっても寒い日でした。

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中央ヨーロッパ旅行記ー6 ケムニック から マイセン

ケムニックは、チェコとの国境を隔てる、エルツ山地の麗にあたるところの
街です。ここは泊まるだけでしたが、朝 ホテルの窓から朝日に雪が眩しく
教会の鐘楼も輝いていました。と云う事で、中央ヨーロッパでは珍しく
晴れた日になりました。
この日は、またバスに乗ってマイセンに向いました。マイセンもエルベ川の
畔に広がる美しい街でした。そして、言わずと知れた高級磁器マイセンの
発祥の地です。1710年頃から始まったという、マイセン磁器の
工房を見学しました。
各工程ごとに、観光客用に実演して見せてくれました。
この街がいかに、マイセン磁器を大切にしているか、伝わってきました。
そして この街には、エルベ川沿いに、アルブレヒト城があり
昔は、この城の中だけで、マイセン磁器を造っていたそうです。
また晴れた日の雪に映えたマイセンの街は、まるで童話の中に
出てくるような、カラフルで可愛い街でした。
そしてマイセンを後にして、いよいよドイツを離れ
チェコのプラハに向いました。

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       マイセンの工房での実演
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     エルベ川沿いのアルブレヒト城

中央ヨーロッパ旅行記ー7 チェコのプラハに着きました。

マイセンから約1時間半、チェコのプラハに入りました。プラハの街に入り
ますと、プラハ城がライトアップされて、素晴らしい姿を見せてくれました。
夕食は チェコのビアレストランで食事をして、チェコのビールを呑みました。
次の日、先ずは、プラハ城の聖ヴィート大聖堂を見学。
カレル4世が、1344年から着手して、現在の姿に完成したのが
1929年という、壮大な工事の末に出来たそうです。
その後、有名なカレル橋を渡って、旧市街広場に入りました。
そこで、ヤン・フス像や、旧市庁舎、ティーン教会、キンスキー宮殿
火薬塔 を見てまわりました。

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          聖ヴィート大聖堂
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              カレル橋
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             旧市街広場

中央ヨーロッパ旅行記ー8 プラハからウィーンへ

今回 私が、中央ヨーロッパ旅行に行こうと思っていた一つの理由は
宮本輝の 「ドナウの旅人」 を読んで、行ってみたいと思ったことが
大きかったんです。
そして、その小説 「ドナウの旅人」 のコースと同じ場所になるのが
ウィーン から ブダペスト です。そのウィーンでは、小説のヒロイン絹子が
訪ねる場所が、シェーンブルン宮殿 と オペラ座 でした。
その場所を 私も訪ねました。

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       シェーンブルン宮殿 外観
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          ウィーン オペラ座

中央ヨーロッパ旅行記ー9 ウィーンからブラチスラバ

ウィーンの街を後にして、スロバキアの首都 ブラチスラバ に向いました。
距離にして、わずか 65km程、大阪からなら、加古川か滋賀県草津市
ぐらいです。スロバキアもEUに加盟していますので、国境検問もなく
バスで、そのままブラチスラバに入りました。高速道路から見えた
ブラチスラバ城を見学しました。テーブルを ひっくりかえしたといわれる
この城の四隅の塔は、オスマントルコの侵略に備えるための
物見の塔だったそうです。ブラチスラバの街は、ナポレオンに侵略された
当時からの歴史を感じさせる街でした。

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           ブラチスラバ城
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          ブラチスラバの街

 

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー1

大阪のことを昔は、江戸の八百八町に対して
八百八橋とか、東洋のベニスと呼んでいました。
今は、市内中にあった川が埋め立てられ
橋は 地名だけになってしまいました。
しかし最近、大阪市も水辺再開発とかを打ち出し
川べりの整備にのりだしています。
そこで私も、大阪の川と橋の紹介を思いつきました。
名づけて 大阪 八百八橋 大川(淀川)下り です。
大阪の母なる川 淀川 を、毛馬の閘門から大阪湾まで
下っていきたいと思います。
きっと 大阪らしい風情を お伝え出来ると思います。
そして 第1回は、毛馬閘門から初まります。

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              毛馬閘門
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毛馬閘門を抜けると大川最初の橋
毛馬橋が見えてきます。

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー2 毛馬橋から飛翔橋

枚方鍵屋浦をでて、三十石船に見たてたクルーズ船は
毛馬の閘門を抜けて大川に入ります。
江戸時代には、毛馬の閘門は出来ていませんでしたが、この付近で度々
洪水が起こるので、明治40年に、毛馬の閘門が造られたようです。
そして、大川に入って最初に潜る橋が 毛馬橋 です。この橋も
江戸時代にはなく、毛馬の渡しとして長柄と毛馬を結んでいました。
続いて潜る橋が 飛翔橋(ひしょう) という、人と自転車専用の橋です。
白いアーチ形にデザインされた新しい橋です。
このあたりの船の下る方向の右側が、毛馬桜ノ宮公園です。
また左側の川岸も並木道が整備されていますので、土曜日曜には
多くの人がランニングやサイクリングで、桜ノ宮公園辺りまで走っています。
このあたりは、さほどビルもなく、のんびり船は進んで
もうすぐ都島橋が近づいてきました。

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毛馬橋を潜ると
次に潜るアーチ形デザインの橋が飛翔橋です。

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飛翔橋は、長柄東の団地と善源寺町を結ぶ
人と自転車専用の橋です。

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー3 都島橋から環状線 桜ノ宮鉄橋

飛翔橋を過ぎて、川面の風を受けながら、船は ゆっくり進みます。
そうすると 都島橋 が見えてきました。
この橋は 結構 古く、大正11年(1922年)7月に開通した市電
梅田ー善源寺線(後に守口まで開通) の電車橋として、出来ています。
さらに 現在の橋は、昭和31年(1956年)3月に竣工しました。
そんな 歴史のある 都島橋 を潜ると、もう 環状線 桜ノ宮駅の鉄橋 です。
大川クルーズも、いよいよ 大阪のもっとも賑やかな
ゾーンに入っていきます。

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都島橋 と右手は 阪神高速道路守口線 です。
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環状線 桜ノ宮駅の鉄橋 を潜ります。

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー4 源八橋 から OAP を過ぎます。

大川下りで、環状線鉄橋を潜りますと、直ぐに 源八橋 に差掛かります。
この源八橋は、江戸時代からあった 源八渡 から取った名前で
昭和11年(1936年)に完成しています。
また この近くで生まれた 与謝蕪村 が 「源八を渡りて梅のあるじかな」 と
読んでいますように、源八渡しは、江戸時代から往来が
多いところだったようです。
さて 源八橋を過ぎますと、ひときは大きな OAP(大阪アメニティパーク) の
建物とOAP港が、右手に近づいて来ます。
さらに左手には、桜ノ宮公園が続き、前方に桜ノ宮橋の
銀色のアーチも見えて来ました。

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              源八橋
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     アメニティパーク(OAP)港

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー5 桜ノ宮橋(銀橋)

源八橋を越えて、帝国ホテル大阪(OAP)を右に見て、下ってきますと
正面に銀色のアーチ橋が見えてきます。ただ 以前は、一つのアーチで
あったものが、道路拡張で、二つのアーチになっている、桜ノ宮橋です。
戦前は、日本一のアーチ橋として知られた橋で、銀色の錆び止め
塗装の色から、銀橋と呼ばれて親しまれてきました。
この橋の辺りの河原に広がる桜ノ宮公園は、昔は、大阪市内小学生の
ラジオ体操の会場であったりしましたが、今は、造幣局の通り抜けとともに
桜の名所として、知られた場所です。
そして この桜ノ宮橋を越えると、大阪城天守閣も視界に入ってきます。

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大川から見た桜ノ宮橋(銀橋)
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二つのアーチになっている桜ノ宮橋(銀橋)

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー6 桜ノ宮橋 から 川崎橋 へ

さて、桜ノ宮橋(銀橋)を越えますと直ぐ右に、桜の通り抜けで名高い
造幣局 があります。
現在は、独立行政法人になりましたので、造幣博物館を
リニューアルしたりと、観光客誘致にも積極的なようです。
そして 大川に、優美な吊橋が見えて来ました。川崎橋 です。
この橋の名も、昔あった川崎の渡しから、ついたようです。
川崎橋を越えますと、左手側から寝屋川が合流し
天満橋は目の前です。

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桜ノ宮橋西詰の造幣局正門
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桜ノ宮公園から見た川崎橋

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー7 いよいよ天満橋です。

川崎橋を越えますと直ぐ目のまえに、2段になった天満橋が見えます。
そして左手には、京阪電車の鉄橋があり、その下を流れているのが
寝屋川です。
その寝屋川と分かれて行くところに見える建物が
日経新聞社とテレビ大阪です。
その奥には、橋下知事が一時 廃止を打ち出した
ドーンセンターのガラス張りの建物も見えます。
そして、OMM(大阪マーチャンダイズマート)ビルが川岸に続きます。
この建物は、大阪万博の前に出来た、当時 大阪で一番高い
22階建ての高層ビルでした。
もともと この敷地は、京阪電車の終着駅 天満橋駅でした。
それが、京阪が地下で淀屋橋まで延伸することになり
この駅の路地に、OMMビルを建てる事になったのです。

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大川上流から望む天満橋
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左手に見える大手前のビル街
日経新聞社・テレビ大阪と後ろに見えるドーンセンター

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー8 八軒家浜船着場

船が、天満橋を潜りますと、左手直ぐが 八軒家浜船着場 です。
江戸時代の三十石船・二十石船の最終寄港地になっていた船着場で
当時 八軒の宿場があったことから、この名前がついたと言われています。
ここで下船した旅人は、ここから熊野街道を、高野山や熊野詣に
さらに旅を続けたようです。
尚 この大川下りは、このまま堂島川・土佐堀川に船を進め
大阪湾をめざします。

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京阪シティーモール沿いに新しく復元された
八軒家浜船着場

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昔の八軒家浜船着場のあった場所に
建てられた船着場の石碑

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー9 天満橋から天神橋へ

天満橋を越えますと、次は 天神橋に向います。
天神橋の手前に、中之島の剣先と呼ばれている部分から
右が堂島川、左が土佐堀川に分れます。
そして、右側川岸に広がる南天満公園には、豊臣秀吉の大阪城築城の
頃に、天下の台所と言われた、大阪の三大市場の一つに数えられる
天満青物市場がありました。1635年、この地に移った天満青物市場は
1685年当時、54軒の店が並んでいたそうです。
(後の二つは、堂島川沿い堂島河岸にあった、堂島米市場と
木津川沿い雑候場の魚市場です。)
また 左側川岸は、奈良時代以前から、難波津と呼ばれた湊として
栄えていたと伝えられていた場所です。その時代の瀬戸内海から
当時の中国大陸に向けた玄関として、栄えていたそうです。
船は このあと、天神橋から堂島川と土佐堀川に向います。

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大川から天神橋 中之島剣先を望みます。
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南天満公園の中にある
天満青物市場跡の石碑です。

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー10 天神橋から難波橋へ

いよいよ 天神橋まで来ました。
そして ここで、川が中之島を挟んで、堂島川と土佐堀川に分かれます。

天神橋は、豊臣秀吉の時代に架けられたと、伝わっています。
その後、1888年にドイツ人技師の指導で、鋼製トラスの橋に
架け替えられ、さらに1934年、松屋町筋拡張にあわせて
現在の橋になりました。

さて 船は、堂島川を難波橋まで下ります。
船の左側に、中之島公園のバラ園が見えて来ました。
そしてもうすぐ 難波橋、別名 ライオン橋 です。

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天神橋から見た 中之島 阪神高速環状線
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1888年当時の鋼製トラスの橋の銘板

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー11 難波橋(なにわ)へ

堂島川を天神橋から下って行きますと、上には、阪神高速道路が走り
左手にバラ園が見えます。そして正面に、大正ロマンの面影を感じさせる
難波橋(なにわ橋 別名 ライオン橋)が近づいてきます。

江戸時代に架けられたと伝わる難波橋は、江戸時代には
天神橋 天満橋 とともに、浪花三大橋と呼ばれていました。
それでは 難波橋を、写真で ご紹介します。

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         側面から見た難波橋
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       難波橋南詰のライオン像

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー12 土佐堀川から難波橋へ

中之島剣先から土佐堀川に入って、難波橋へのルートも下ってみます。
尚 この中之島剣先部分には、大噴水も出来るそうですので
このあたりの風景も良くなりそうです。

土佐堀川へ入って直ぐ、天神橋を越えると左手に
茶色いモダンな建物が見えてきます。
この建物は、大阪を代表するゼネコン 大林組 の元本社ビルです。
1926年(大正15年)に建てられたモダン建築です。
さらに少し行きますと、土佐堀川が東横掘川に分かれる角にも
白い建物が見えます。こちらも、1930年(昭和5年)に建てられた
大阪高島屋を設計した久野節の手になるモダン建築です。

そして、左に分かれる東横堀川から西と、今 進む土佐堀川から南が
船場で、豊臣秀吉の時代から徳川の時代につくられた町割で
この町づくりで東西を通り、南北を 筋 と呼ぶようにしたそうです。
この当時の大阪は、大阪城に向かう 東西軸 通りが大きな道でした。

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土佐堀川沿いのモダン建築 元大林組ビル(現在は辻学園)
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東横掘川の角に建つモダン建築 福原ビル

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー13 難波橋とバラ園

難波橋(なにわ橋ーライオン橋)には、色々と見所が多いので
もう少し紹介します。

難波橋には、橋の中央に高欄と呼ばれる、塔のような欄干があります。
この高欄には、大阪市の市章 澪標(みおつくし)が刻まれています。
澪標は、その昔 大阪の海の中の浅瀬を避けた安全航行のための
目印とされたものです。
また橋中央には、難波橋の歴史を伝える石碑があります。
この難波橋から、東側の階段を降りたところのバラ園も
部分開園しています。

パリ セーヌ川のシテ島に似た、雰囲気も漂う中之島の難波橋界隈に
一度足を運んでみては如何でしょうか。
川面には、ハードムッシュならぬ、水上バスも航行しています。

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            難波橋の高欄
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            難波橋の石碑
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          中之島公園バラ園

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー14 鉾流橋と栴檀木橋

難波橋を過ぎますと、堂島川の次の橋は、鉾流橋です。
この橋の名前は、天神祭りの鉾流神事からきているようですが
この橋が出来たのは、そんなに古くはなく
1918年(大正7年)だそうです。
そして現在の橋は、1929年(昭和4年)に完成しました。

このあたりは、右手に高架の阪神高速道路が走ってますので
視界が遮られてますが、左手は、中之島の緑のなかに
東洋一と言われる、東洋陶磁美術館の建物や
中之島のシンボル、大阪市立中央公会堂も見えてきます。

そして 土佐堀川を下りますと、栴檀木橋が見えてきます。

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堂島川(大川)から鉾流橋を望みます。
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土佐堀川から栴檀木橋を望みます。

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー15 鉾流橋界隈

鉾流橋に着きました。
この橋の北詰 天満警察署の前には、天神祭りの鉾流神事が
代々行われている鳥居があります。
さらに 堂島川右手には、大阪高等裁判所の重厚な建物
左手には、ネオルネサンス建築の大阪市立中央公会堂が見えます。

この中央公会堂は、株の仲買人 岩本栄之助氏が
明治42年アメリカ視察から帰り、大阪にも市民が集う集会施設が
必要と100万円の寄付をして、設計コンペで建てられた建築です。
しかし 後に、この岩本栄之助氏は、株の暴落で財産を失い
自殺に至るという、悲しい話も伝えられています。

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鉾流橋から中央公会堂を望む
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天満宮 鉾流斎場鳥居

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー16 栴檀木橋 

土佐堀川に架かる栴檀木橋は、江戸時代初期、蔵屋敷のあった
中之島から船場に荷物を運ぶために、架けられたと伝えられています。
また 橋の名前の栴檀木は、その名前の通り、この橋の道筋に
栴檀の木が、あったからとも伝えられています。
尚 現在の橋は、1985年(昭和60年)に架け替えられたものです。

そして 栴檀木橋の正面にも、中央公会堂が
エレガントな姿を見せています。

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栴檀木橋から中之島公会堂を望む

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栴檀木橋の歴史を示す石碑と欄干

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー17 みおつくしプロムナード 春 夏 秋 

大川下りの一番の見どころは、中央公会堂と栴檀木橋北詰から
土佐堀川に沿って続く並木路があります。
これが みおつくしプロムナードで、御堂筋まで続いています。

春夏は、新緑が美しく、秋になれば紅葉が鮮やかなトンネルをつくり
冬になれば すっかり枯葉も落ちて、中之島に冬の到来をロマンチックに
知らせてくれます。

そんな四季の変化を感じさせてくれる
中之島公園で、季節を愛でてください。

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初夏の みおつくしプロムナード
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紅葉の みおつくしプロムナード

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー18 中之島公園から水晶橋へ

中之島公園 みおつくしプロムナード 下の土佐堀川沿いには
ひときわ目立つ、緑の賛歌彫像が立っています。
また 中央公会堂の隣には、大阪府立の中之島中央図書館の
ギリシャ神殿を思わせる、外観の建物が目を引いています。
尚 この中央図書館は、住友の十五代目 住友吉左衛門 の
寄付によって建てられました。

さて そろそろ、堂島川を次の橋 水晶橋 に向けて
船を進めたいと思います。

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          府立 中之島図書館
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        鉾流橋から見た水晶橋

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー19 水晶橋

大阪の橋の中で、一二と言われる美しい橋が 水晶橋 です。
元々は、堂島川の可動堰として、1929年(昭和4年)に造られました。
地盤沈下の影響もあって、水晶橋の下を通れなくなり
天神祭の船渡御のコースが、鉾流橋から東に替えられたりもしています。

それでは、美しい水晶橋をゆっくりご覧ください。

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               水晶橋
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             水晶橋欄干

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー20 大江橋へ

大川下りも いよいよ、大阪のメインストリート 御堂筋 に
架かる 大江橋 に着きます。
この橋は、江戸元禄時代には、既に架けられていた
五つの橋の一つで、大阪でも古い歴史のある橋です。

現在の橋は 淀屋橋とともに、パリ セーヌ川に架かる橋を参考に
1935年に完成しました。

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        堂島川に架かる大江橋
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             大江橋欄干

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー21 淀屋橋界隈

土佐堀川の方も、淀屋橋まで下りました。
橋の歴史は、大江橋と同じですが、こちらは 豪商 淀屋さんが
架けたと伝えられています。しかし 淀屋は、その後 お店の不祥事で
廃業に追込まれて、今に継承されていません。
そんな歴史も残る淀屋橋ですが、現在は、市役所や日銀大阪支店の
存在感もあって、大阪市の真中心の趣きです。

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土佐堀川から見た淀屋橋
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淀屋の跡と由来を示す石碑です。
淀屋橋南詰 土佐堀通り に少し入ったところにあります。

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー22 淀屋橋大江橋界隈

淀屋橋・大江橋 あたりは、いろんな角度から橋を見ますと
また違った風景が発見できます。
そこで、その発見した風景を ご覧頂いて
次回の 中之島ガーデンブリッジ まで下ります。

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淀屋橋北詰 陽だまりに遊ぶ
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大江橋南詰 中ノ島石碑

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー23 堂島浜を下る

江戸時代の大阪の中心 堂島沿い をゆったり船は下ります。

行くての左に見えてますのが、建替えられた 日本銀行大阪支店 の
重厚な建物です。そして右手の阪神高速道路環状線の向うに
大阪三菱ビルや屋上庭園のある 新ダイビル
さらにその隣に、全日空ホテルが見えます。

江戸時代は、現在の中之島ガーデンブリッジのあたりに
堂島米市場があり、その廻りに豪商や藩の米蔵が並んでいました。
ここでは、世界で初めての先物取引を、お米でしていました。

さて そんな話をしているうちに
船は、中之島ガーデンブリッジに到着します。

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堂島川側から見た
日本銀行大阪支店の建物です。

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堂島川の北岸側を走る
阪神高速道路と新ダイビルや全日空ホテル

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー24 中之島ガーデンブリッジ

大江橋の次の 中之島ガーデンブリッジ は、中之島に架かる橋のなかで
もっとも新しい橋です。
平成2年に、地震等の災害の時の堂島浜・中之島からの
避難路として架けられた人専用の橋です。
そのためか、橋の巾が広く公園のようになっています。

中央には 「そよかぜ」 と名のついたモニュメントもあり
そこから ハバロフスク・上海・シドニー 等の都市の方向が記されています。

この橋の北詰階段下に、堂島米市場跡の碑が立っていて
ここが天下の台所と言われた、大阪の中心であった場所です。
そして、お米の先物取引を世界で最初にした、歴史的な場所でもあります。

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   中之島ガーデンブリッジの橋上広場
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           堂島米市場跡碑

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー25 錦橋

淀屋橋から土佐堀川を下りますと、次は 錦橋 が見えてきます。
この橋は、水晶橋のアーチ橋と並ぶ、美しい橋ですが
こちらも昭和6年に可動堰として造られました。
橋の名前の由来は、橋をギャラリーのようにするために
錦絵を飾った事から、つけたと言われています。
そのため橋の上には、錦絵が飾られています。

また この橋に至るまでの、土佐堀川左岸側には
住友生命・住友商事・三井住友銀行 等の大阪発祥の財閥
住友のビルが並んでいます。

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錦橋と今はない大阪フェスティバルホール
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錦橋の橋の上の錦絵です。
バックの大阪フェスティバルホールは
この時もう、養生シートで覆われていました。


大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー26 渡辺橋

渡辺橋は、古代にまでさかのぼる、古い歴史があります。
しかし 現在のところに渡辺橋が出来たのは、江戸時代からです。
そして 現在の橋は、1966年に架けかえられたものです。

さらに この橋の名前は、古代 この地を治めていた
豪族 渡辺氏 からつけられたと言われています。

その渡辺橋の北詰には、サントリー本社 さらに堂島ホテル
南詰には、朝日新聞大阪本社、そして 解体工事に入っている
新朝日ビル フェスティバルホールがあります。
このあたりは、御堂筋側とは また違う
エンターテイメントな雰囲気が感じられる街です。

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               渡辺橋
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 渡辺橋上の堂島ロールを買う人の行列


大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー27 肥後橋 

渡辺橋から四ツ橋筋を南へ渡り、中之島を越えますと
土佐堀川に架かる肥後橋になります。その名の通り
肥後橋は、肥後橋北詰の中之島に、肥後熊本藩の
蔵屋敷があったことから、この名がつきました。
現在の橋は、昭和41年に架け替えられたものです。

肥後橋の南角には、大同生命のユニークなデザインの
建物が目立ちますが、元々は、東隣に建つ三井住友銀行の
ような、昭和モダンの建物でした。
このように、このあたりも随分、街の様相が変わってきました。

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土佐堀川に架かる肥後橋です。
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肥後橋の中央にある 肥後橋・渡辺橋の石碑です。

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー28 田蓑橋

大川(堂島川)渡辺橋を越えて、次の橋は、田蓑橋です。
はっきりした、橋名の由来が分かりませんでしたが
恐らく水田が広がっていた、のどかなところだったのでは
と想像しながら、船を進めて行きます。

川の左岸には、モダン建築でご紹介したダイビルも見えてきます。
右岸は、相変らずの高速道路の高架道路が、もう少し続いて
大阪の繁栄の時代を牽引した、糸へん企業の一つ
東洋紡の本社ビルも見えてきます。
もうすぐ、田蓑橋です。

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          田蓑橋とほたる街
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       田蓑橋 南詰近くのダイビル

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー29 蛸の松

田蓑橋の北詰西寄に、何故だか松ノ木が植えられています。
この松ノ木は、枝ぶりの姿が蛸が泳いでいる姿に似ていると
云う事で 「蛸の松」 と名付けられている松ノ木です。
江戸時代 このあたりは、広島藩の蔵屋敷のあったところで
福嶋正則が植えたもので、その当時から、見事な黒松という事で
名所になっていたようです。

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田蓑橋たもとの蛸の松です。
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蛸の松の説明板です。

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー30 土佐堀川 「大阪の宿」

肥後橋を過ぎた右手の中之島遊歩道に、水上龍太郎の小説
「大阪の宿」 の石碑があります。東京生まれの主人公 三田 が
土佐堀川沿いの、このあたりにあった旅館 「酔月」 で繰り広げる
物語です。

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水上龍太郎の小説 「大阪の宿」 石碑
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土佐堀川から筑前橋


大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー31 筑前橋界隈

土佐堀川に架かる筑前橋は、その名の通り
現在の福岡にあった、黒田藩の蔵屋敷につながる橋でした。
江戸時代の橋は、もう少し上流だったそうですが、その後
堂島川の田蓑橋と同じ通りになる、現在の位置に架け替えられました。
筑前橋北詰には、大阪市立科学館や、万博公園にあった
国立国際美術館も こちらに出来て、中之島の新しい
カルチャーな場所として、賑わうようになっています。

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筑前橋と市立科学館
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国立国際美術館 
写真のモニュメントは、うさぎをイメージしているそうです。

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー32 玉江橋へ

堂島川に戻って、田蓑橋の次の橋は、玉江橋です。
玉江橋は、元禄初期には、堀江橋の名前だったものが
他に同じ名前の橋が出来たことから、元禄11年(1698年)
玉江橋に改名されています。

この玉江という名は、堀江で、美しい玉が見つかり
その玉の見つかった辺りを、玉江と呼んだのが由来で
その玉が、堀川戎のご神霊となったことから、縁起が良いという事で
それにあやかり橋の名に、玉江という名をつけたと伝えられています。
尚 現在の橋は、1929年(昭和4年)に架け替えられています。

さて 船は、阪大病院跡に開発された 「ほたる街」 を右手に見ていると
まもなく 玉江橋です。

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田蓑橋から玉江橋を望みます。
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玉江橋 南詰から、ほたる街側を望みます。

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー33 玉江橋界隈

玉江橋の北詰東側に出来た 「ほたる街」 のおかげで
この界隈も賑わいが出てきました。この 「ほたる街」 のあたりは
元は 中津藩があったところで、その中津藩屋敷で 福沢諭吉 が
生まれています。その事を表す、福沢諭吉生誕の地の石碑が
堂島川北岸の遊歩道沿いにあります。

また 福沢諭吉生誕の地の縁もあって、慶応義塾大学も
ほたる街に進出して来ています。
さらに 玉江橋を渡る なにわ筋 に、JR・南海の なにわ筋線 という
鉄道が、橋下知事の強いアピールで、実現に向けて動き出したようです。

このように 玉江橋界隈も、これから大きく変貌しそうな雰囲気です。

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中之島駅から見た ほたる街
(手前のビルは ABC朝日放送)

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ほたる街 堂島川北岸にある
福沢諭吉 生誕の地の石碑

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー34 常安橋

玉江橋から なにわ筋を南下した、土佐堀川に架かる橋が
常安橋 です。淀屋橋で知られる材木商 淀屋常安 が
このあたりの中之島開発にも大きく関わっていたので
その名前から、常安橋と名づけられたと伝えられています。

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        筑前橋から常安橋を望む
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             常安橋欄干

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー36 堂島大橋

堂島川では、玉江橋の次は 堂島大橋 です。
この橋は、中之島に架かる橋としては
桜ノ宮橋(銀橋)と ともに、アーチ橋です。
現在の橋は、1927年(昭和2年)に架けられていますが
最初の橋は、1883年(明治16年)に架けられた木造の橋です。
尚 昔は、堂島川の北側に、曽根崎川(蜆川)が流れており
そこに堂島小橋が架かっていたので、堂島大橋となったようです。

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上流側から見た堂島大橋
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堂島大橋から大阪国際会議場を望む

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー37 土佐堀橋

土佐堀川は、越中橋の次は、土佐堀橋です。
この橋が 初めて架けられたのは、大正10年(1921年)と
比較的 新しく、その後 現在の橋は、昭和44年(1969年)に
改築されています。

このあたりは、昔 土佐堀浜と呼ばれた、船着場だったようで
このあたりでは、土佐座がひらかれ、土佐の物産の商いが
行われていました。
それで、土佐の名前がつけられたようです。

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      越中橋から土佐堀橋を望む
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        土佐堀橋とあみだ池筋

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー38 上船津橋

大川下りの堂島川に架かる橋は、ここで紹介する
上船津橋を残して、あと一つのところまできました。
その上船津橋は、昭和11年(1936年)に架けられた
中之島では、比較的新しい橋です。
昭和56年(1981年)に、阪神高速道路工事の時に
架け替えられて、今日に至っています。
このあたりは、中央市場に近いこともあり
食品加工の会社の多いところです。

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上船津橋から見た中之島センタービルです。
このビルが出来た当時、大阪で30階を越える
超高層ビルは、このビルと、北浜の大林本社ビル
堺筋本町の大阪国際ビルと、大淀のホテルプラザの
4つの建物しかありませんでした。

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上船津橋欄干です。


大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー39 湊橋

中之島の西端から、一つ手前の土佐堀川に架かる湊橋は
昭和57年に架けられた、中之島に架かる橋としては
上船津橋の架け替えより、さらに1年遅れで出来た
新しい橋です。

そして 上船津橋と同じで、上に阪神高速道路が通り
湊橋から、中之島最後の端建蔵橋に掛けて
中之島西ランプになっています。

さらに この橋から
川は左手 木津川と、右手 安治川に分かれます。

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     下流側 昭和橋から見た湊橋
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              湊橋欄干

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー40 船津橋

船津橋は、堂島川に架かる 中之島に渡る最後の橋です。
現在の橋は、1963年(昭和38年)に建造されました。
この橋の北詰には、新しい大阪中央市場が広がっています。

また この橋を越えたところで、堂島川と土佐堀川が
再び合流します。
そして 大川下りは、いよいよ安治川に入ります。

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             船津橋欄干
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    北詰の近くの大阪中央卸売市場


大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー41 端建蔵橋と昭和橋

土佐堀川と堂島川が合流して、安治川に変わるところに
架かっている、中之島に架かる橋の最後が 端建蔵橋 です。
名前の由来は、中之島の西橋にも蔵が建っていた事から
ついた名前と言われています。

そして 土佐堀川が、木津川に変わるところに架かるのが
昭和橋 です。端建蔵橋は 明治42年に、市電開通に
あわせて架けられています。
また 昭和橋も、昭和7年(1923年)の市電路線の
開通にあわせて、架け換えられました。

このあたりの 船津橋 端建蔵橋 昭和橋 は
宮本輝の小説 「泥の河」 にも登場します。
そんな小説にも描かれた、雰囲気の残る中之島西端界隈です。

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端建蔵橋 安治川側から
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昭和橋 東側


大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー42 安治川へ

船津橋を越えて、安治川に入りますと、次の橋は
阪神なんば線の鉄橋と、環状線の鉄橋の鉄道橋を除くと
国道43号線の安治川大橋まで、橋はありません。
途中に、橋の変わりの 安治川隧道(トンネル) があるだけです。

その訳は、昔の大阪の港は、川口にありましたので
川口までは、大きな船が入港していた為です。
さて その安治川ですが、右手には、新しく建替えられた
中央市場、左手は、川口居留地のあった、川口の街です。

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船津橋北詰 中央卸売市場前公園から
安治川を望む

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船津橋から中央卸売市場を望む

大阪 八百八橋 大川(淀川)下りー43 安治川隧道へ

安治川右手の、中央卸売市場を過ぎて、しばらく下りますと
安治川を地下トンネルで潜る、安治川隧道があります。
両岸の出入口の建物が、少し見える程度ですので
見過ごしてしまうかもしれません。

さらに進むと、この春 開通した 阪神なんば線 の鉄橋が
見えてきます。そして 阪神なんば線に続いて、JR環状線の
鉄橋も見えてきます。JR環状線を潜るのは、この大川下りの
桜ノ宮鉄橋に続いて、2度目です。
そして、国道43号線 安治川大橋が見えてきました。
この橋を過ぎると、安治川の河口が大きく広がり
もう海が近いことを感じさせます。

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安治川隧道 南側入口
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阪神なんば線 鉄橋


大阪八百八橋 大川(淀川)下りー44 USJから天保山大橋へ

大川下りも、いよいよ ラストが近づいてきました。
安治川も、随分 河巾が広くなって、もう直ぐ海です。

船の右手には、ユニバーサルスタジオのホテル群が
大きくなってきました。
そして正面には、天保山大橋の優美な曲線が追っています。
さらに、この天保山大橋を潜りますと、大阪湾です。

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ユニバーサルスタジオのオフィシャルホテル
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天保山JCTと港大橋

大阪八百八橋 大川(淀川)下りー45 大川下り 最終回

毛馬閘門からスタートしました 大川下り も、いよいよゴールの
停泊地 天保山埠頭 が近づいてきました。天保山大橋の向うに
ちょうど、豪華客船 飛鳥Ⅱ が停泊しています。

ここの風景は、ロンドンから来た観光客が
ユニバーサルサポートと天保山埠頭を結ぶ連絡船の中で
テムズ河の雰囲気に良く似ていると言っていました。
差し詰め、天保山大観覧車が、ロンドン・アイと
いうところでしょうか。

さらに、天保山を越えれば、そこは 大阪湾です。
しかし その大阪湾に、新たな人工の島 舞洲と夢洲 が出来ています。
そして、その舞洲と此花を結ぶ此花大橋、舞洲と夢洲を結ぶ
夢舞大橋が、既に架かっています。
大阪の橋の歴史は、さらに大阪湾に伸びているようです。

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大観覧車と海遊館と豪華客船
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港大橋と夢舞大橋

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー1 湊町出港

前回の大川下りに続いて、大阪八百八橋シリーズ第2段として
大阪城と道頓堀を結ぶクルーズ船 水都号 アクアminil に乗って
道頓堀から 東横堀川 大川 寝屋川 と
大阪の川と町と橋を巡りました。

その第1回は、出発地 湊町リバープレイス(湊町港)と
その周辺をご紹介します。
湊町リバープレイスは、旧国鉄湊町駅跡地に
2002年 オープンしました。ここは、大阪の再生プロジェクト
「ルネッサ なんば」のウォーターフロント開発の一貫として
行われたものです。
そのお陰で湊町界隈も、すっかり観光スポットに生れ変りました。

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          湊町リバープレイス
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         湊町港とキャナル堀江

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー2 深里橋・大黒橋

湊町港を出港したクルーズ船が、道頓堀川を進みます。
そして、最初に潜る橋が 深里橋 です。
この橋の上には、四ツ橋筋が走っています。

その次に潜る橋が 大黒橋 です。
この橋は 浪速区にある、大黒神社への参詣道に架かる橋です。
さらに 道頓堀川に架かる橋は、続きます。

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               深里橋
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               大黒橋

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー3 新戎橋・道頓堀橋

道頓堀クルーズ船は、大黒橋を越えると直ぐ、新戎橋を潜ります。
その次には、御堂筋に架かる 巾約45mの道頓堀橋の長い橋の下を
潜ることになります。只今 この橋は、橋の改修工事中ですので
鉄骨の橋脚の間を進む事になります。

そして、この道頓堀橋を潜りきりますと、いよいよ 道頓堀の中心地
戎橋に進んで来ます。

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               新戎橋
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              道頓堀橋

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー4 戎橋界隈

道頓堀クルーズ船は、戎橋まで進んで来ました。
右手には、大阪繁華街のシンボルとして、世界中に紹介されている
グリコの看板が迫って来ます。

戎橋は、阪神タイガースや近鉄バッファローズ
サッカーワールドカップの時に、ファンが飛び込んで
死亡事故がおきるなどしたため、飛び込みの出来ないように
することと、イメージアップを計るため、新しく架け替えられ
2007年11月に完成しました。

戎橋の名前は、今宮戎神社にお参りする参道であったことから
この名前になったと伝えられ、最初の橋は、道頓堀が安井道頓に
よって造られた1615年に架けられました。
しかし現在は、別名「ひっかけ橋」とか「なんぱ橋」と
ありがたくない名前でも呼ばれています。

休日には、35万人が通行する戎橋をくぐると、新しく整備された
とんぼりリバーウォークが両岸に続きます。まさにミナミの中心です。

クルーズ船は、ゆっくり道頓堀を航行します。


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               戎橋
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          江崎グリコの看板

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー5 とんぼり リバーウォーク

戎橋を潜りますと両岸に、河岸が遊歩道になった
とんぼり リバーウォーク が広がります。

いかにも大阪らしい風景です。このリバーウォークの中ほどに
湊町の次の船着場 太左衛門橋船着場 があり、ここで降りることも
出来ますが、船は まだまだ、道頓堀川を進みます。

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戎橋から見た とんぼり リバーウォーク 夜景
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ドンキホーテ えびすタワー と 太左衛門橋船着場

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー6 太左衛門橋

クルーズ船は、ドンキホーテの ど派手な楕円形観覧車 えびすタワー 前の
太左衛門橋 船着場をすぎると、太左衛門橋を潜り
次は 相合橋 です。

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道頓堀をめぐるクルージング船
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相合橋から太左衛門橋
道頓堀を望みます。

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー7 相合橋

相合橋は、1680年頃に架けられた橋で
この時代、南には芝居小屋が立ち並び
北側には、お茶屋街 宗右衛門町 や遊郭がありました。
ただ 当時、この界隈の人々からは、橋を渡ると男女の縁が切れる と
言われ、縁切り橋 と呼ばれて、橋を渡るのを嫌われたとも
伝えられています。そんな 艶っぽい橋です。

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道頓堀川から見た相合橋
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日本橋から見た道頓堀川

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー8 日本橋

クルーズ船は、相合橋を越えて、日本橋まで進んで来ました。
さて この日本橋は、同じ名前の橋が、東京にもありますが
どちらも 江戸幕府が造った公儀橋です。
東京が 1603年(慶長8年)、大阪が 1619年に架けられました。

ただ 呼び方は、何故か大阪が「にっぽんばし」
東京が「にほんばし」です。
大阪の日本橋のたもとには、安井道頓の大きな石碑も建っています。
そして、道頓堀通りも宗右衛門町も、この日本橋の架かる堺筋までです。

船は、この先の下大和橋に向います。
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日本橋欄干
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日本橋を潜ります。

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー9 下大和橋・上大和橋

道頓堀川も下大和橋を越えますと、直角に北へ曲がります。
この曲がるところまでが、道頓堀川で、曲がってからは
東横掘川になります。

元禄年間に道頓堀が閉鎖されるまでは、東横掘川が、この曲がるところが
行き止まりでした。そのため この場所は、堀止めとか、堀詰めと呼ばれて
船着場があったそうです。

そして、道頓堀が開削されて、架けられた橋が、下大和橋です。
架けられた当時 上大和橋は、まだ出来ていなかったので
当時は、大和橋と呼ばれていました。大和橋のいわれは
堺筋から東長堀まで細長いて、いた大和町に由来しています。

また 上大和橋付近は、道頓堀に関わる役者さんが
多く住んでいたところです。
今でも、大坂歌舞伎の船乗り込みは、上大和橋から東へ直ぐの
高津神社に参ったあと、上大和橋から道頓堀を下ります。

という事で、このあたりは、大阪の演芸文化に深い関わりのある界隈です。
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             下大和橋
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             上大和橋

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー10 瓦屋橋・東堀橋

次に潜る瓦屋橋は、この橋の東詰一帯に、瓦の窯や土取場があって
瓦の生産がおこなわれていた事から、この名前がついたようです。
橋ができたのは、元禄中期以降だと伝えられています。
その次にある橋は、東堀橋です。

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               瓦屋橋
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               東堀橋

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー11 九之助橋

九之助橋の由来は、はっきりしませんが、このあたりから西の
鰻谷通りにかけては、住友家の銅吹所があり
銅の精錬所等のある町だったようです。
瓦屋橋と九之助橋の間にある東堀橋は、その後にできた橋です。

また 九之助橋を渡って、東に行くと松屋町筋にでて
空堀通り商店街に続きます。
クルージング船は、次の末吉橋に進みます。

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              九之助橋

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー12 末吉橋と安堂寺橋

クルージング船も、東横堀川を長堀通りに架かる末吉橋まで
やってきました。

昔は、末吉橋の南側に、東西に東横堀川から分かれて
心斎橋ににつながる、長堀川が流されていましたが、今は長堀通りになり
地下鉄線や地下街・地下駐車場に変わってしまいました。
この末吉橋の名前の由来は、この橋を架けた江戸時代初期の豪商
末吉孫左衛門からついたそうです。

さらに、次の安堂寺橋は、日本書記に書かれている
安曇寺から取られた名前との説です。
また、江戸時代には、暗峠(くらがりとうげ)に続く
奈良街道の道筋として、重要な橋であったようです。

この東横堀川に架かる、それぞれの橋には
古くから伝わる歴史が刻まれていて、大変興味深いです。

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東横堀川から見た末吉橋
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東横堀川から見た安堂寺橋

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー13 久宝寺橋

東横堀川の上には、ズッと阪神高速道路が被っていますので
まるで橋の下を進んでいるような、錯覚におちいりますが
次に、久宝寺橋が見えてきました。

久宝寺橋の名前の由来は、この橋の西側の船場にあった
お寺の名前からきているとか、八尾の久宝寺の人達が
道頓堀開削工事の人夫として、多くこのあたりに住んだとか
諸説伝わります。

そんな久宝寺橋を潜りますと、次は 農人橋です。
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東横堀川から見た久宝寺橋

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー14 農人橋

クルーズ船は ようやく現在、中央通りに架かる 農人橋 まで
やってきました。この橋は 当初は、農民が この橋を渡って
田畑に通った土橋だったようで、そこから農人橋とついたと
言われています。

その後、田畑であった船場が、商人の街として整備され
江戸幕府が、公儀橋として架け替えたようです。
現在の橋は、万国博覧会開催前に、築港深江線を拡幅して
東西の大動脈道路にする時に、それまでの橋を撤去して
造られました。

農人橋を越えますと、本町・平野・高麗橋へと続きます。
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クルージング船から見た農人橋
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農人橋の碑

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー15 本町橋

農人橋で中央大通りを越えますと、次は 本町橋 です。

この橋の架かる本町は、江戸時代 油問屋・木綿問屋や呉服屋等が並ぶ
大阪一の賑やかな街でした。そして本町通りは、大阪城大手前馬場町から
江戸時代の大阪の港 川口河岸港を結ぶ、東西のメインストリートでした。

明治時代初期には、その川口の手前 江之子島の本通りに面したところに
大阪府庁も建てられ、川口には、外国人居留地も出来て
大阪の街は、東西に発展していました。鉄道が発達するまでの間の
水運を中心とした、大阪の街の姿だったようです。

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東横堀川からの本町橋です。
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本町橋 欄干 橋名

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー16 大手橋

大手橋は、創建当時 豊臣秀吉が、五奉行の一人 増田長盛に
この橋の名前をつける様に命じたが、思案して決まらなかったので
思案橋となった と、伝えられています。
明治以降は、大阪城大手門に通じる橋であることから
現在の大手橋という名前になったようです。

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東横堀川から見た大手橋
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大手橋 欄干

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー17 平野橋

大手橋をすぎると次は 平野橋 です。
さて 平野橋ですが、架けられたのは、東横堀川が開削されて直ぐの
江戸時代と推測されています。この橋の上を通る平野通りは
江戸時代は、御霊神社(御堂筋西にある)に至る門前町として栄え
明治に入ると、現在の心斎橋のような賑わいを見せる
ハイカラな通りのようでした。

また歴史的には、大塩平八郎が船場の豪商を破壊後
この橋を渡って、内平野町で現大手前あたりにあった
東奉行所から出て来た役人と戦ったとも伝えられています。
そんな大阪になじみの歴史もある平野橋です。

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東横堀川から見た平野橋
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平野橋 欄干

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー18 東横堀川水門

東横堀川には、平野橋と高麗橋の間に、水門が設けられています。
目的は、東横堀川・道頓堀川河岸に対する防潮と、川の水質浄化です。
そして、大川から東横堀川に船が航行できるようにする為の
川の水位調整です。

2001年(平成13年)に、この水門が完成した事で
大川から東横堀川・道頓堀川への船の航行が可能になりました。

ミニ パナマ運河ともいうべき、東横堀川水門を通過します。
この水門を越えると、次は 高麗橋 です。

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船が中に入って水門が閉じていっている状態
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水門が開いている状態

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー19 高麗橋

水門の直ぐ次にあるのが
湊町リバープレイスから21番目の橋、高麗橋です。

高麗橋の名前の由来も、諸説あるようですが
豊臣秀吉が、大阪の町割をした当時、朝鮮との交易に関わる拠点が
このあたりにあったと云う事から、ついた名前のようです。

また この橋は、大阪と西日本を結ぶ、街道の起点になっていたことから
明治政府は ここに、里程元標をおいて、地方との距離計測を
ここから計ったようです。

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東横堀川から見た高麗橋
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高麗橋 欄干と石碑

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー20 今橋

高麗橋を過ぎるあたりから、左手に三越跡に建てられた
60階建の超高層マンション 北浜タワー が見えます。
そして直ぐに、今橋の下を潜ります。

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東横堀川から見上げると北浜タワーが見えます。
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今橋が見えてきました。

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー21 葭屋橋

東横堀川が大川に合流する手前に架かる橋が 葭屋橋 です。
この橋の名前は、当時このあたりに遊郭を開発した
葭屋庄七の名前から取ったようです。
現在の橋は 大正13年に造られ、昭和41年に改修されています。

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東横堀川から見た葭屋橋
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葭屋橋 欄干


大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー22 天神橋

湊町リバープレイスから、道頓堀川・東横堀川を通って
大阪城港に行くクルージン船は、東横堀川に分かれを告げて
土佐堀川に入りました。そして直ぐに迎える橋が、湊町から数えて
24番目の天神橋です。大川下りの時にも潜っていますが
その名の通り、天神さんの参詣道につながる、大阪を代表する橋です。

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土佐堀川から天神橋が見えてきました。
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天神橋の階段

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー23

天神橋を潜ると、中之島公園の東端、昔は剣先です。
ここには、大噴水が設置されてまして
コンピュータ制御で、放水が行なわれるようになり
中之島公園の新しい名物になっています。

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中之島 剣先の大噴水
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大噴水の放水

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー24

大川に入ったクルーズ船は、下流から上流へと、大川下りとは
反対に航行します。そして、直ぐ右手に見えるのが
現代版 八軒家浜です。京阪天満橋駅とつながっています。

さらに、2階建の天満橋を潜りますと
OMMビル(大阪マーチャントダイズビル)とOMM港が見えます。
このOMMビルは、京阪天満橋駅が、地上ターミナルから京阪電車の
淀屋橋延伸で地下駅になりました時に、その跡地に大阪万博にむけて
建てられた高層ビルです。当時の大阪で、一番高い建物でした。

さて クルージング船は、OMMを過ぎますと
右に曲がり、寝屋川に入ります。

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京阪天満橋駅ビルと八軒家浜
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OMMビルとOMM港

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー25

大川から寝屋川に入る前のところで、京阪電車の鉄橋を潜ると
直ぐに寝屋川橋、そして歩道専用の大坂橋
さらに京橋を潜って寝屋川に入ります。
ゴールの大阪城港まで、もう少しです。

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             寝屋川橋
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            大坂橋と京橋

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー26

クルーズ船は、寝屋川に入って、寝屋川橋を潜ると直ぐ
続いて大坂橋と京橋を潜ります。湊町港から橋を数えて
27番目と28番目の橋になります。そして 見えて来るのが
OBP 大阪ビジネスパークの超高層ビルです。

この川から見るOBPが、一番美しいと船のガイド兼船頭さんも
言ってましたが、まさに その通りと、私も思います。
しかし 64~65年前ここが、兵器工場のあった場所とは
もう知る人も少なくなった事と思います。

OBPで、川が右と左に分かれますが、左が寝屋川、右が平野川です。
さて いよいよ、クルージングで潜る橋も あと二つ
大阪城港ゴールも近づいてきました。
右手に、大阪城の石垣も見えてきました。

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寝屋川から見たOBPのビル街
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お城への物資搬入口

大阪八百八橋 大阪城道頓堀クルーズー27 最終回 大阪城港到着

湊町リバープレイス(湊町港)を出港したクルーズ船も
ようやく最終寄港地 大阪城港に近づいてきました。
その前に潜る29番目の橋が、新鴫野橋です。
こちらからも左手に、OBPの近代的なビル群が見えます。
そして右手には、大阪城外堀の石垣や、大阪城に船で入れるように
造った入口も見えます。そして正面の30番目の橋
大阪城新橋を潜ると、右手が大阪城港です。

このトピックで、一緒に乗船して頂いた皆さん、お疲れ様でした。
実際には、わずか50分の船旅ですが、大阪の町を川面から
眺めて巡る素敵な旅です。料金も1000円と手頃ですので
是非 本当に ご乗船下さい。

ありがとうございました。
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             新鴫野橋
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        大阪城新橋と大阪城港

大阪八百八橋 川のない橋 「高津原橋」

長堀通りを東へ、松屋町交差点を越えて直ぐのところに
陸橋のような橋が、道路の上に架かっています。
この橋は、高津原橋と言い、昔は この下を市電が走っていました。
長堀通りのところで、谷のように切れていた
上町台地の丘陸を渡るように架けられた、れっきとした橋です。
(大阪今昔物語の本でも掲載されています)
だいぶ変わってしまった大阪の地形が、残っている場所でもあります。

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長堀通りから見た高津原橋
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橋の上から見た松屋町筋交差点方向

 

大阪商店街巡り-1 日本一短い商店街

大阪には、前に紹介した、日本一長い 天神橋筋商店街 がありますが
その反対の日本一短い商店街もあります。それは 肥後橋商店街 といって
大阪市西区の地下鉄肥後橋駅近くにあります。
全長約80mぐらいの可愛い商店街です。でも商店街の人の心意気を
感じる垂れ幕もありました。頑張ってください。
そして、一度訪ねてみてください。何か、良いことあるかも知れませんよ。

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   肥後橋商店街にかけられた垂れ幕

大阪商店街巡り-2 ダイエー発祥の地 千林商店街

大阪市旭区の京阪千林駅から、地下鉄谷町線の千林大宮駅まで続く
千林商店街 は、ダイエー発祥の地として有名です。
1957年9月に、主婦の店ダイエーの1号店が、京阪千林駅前に
OPENしたのが、ダイエーの始まりです。現在は、薬局になっています。
千林にダイエーがOPENした当時、千林は 大阪一安く買える商店街 として
知られ、非常に賑わっていた商店街でした。
そんな千林商店街を、京阪千林駅からウオッチングしてきました。

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写真のクスリ屋さんが
ダイエーの1号店のあったところです。

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大阪商店街巡り-3 十三の商店街

大阪梅田から阪急電車で、新淀川を渡ったところにある街が
十三(じゅうそう)です。
阪急電車は ここ十三駅で、神戸・宝塚・箕面・能勢・千里・京都 に
分かれます。その駅を中心に広がる十三の街は、キタとは一線を隔す
庶民の繁華街や盛り場として賑わってきました。
その十三には、十三フレンドリー商店街・元今里商店街・駅前通り商店街
十三東商店街・十三本一商店街・盛り場の栄町通り と
多くの商店街や通りがあります。そんな十三を散策して見ました。
尚 十三という名前の由来も、諸説あるようですが、有名なのが
封建時代からの土地の条理制で、大阪西成の南を一条として
北の十三が十三条になるところからきたとの説です。
(西区の九条もそうらしいです。)

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十三フレンドリー商店街入り口
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十三フレンドリー商店街アーケード
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有名な十三の歓楽街

大阪商店街巡り-4 千日前 道具屋筋

大阪千日前に 道具屋筋 という商店街があります。
元々は、法善寺に参拝する人目当に、道具の店が出来たのが
由来らしいです。
ここに行けば、お店をするのに必要なものは、何でも揃いますよ。
将来 お店をされたい方は、一度のぞいて見てください。

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なんば花月の先からはじまる
道具屋筋アーケードです。

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道具屋筋アーケード街です。

大阪商店街巡り-5 駒川商店街

大阪東住吉区 地下鉄駒川中野駅 と、近鉄針中野駅 を結ぶ
南北約700mと東西190mのアーケード商店街が 駒川商店街 です。
昔は、天神橋筋商店街・千林商店街・十三第一商店街 と並び称される
大阪四大(十三を外して三大とも)商店街と呼ばれた
賑やかな商店街でした。毎年7月には、駒川祭も行なわれて
賑わいます。ここも 大阪らしい、果物・八百屋・天ぷら屋・たこ焼き 等など
食べ物屋さんの多い商店街です。

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近鉄針中野駅前からの東西方向のアーケードです。
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駒川アーケード街の様子

大阪商店街巡り-6 野田新橋筋商店街

大阪 野田阪神駅前から、JR野田につながる 新橋筋商店街
訪ねました。この商店街は、私が小学生ぐらいの頃
良く母親に連れられて来た商店街です。
巾の細い筋に、たくさんの活気のある お店が並んでいたのを
おぼろげに記憶しています。
私にとっては、梅田は よそ行きの街、野田は 普段着の街
という感じでした。
今回 行ってみて、それなりに賑わっていましたが、やはり高齢化している
雰囲気はありました。昔は 野田阪神は、市電の終点でもあり
阪神電車の国道線・北大阪線のターミナルでもあり
もっと賑やかだったような気がしながら、新橋筋商店街を後にしました。

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       新橋筋商店街 野田阪神側
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        新橋筋商店街アーケード

大阪商店街巡り-7 御幸通り商店街(リトルソウル)

前から、一度 行きたいと思っていた 御幸通り商店街 に行ってきました。
この通りは、まさしく ソウル です。ソウルの東大門あたりと
変わらない雰囲気です。但し、言葉は日本語です。
朝早く行ったんですが、もう人通りがありました。
観光客の多い鶴橋の国際マーケットよりも、こちらは 在日韓国人の方の
生活に根ざしている商店が、多い気がしました。大阪のリトルソウルです。
商店街のゲートには、百済門と書いてありました。
韓国の方は、朝早くから お店を開けて、商売をなさっていました。

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        御幸通りの百済門です。
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        韓国料理店 三松です。

大阪商店街巡り-8 粉浜商店街

南海本線 粉浜駅 と 住吉大社駅間 に ある 粉浜商店街
明治の末期には、もう形成されていたという、歴史のある商店街です。
住吉大社の門前町としての性格もあり
大変賑やかな商店街として有名です。
今は、昔ほどの賑わいは無いようですが
それでも結構 人通りの多い感じは受けました。
住吉大社や住吉公園に行かれた折りには
一度立寄って見ては如何でしょう。
思わぬ掘り出し物を、見つけられるかも知れません。

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南海住吉大社駅公園側の粉浜商店街入口
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粉浜商店街アーケード

大阪商店街巡り-9 文の里商店街

大阪市阿倍野区に 文の里商店街 があります。
地下鉄谷町線文の里駅と、地下鉄御堂筋線昭和町駅が最寄駅です。
昔は、随分 賑わったと聞く商店街ですが、現在は、近隣住民の方が
お惣菜や野菜 果物等、日常生活に必要な物を気軽に買いに行ける
地域に、とけこんだ商店街です。
お馴染さんと お店の方の会話が、のどかに聞こえてきました。

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松虫通り側の文の里商店街入口
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文の里商店街アーケード

大阪商店街巡り-10 売れても占い商店街

大阪のJR福島駅の北側に、福島聖天通商店街という商店街があります。
聖天了徳院という お寺の門前町として、出来た商店街ですが
最近 「売れても占い商店街」 をキャッチフレーズに、毎月第4金曜日に
売れても占いデー」 として、通常の見料2000円を1000円にして
占い師さんが、見てくれるイベントをしています。
日頃は、空き店舗のシャッター通りの様子ですが、この時は賑うようです。
仕事に、人間関係に、恋に悩んでる方、一度 聖天さんの占い通りで
見て頂いたら如何でしょうか。

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JR福島駅横の聖天通り商店街のゲート
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聖天通りの占いの店

大阪商店街巡り-11 松屋町筋

大阪松屋町筋をウォッチングして来ました。
地下鉄長堀鶴見緑地線 松屋町駅で降りると、直ぐ松屋町筋です。
大阪では、言わずとしれた、おもちゃ問屋さんの街です。
私もイベントや宴会用の おもちゃを、良く買いに行きました。
この歳になっても、これだけ おもちゃや人形があると、ワクワクします。

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            松屋町商店街
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        松屋町のおもちゃ屋さん

大阪商店街巡り-12 蕪村通り商店街

大阪は、都島に 蕪村通り商店街 という名の商店街があります。
2006年に大東商店街から、蕪村通り商店街に名前が替わりましたので
あまり聞きなれないかとも思いますが、江戸中期の俳人 与謝蕪村 の
生誕地という事に因んで、名前が替わりました。

そこで この商店街を訪ねましたら、商店街の電柱に蕪村の俳句が
一句一句 解説付きで、掲げてありました。
何とか商店街を活性化しようとの思いが、感じ取れました。
何年になるか未定ですが、JR大阪外環状線が開通すると、このあたりにも
駅が出来る予定ですので、そうなると賑わいも出て来るように思いました。

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蕪村通り商店街のゲートです。
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蕪村通りの電柱に掲げてある、蕪村の俳句です。

大阪商店街巡り-13 天五中崎商店街

天神橋筋5丁目と、都島通り中崎町を結ぶ商店街が
天五中崎商店街 (別名 おいでやす通り) です。
商店街は 約500m程ですが、やはり寂れた雰囲気が漂います。
ただ商店街から一歩脇に入ると、無国籍な感じの珍しい飲食店や
お店がある、面白いエリアもあります。

地下鉄谷町線で、東梅田から一駅で中崎町駅で直ぐですが
梅田とは、大きく雰囲気の変わる街です。中崎町から歩いた
商店街の終端が、天神橋筋商店街の五丁目にあたります。

近くにありながら案外知らない、天五中崎商店街を歩いて見ませんか。

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     天五中崎商店街 中崎町側ゲート
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      天五中崎商店街 アーケード

大阪商店街巡り-14 新京橋商店街

JR環状線が、京街道(国道1号線)にかかる所から始まる商店街が
新京橋商店街です。
この京橋という名前は、大阪城京橋口から京都に続く街道筋であった
ことから、そのまま京橋が地名として使われて、今日に続いています。

商店街の入口には、ローマ フォロ・ロマーノ にある 「真実の口」 の
レプリカが飾られ、商店街を訪れる人を迎えてくれます。
JR京橋駅と京阪京橋駅に近いため、常に賑わいを見せている
商店街です。

また 商店街を約100m程 行った所には、昔 綱島や桜ノ宮を終点として
加茂まで結んでいた、関西鉄道の名残の線路があり
商店街の真ん中に踏切がある、珍しい光景も見られたりしました。
しかし現在は、遊歩道に整備されて、線路は撤去されています。

そんな 新京橋商店街を散策してみました。

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新京橋商店街京街道口(国道1号線)
左側ガードがJR環状線

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新京橋商店街中央辺りにある
アーケード ビギンドーム(ビギン=始まる)が
この商店街のキャッチフレーズ

大阪商店街巡り-15 お初天神通り商店街

大阪駅前 富国生命ビルと曽根崎署の間の、扇町通りから
お初天神まで続く商店街、その名も お初天神通り商店街 を紹介します。

この商店街は、昭和28年4月に 鈴蘭通り の名称で発足し
その後 曽根崎センター街 に名称が変わり、そして現在の名称に
再度 変わって、今日に至ってます。

近松門左衛門が書上げた「曽根崎心中」の舞台になった心中場所が
露天神社の境内の森であった事から、その主人公 お初 の名前と
神社の祭神 菅原道真 から、天神さんをつけて
お初天神と呼んでいます。

そこで 商店街も、お初天神をアピールする為
名称を曽根崎から お初天神通り に変えたようです。
そんな お初天神通り商店街を歩いて
露天神社に参拝するのは、如何でしょう。

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   扇町通りからのお初天神通り入口
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   お初天神通り商店街 アーケード街


大阪商店街巡り-16 城東商店街

大阪 城東区の中心的な街が、蒲生4丁目界隈です。
城東区役所や警察署 消防署が、蒲生4丁目交差点を中心に
集まっています。国道1号線が ここで北上し、南は 今里筋
東は 鶴見通りになります。

この交差点から東寄りにあるのが、1948年に出来た
城東商店街 です。「優しく人情味ある商店街」が
キャッチフレーズの、庶民的な商店街です。
それを表しているのが、商店街の真ん中に止められた自転車です。

ご近所のお母さん お父さん達が、皆気軽に自転車で来て
堂々と商店街の真ん中に止めて、買物しているようです。
そんな気軽さ故に、寄りたくなる商店街です。

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鶴見通りから見た城東商店街
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商店街の通りの中央に自転車が置かれています。

大阪商店街巡り-17 生野本通り商店街

生野本通り商店街は、環状線寺田町駅から奈良街道(国道25号線)を
南へ約300mぐらい行ったところにある、源ヶ橋あたりから始まる
商店街です。商店街は、疎開道路と呼ばれた市道上新庄生野線までが
本通り商店街で、そこから先が、生野本通り中央商店街と呼んでいます。

この商店街が、疎開道路にあたるあたりに、源ヶ橋温泉という
屋根に鯱を頂いた、ちょっと変った建物の銭湯もありました。
大阪の庶民の暮しが、そのまま伺える身近な感じの商店街です。

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生野本通り商店街
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生野本通り商店街アーケード

大阪商店街巡り-18 三津屋商店街

三津屋商店街は、阪急神戸線 神崎川駅前から
三津屋小学校(駅から南方向)の方に のびています。
この商店街は、町おこしに カーリングならぬ ヤカーリングで
テレビでも紹介されて、知られた商店街です。商店街の通りには
ヤカーリングの大会の看板もあがっていました。
淀川区三津屋は、中小企業で賑わっていたところにある商店街のせいか
今でも庶民的な雰囲気が残っていました。

そんな三津屋商店街を懐かしく歩いてみました。
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神崎川駅側 三津屋商店街ゲート
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商店街にあったヤカーリング大会の看板

大阪商店街巡り-19 十三東駅前商店街

阪急十三駅は、一日 7.5万人の乗降客がある
阪急の3方向の路線が集まる駅です。
この駅前は、高度成長期の時代には、大阪のキタ ミナミに次ぐ
庶民の繁華街として栄えていた街でした。
しかし最近は、その賑わいは、だいぶ薄れてきたようです。

そんな中でも駅前には、今も多くの商店街があります。
前回の商店街シリーズでは、十三フレンドリー商店街を紹介しましたが
今回は 十三駅東口にある、十三東駅前商店街を紹介します。
大阪のディープな雰囲気を残す商店街です。

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         十三東駅前商店街
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             十三東小路

大阪商店街巡り-20 キララ九条商店街

西区地下鉄九条駅には、駅の西側にキララ九条商店街があります。
東側のナインモール商店街と共に、西の心斎橋とも称されていました。

キララ九条商店街は、西九条方面 安治川の安治川トンネルに
つながっています。昔このあたりは、安治川口の港で働く人達や
このあたりの工場街の人々で、活気のあった町でしたので
今も大阪らしい、下町の風情が感じられる商店街です。

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        キララ九条商店街入口
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        キララ九条アーケード街

大阪商店街巡り-21 松下幸之助 創業地の商店街

阪神野田駅前にある、野田阪神本通り商店街は、松下幸之助が
この街で創業した事から、出世街道をキャッチフレーズに
商店街おこしをしています。この商店街を野田阪神駅前から
真直ぐ歩いて行ったところにある、大開小学校周辺に
現パナソニック(前の松下電器産業)の創業当時の工場がありました。
現在は、跡地を示すプレートや記念碑があり、この商店街が
松下幸之助にあやかって、出世街道と名づけられています。

松下幸之助さんの出世に あやかるように
この商店街を歩いてみませんか。

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野田阪神本通り商店街
阪神野田駅前入口

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野田阪神本通り商店街 街並

 

大阪地下街巡りー1 梅田地下街(ホワイティ梅田他)

大阪には、沢山の地下街があります。どうして こんなに地下街が
多いのか 定かではありませんが
先ずは 梅田地下センター、現在名 ホワイティ梅田 から紹介します。
ここには、大阪人なら誰でも知っている、阪神百貨店デパート下の
阪神名物 いか焼き屋 さんや、ホワイティ梅田のシンボル的な
泉の広場 とか、サラリーマンに人気のカウンター席しかない
江戸寿司 さん 等の人気のスポットがあります。
是非 一度 行ってみては、如何でしょうか。

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         阪神デパ地下 「いか焼」
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              「泉の広場」
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              「江戸寿司」

大阪地下街巡りー2 阪神スナックパーク

阪神百貨店のデパ地下は 阪神スナックパーク という名前です。
前回紹介した阪神名物 いか焼屋さん も、この中にあります。
その他、讃岐うどん・ラーメン・カレーライス・オムライス・ちょぼ焼き
たこ焼・お寿司・御座候・マクドナルド 等々まだまだあり
美味しいものがテンコモリのところです。
主婦・サラリーマン・観光客 でいつも賑っています。

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            阪神スナックパーク
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              阪神いか焼

大阪地下街巡りー3 阪神全国名産商店街

梅田の阪神百貨店の地下1階、大阪駅や西梅田へと続く地下通路の
奥行50㎝ぐらいを利用した店舗が、阪神全国名産商店街です。
お土産を忘れた人や出張族に便利な、全国各県のお土産を集めた
お店です。店を任された おばさんが、椅子を横において
お客さんを待っています。
ここも立派な 大阪ならではの、地下街かも知れません。

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厳密には地下通路と思われる全国名産商店街

大阪地下街巡りー4 大阪で一番古い地下街

大阪で一番古い地下街は、梅田の地下街ではなく
難波の現なんなんタウン(旧難波地下センター)です。
梅田よりも6年も古い、1957年の12月のopenです。
現在のなんなんタウンは、マルイのオープンとともに、地下鉄難波駅側が
明るく広くなりました。高島屋・マルイ・南海通り・電気街方面 につながる
便利な地下街です。

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    新しくなったマルイ側のなんなんタウン
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           なんなんタウンのお店

大阪地下街巡りー5 あべちか案内

大阪JR天王寺駅北側、地下鉄谷町線の天王寺駅の丁度上にあたる
部分に、大阪5番目の地下街としてできたのが、阿倍野地下街
通称 あべちか です。他の地下街に比べ、やや地味な感じがしますが
庶民的な雰囲気の地下街でもあります。地下街の一番北のゾーンには
あべの横丁という、一杯呑み屋さんの集まったところや、JR天王寺駅から
降りてきたところの西側のゾーンには、本屋さんや洋装店、小物 化粧品店
百金の店もあり、コンパクトで分かりやすい地下街です。
一度、天王寺・あべのに来られたら、寄ってみては如何でしょうか。

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            あべちか 飲食店街
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              あべの横丁

大阪地下街巡りー6 なんばウォーク

今回は、なんばウォークを紹介します。
オープン当初は、虹の街と呼ばれていましたが、リニューアルを期に
なんばウォークという名前に変わりました。千日前大通りの地下を
東西約500mに及ぶ地下街です。西は、地下鉄四ツ橋線なんば駅から
東は、地下鉄堺筋線日本橋までを結んでいます。
また西の四ツ橋線なんば駅から、さらに西のJR難波駅(OCAT)まで
地下通路 OCATウォークとして、動く歩道も併設して、結んでいます。
この地下街の特徴は、地下街の北側と南側に2本の通りで
構成されている事です。そして中間に、ウォーターパークや
くじらパーク等の広場が設けられています。
さらに、西側の四ツ橋線なんば駅からの一番街西通りと呼ばれる
区間は、マネ等 印象派の絵が飾られた画廊になっています。
この地下街とほぼ平行に走る、近鉄奈良線や地下鉄千日前線の
難波駅も地下街の下にあり、常に人通りの絶えることのない地下街です。
さらに、阪神なんば線も来春乗り入れてきますので
益々便利になる地下街です。

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           一番街西通り画廊
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      東側中間にあるウォーターパーク

大阪地下街巡りー7 ディアモール

ディアモールは、大阪駅前の第一生命ビル・阪神百貨店・マルビル
梅田DTタワー・新阪急ビル・梅田第一生命ビル
大阪駅前1・2・3・4ビルの間の道路下につくった地下街です。
計画当時 ダイヤモンド地下街 と呼んでいました。
地下街は、大阪駅中央コンコースから真っ直ぐ南下して
阪神電車改札広場からディアモール円形広場、さらにJR北新地駅
改札地下通路につながります。
または、ホワイティうめだ・阪神百貨店デパ地下と、阪急八番街間の
ディアモール マーケットストリートからも円形広場につながります。
さぁ ワンダーランド ディアモール地下街を一度 探索してみて下さい。
新しい お店の発見があるかもしれません。

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ファッショナブルストリートと呼ばれる
空の見える地下街です。

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円形広場に立つブロンズの女神像です。

 

大阪天神橋筋商店街ツアー1 六丁目界隈

大阪の天神橋筋商店街は、天神橋1丁目~6丁目まで
約2kmの、日本一長い大阪を代表する商店街です。
その商店街を、北の6丁目から南の1丁目まで ご案内致します。
6丁目は、阪急線と地下鉄堺筋線と谷町線が交わる交通のポイントです。昔は、新京阪デパートという百貨店や、阪神北大阪線の路面電車の
終点もあり、賑わいをみせていたところです。
今は 大阪住まい今昔館 という、大阪の古い街並を実物大で再現した
博物館もあります。一見の価値は あると思います。

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大阪天神橋筋商店街ツアー2 五丁目界隈

天神橋5丁目辺りから、アーケードも少し広くなります。また この辺りは
天神橋筋商店街の東側に、2本の小さな路地のようなところに並ぶ
商店もあります。その東側2本目の角に 天満卸売市場
ぷららてんま があります。また この近くに ソレタ という
パスタの美味しい お店もあります。
ここまで来ると、直ぐJR天満駅と環状線のガードが見えてきます。

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               天満市場
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          イタリア料理店 ソレタ

大阪天神橋筋商店街ツアー3 4丁目から3丁目

JR環状線をくぐると4丁目に入ります。そして 阪神高速道路守口線から
南が3丁目で、南森町の交差点まで続きます。
この辺りには、創業50年のお好み焼き店 天満菊水
私も良く買いに行きます ガクブチのダイワ
さらには 昔良く行きました 主税寿司 などの
寄りたくなる お店が並んでいます。

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          天神橋4丁目アーケード
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               天満菊水
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              額縁のダイワ

大阪天神橋筋商店街ツアー4 2丁目 南森町界隈

2丁目は、ちょうど南森町交差点辺りです。最近は、落語の常打ち小屋
繁盛亭 ができたこともあって、随分にぎやかになりました。
南森町交差点を南へ直ぐのところにある コロッケの中村屋
いつも昼時は行列ができています。またその向かいには
一銭焼の店 もあり、こちらも結構 流行っています。
ともに いかにも 大阪らしいお店で、このあたりに住んでいる人や
勤めている人には 人気です。

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         天神橋筋アーケードの知板
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            コロッケの中村屋
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              一銭焼の店

大阪天神橋筋商店街ツアー5 2丁目から1丁目 ゴール

六丁目から、南へ約2km紹介してきた 大阪天神橋筋商店街 も
いよいよゴールです。昔に比べて、活気が戻ってきた天神橋筋商店街
ですが、1丁目に入ると随分 寂しくなります。
大川八軒屋浜から、大阪天満宮への参道にあたるこのあたりは
昔は賑やかに栄えていたことと思われますが
その面影は、ありませんでした。

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              天神橋1丁目
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        天神橋筋アーケードの1番街
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              夜の繁昌亭

 

大阪中之島界隈-1 中之島の夕暮れ

御堂筋にかかる 淀屋橋 から見た
中之島の夕暮れです。

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夕暮れ時の土佐堀川に写る
ビル影の風景


大阪中之島界隈-2 中之島公園

大阪の中之島は、パリのシテ島にも比べられる、風情のあるエリアです。
そんな中之島をウオッチしてみました。

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中之島のプロムナード
右側の建物は 大阪市役所です。

大阪中之島界隈-3 中之島とシテ島

大阪の中之島は、パリのセーヌ川の小島 シテ島・サンルイ島 と
景観が似ています。
大阪の方が、パリよりも近代的なビルが多く、風情が乏しい気がします。
それでも、日銀大阪支店・大阪市庁舎・図書館・中央公会堂 あたりの
佇まいは、趣があります。
大阪へこられた時には、是非 中之島を散策して見てください。

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天満橋から見た中之島
右側の橋の奥に見えるのが大阪市庁舎です。

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トゥルネル橋から見たシテ島
尖塔が見えるのがノートルダム大聖堂です。

大阪中之島界隈-4 中之島バラ園

中之島は、東西約3km・南北70m~300m程の細長い島です。
その中にあるバラ園は、大阪支庁舎から中之島を東へ約500mの
ところにかかる難波橋(ライオン橋)の階段を下りたところにあります。

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           中之島公園 バラ園

大阪中之島界隈-5 大阪市中央公会堂

中之島のシンボル的な建物が、中央公会堂です。
1918年(大正7年)に、北浜の相場師 岩本栄之助 の寄付で
建設されました。
1999年から2002年9月まで、保存再生工事が行なわれ
2002年11月に リニューアルオープンしました。

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中央公会堂の正面です。
右手奥に見えるのは、大阪高等裁判所です。

大阪中之島界隈-6 大阪市庁舎

大阪のメインストリート御堂筋が、中之島にかかる東側に建っているのが大阪市庁舎です。
1985年に竣工した現在の市庁舎は、鉄骨鉄筋コンクリート造8階建
外壁に花崗岩を貼った重厚な建物です。現在の市庁舎の前の庁舎の
鐘楼にあった みおつくしの鐘 も、現庁舎の塔屋に受継がれています。

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             大阪市庁舎

みおつくし(澪標)は、船が往来するときの目印で、大阪市の市章になっています。
また 旧大阪市庁舎にあった、みおつくしの鐘は
「夜の十時になったから家に帰りなさい」
と鳴っていた、大阪市民なら誰もが親しんだシンボルでした。

大阪中之島界隈-7 難波橋のライオン

中之島に架かる橋に 難波橋 という橋があります。
橋の親柱4ヶ所それぞれに ライオン が、橋の交通や川の水運の
守り神として鎮座しています。それで ライオン橋 とも呼ばれています。
水の都 大阪 と呼ばれた大阪を、今に残す場所です。

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           ライオン橋のライオン

大阪中之島界隈-8 中之島図書館

ネオ・バロック様式の、堂々とした外観の 中之島図書館
住友家の寄付で1904年に開館し、1922年に左右の両翼を増築して
現在の形になったそうです。
隣の中央公会堂と共に、中之島の景観を醸し出しています。
私も高校生の頃、夏休みに宿題を調べるのに、時々訪ねてました。
その頃は、確か地下に食堂があって、安くて旨いカレーライスが
あったように記憶してますが、今はないようです。

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         大阪府立中之島図書館

大阪中之島界隈-9 国立国際美術館

中之島の 土佐堀川 にかかる 筑前橋 を渡った西北に
巨大な鉄のオブジェが見えてきます。ウサギをイメージしてデザインされているそうですが、ここが 国立国際美術館 です。
元は万博公園にありましたが、2004年に この地に移転されました。
この美術館は地下構造で、地上にあるのは巨大なウサギのオブジェです。隣にある建物は、市立科学館 です。

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国立国際美術館 と左側の建物は 市立科学館 です。
さて、ウサギに見えますか。

大阪中之島界隈-10 日銀 大阪支店

御堂筋をはさんで、中之島の西側に建っている重厚な建物が
日銀 大阪支店 です。
御堂筋に面しているのが旧館で、明治36年(1903年)に竣工しました。
設計は、明治を代表する建築家 辰野金吾 で、東京駅も彼の設計です。

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この 日銀 大阪支店 の前が、大阪市庁舎 です。
大阪市庁舎 は新しくなりましたが、御堂筋をはさんで
重厚な建物が二棟並んでいます。

大阪中之島界隈-11 堂島川から見た中之島

堂島川 鉾流橋 から見た中之島です。
大阪市中央公会堂 や 中之島図書館、大阪市庁舎、水晶橋 が見えます。
中之島らしい景色です。

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大阪中之島界隈-12 新中之島公園ー1

大阪の中之島公園が、水都2009開催で、大きく変わりました。
1891年(明治24年)に、中之島公園が出来て以来の
大きな変わり様です。
そこで、水都2009が終わって、いろいろなイベント施設が
撤去された後の、新中之島公園を散策しました。

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   中之島公園の水辺からライオン橋
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         中之島公園公会堂前

大阪中之島界隈-13 新中之島公園ー2

新しくなった中之島公園の写真を続けてアップします。

中之島公園の土佐堀川水辺広場から、ライオン橋方向の
風景や栴檀木橋方向の風景は、随分 変わりました。
水辺広場から土佐堀川や中央公会堂の眺めが、とても良くなり
風景を描いておられる方が、多くなった気がします。

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       土佐堀川 ライオン橋方向
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    水辺広場から市役所 公会堂方向

大阪中之島界隈-15 秋色の中之島公園ー2

中央公会堂の廻りの紅葉も、みごとに色づいていました。
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         中央公会堂前の紅葉

 

大阪街歩き-1 夕暮れの梅田新道

大阪梅田新道界隈も、随分 変わってきました。
新しいライブハウスや、新しいブランドビルもできて
お洒落な雰囲気の街に変わってきています。
また御堂筋の突きあたりになる 阪急百貨店 の建替え工事で
その存在感も大きくなってきました。

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          梅田新道交差点
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         梅新御堂筋の夕暮れ

大阪街歩き-2 キリンプラザビルがなくなった

大阪ミナミ 戎橋のたもとに建つ、キリンプラザが建てかえられます。
そのため もう閉鎖になり、白いシートで覆われています。
映画 「ブラックレイン」 のロケ地として大阪が使われ
そのなかに、登場したキリンプラザビルを覚えている方も多いと思います。
前衛的な建築を得意とし、関西を基盤にする建築家 高松伸 の設計です。
南にある大阪の名物建築が、村野藤吾の そごう に続いて
またひとつ消えました。
建築に携わるものとしては、淋しいです。

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解体された後のキリンプラザあたり
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在りし日のキリンプラザビル

大阪街歩き-3 月の法善寺横丁

大阪には、歌謡曲に出てくる街が沢山ありますが、そんななかでも
有名なのが、藤島恒夫が歌った 「月の法善寺横丁」 です。
この横丁が、近隣からの火事の延焼から復興されてから
初めて訪ねてみました。行ってみると、やっぱり大阪らしい
風情のある横丁でした。

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             法善寺横丁
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       月の法善寺横丁の歌の碑

大阪街歩き-4 阪神なんば線開通

大阪にまた、新しい鉄道が開通しました。それは 阪神なんば線 です。
これで ミナミ方面の方は、梅田に出なくても難波から直接
神戸方面に行けることになりました。近鉄奈良発の快速急行が
三宮まで直通で運転しています。
また 姫路に行くなら、阪神尼崎で、姫路行 直通特急 に乗換えれば
姫路にも スムーズに行けます。それから、奈良線方面から
USJ に行くのも、西九条で一度の乗換えで行ける様にもなりました。
さらに、京セラドームの直ぐ前に駅が出来ましたので
ミナミから京セラドームにも行き易くなってます。
尚 念のため、阪神電車のなんば駅は、今までの旧近鉄難波駅です。
その近鉄難波駅の駅名を、大阪難波駅と変えただけですので
お間違いのないように。

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大阪難波駅に入線の阪神電車
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表示が替わった旧近鉄難波駅

大阪街歩き-5 阪急百貨店 建替工事中です。

阪急百貨店の建替え工事も、だいぶ進んでます。
百貨店部分の外装は ほぼ終り、阪急のエンブレムが
外壁を飾っています。
高層部分も、タワークレーンと高層部分の鉄骨との高さの差が
少なくなってますので、もうすぐ 最上階になる様な感じです。
このあと、外装工事が完了すると、内部の仕上げや
設備工事に入ると思います。

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デパート低層部に阪急の名前が入りました。
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大阪駅側から見た阪急デパート

大阪街歩き-6 阪急ガード下 古書のまち

阪急三番街の一番北側の阪急ガード下には
面白い お店が並ぶゾーンがあります。
そのうち今回は 古書のまち を ご紹介します。
ここは、その名の通り、古本屋さんや掛け軸、古銭、鉄道切符
鉄道プレート 等、マニアが見たら欲しくなるようなものが、並んでいます。
私も しばし見とれていました。お好きな方は、是非 行ってみて下さい。

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阪急古書のまちの入口部分です。
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古書のまちの古本屋さんでみかけた
懐かしい雑誌です。

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鉄ちゃん必見の鉄道プレートと切符
それから古銭マニアさんが、欲しくなる古銭の数々です。

大阪街歩き-7 城北公園と毛馬の閘門

大阪の母なる川 淀川 沿いに、古くからある都市公園 城北公園
菖蒲の花やさくらで有名です。
戦後、このあたりに公営住宅も建設された、大阪でも新しい街として
注目された地域でもありました。
その城北公園通りが、淀川を渡る毛馬橋の少し上流の淀川が
新淀川と大川に分かれるところに、閘門が設けられて
水量や水位の調整をしています。この閘門を 毛馬の閘門 と呼び
大阪市民を水から守る役割を果たしています。

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    城北公園通りから見た城北公園
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       大川から見た毛馬の閘門

大阪街歩き-8 新歌舞伎座とオペラ座

大阪ミナミの 新歌舞伎座 は、名前は歌舞伎座ですが
ほとんど歌舞伎は上演していません。
演目は、大衆演劇や歌謡曲歌手のショーや芝居です。
しかし大阪のオバチャンには、大人気で盛況の様子です。
差し詰め大阪の オペラ座 と言っても過言ではないと思いますが
如何でしょうか。

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             新歌舞伎座

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            パリ オペラ座


大阪街歩き-9 通天閣 と エッフェル塔

大阪を代表する観光名所の 通天閣 は、高さ103mの観光展望台です。現在の通天閣は二代目で、1956年(昭和31年)に完成しました。
パリの エッフェル塔 を模したと言われていますが
エッフェル塔の第2展望台(115m)ぐらいの高さですので
高さ的には似ているとは言えませんが
しかし どちらも、街を代表するシンボルであることは、同じだと思います。

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大阪ミナミの歓楽街
新世界の中心にそびえる通天閣

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         パリのエッフェル塔

大阪街歩き-10 JR天王寺駅

大阪南部に位置する、南紀・奈良方面のターミナル JR天王寺駅 です。
地上ホームが行止りの阪和線、橋下ホームが関西線・関西空港線
環状線の2層構造の駅です。
周辺には、天王寺公園や動物園や美術館もあって
雰囲気的には、東京上野駅に似ているように感じます。
また天王寺駅南側にある、近鉄南大阪線、吉野線、長野線のターミナル
あべの橋駅、阪堺電軌上町線の始発駅 天王寺駅前駅や
地下鉄2路線の天王寺駅もあり、大阪南部の副都心となっています。

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             JR天王寺駅

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            近鉄 あべの橋駅

大阪街歩き-11 道頓堀リバーウォーク

道頓堀川に整備された 道頓堀リバーウォーク は
水の都と言われた大阪の新しい水辺の観光スポットです。
もうすぐ戎橋も、新しい橋への架け替え工事が完成します。

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戎橋から見た道頓堀とリバーウォーク

大阪街歩き-12 大阪駅北側

大阪駅の北側にある、梅田貨物駅を望む街並です。
この地域は 再開発が進められ
2011年には、先行開発区域の まちびらき が予定されています。
その頃には、この写真の風景は 様変わりしてると思います。

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                梅田北ヤード地区

大阪街歩き-13 なんばパークス

大阪ミナミに、2003年10月にopenした なんばパークス
ミナミの新しい観光スポットとして賑わっています。
建物を段丘状にして屋上庭園を配置した設計は、六本木ヒルズ や
キャナルシティ博多 を手がけたアメリカ人 ジョン・ジャーディ の
手によるものです。
大阪ミナミも随分変わった印象です。この場所は元々は、南海ホークスの本拠地 大阪球場 や、中央競馬の馬券売場 のあったところなんですが。

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            なんばパークス


大阪街歩き-14 ナンバヒップス オープン

大阪ミナミの 千日前筋 と 御堂筋 の交差点の少し北の御堂筋沿いに
12月13日 ナンバヒップス という商業ビルがオープンします。
ユニークなデザインのこのビルの壁面には、垂直落下の遊戯施設
フリーフォール 「ヤバフォ」 を設えています。とにかく良く目立ちます。
これでミナミには、ドンキホーテの水平観覧車 えびすタワー と共に
大阪らしい、ど派手なスポットが二つ揃いました。
良かったら、一度行ってみませんか。

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          ナンバヒップス外観

大阪街歩き-15 扇町公園とキッズプラザ大阪

大阪キタの都心部にある 扇町公園 には
扇町プール や キッズプラザ大阪 があります。
キッズプラザ大阪は、子供の遊び体験を通して学ぶ
ユニークな博物館です。
いつ行っても、子ども達の歓声が聞えてきます。

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      扇町公園とキッズプラザ大阪

大阪街歩き-16 湊町リバープレイス

旧国鉄湊町駅のあとに建設された 湊町リバープレイス は
なんばハッチ と呼ばれるスタンディング形式のライブハウスを中核に
FM大阪や、湊町船着場、阪神高速道路の湊町出入口や
駐車場が、複合的 構成された建物です。

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湊町リバープレイス を
道頓堀川船着場から見た外観


大阪街歩き-17 大阪にもあった外国人居留地

1868年に 大阪港が開港した時に、大阪市西区川口に
外国人居留地が設けられました。その当時の建物は残っていませんが
1915年に再建された 川口キリスト教会 に
わずかに面影をしのぶことができます。

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川口キリスト教会
(日本聖公会川口基督協会)

大阪街歩き-18 高速道路がビルを貫通

大阪には、高速道路がビルを貫通しているところがあります。
その中でも、阪神高速道路 池田線 梅田出口にある
ゲートタワービル(通称 ビーハイブ) では、ビルの真中を貫通しています。
こんなことして大丈夫かな と ビックリします。
何故 こんなことになったのかは、はっきりしませんが
とても不思議な景色です。

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16階建のビルを貫通している阪神高速道路

大阪街歩き-19 南海難波駅

大阪には、ヨーロッパのターミナル駅のような、頭端式ホームの地上駅が
5駅あります。その中でも 南海難波駅 は、コリント式の風格のある
駅ビルで、ヨーロッパのターミナル駅に似た雰囲気があります。

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      御堂筋の南詰めに建つ南海難波駅

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                 パリ北駅

大阪街歩き-20 大阪市立美術館

大阪市立美術館は、JR天王寺駅から徒歩5~6分の天王寺公園内に
あります。
元々は、住友家本邸があったところで、昭和11年5月に開館しました。
主な収蔵品は、中国の絵画や書、日本の江戸から明治以降の
絵画、金工、漆工、陶磁 などの工芸品や、個人から寄贈のコレクション
等です。
また 様々な特別展も開催されています。

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     天王寺公園内にある大阪市立美術館

大阪街歩き-21 お初天神(露天神社)

大阪 梅田 曽根崎にある お初天神 は、堂島新地の遊女 「お初」 と
内本町平野屋の手代 「徳兵衛」 が、露天神社の天神の森で
心中した事件を、近松門左衛門 が 「曽根崎心中」 として劇化して
大評判となり、今日まで伝えられています。
そして いつしか露天神社を、お初天神 と呼ぶようになったそうです。

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              露天神社の鳥居

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        境内にある お初・徳兵衛 の像

大阪街歩き-22 新梅田シティ

大阪梅田の北ヤードに隣接する 新梅田シティ(梅田スカイビル) です。
古い街路と超近代的なビルの対比が印象的です。

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大阪街歩き-23 大阪ドーム(京セラドーム)の見える街

大阪 大正区 尻無川 沿いの三軒家から見える
大阪ドーム(京セラドーム)です。
大阪らしい ミスマッチが面白いと思いませんか。

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大阪街歩き-24 道頓堀界隈

大阪 ミナミ の 道頓堀 は、食い倒れの大阪を代表する飲食店や
松竹座のような歌舞伎 演劇場が並ぶ、最も大阪らしい繁華街です。

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大阪街歩き-25 海遊館

海遊館 は、世界最大の魚 「ジンベエザメ」 が遊泳する
世界最大級の水槽を持つ水族館で
大阪港 天保山 のウォーターフロント再開発で生れた
大阪でも比較的 新しい観光スポットです。

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大阪街歩き-26 梅田界隈

大阪の都心 キタ(北) のJRの駅は 大阪駅 ですが
その大阪駅のある町名は 梅田 と言います。
そのため大阪駅の廻りの駅は、私鉄も地下鉄も全て梅田が付きます。
阪神梅田阪急梅田、地下鉄が 梅田東梅田西梅田 です。
そして 大阪駅前を区画整理して、再開発した写真のビル群が
梅田の ど真ん中です。

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大阪街歩き-27 宗右衛門町

大阪で キタ の北新地 と並ぶ ミナミの宗右衛門町
大阪を代表する歓楽街です。
平和勝次とダークホース が歌った歌謡曲 「宗右衛門町ブルース」 は
今でも、団塊世代当りのオジサンが唄うカラオケの定番でもあり
その名前は 良く知られていると思います。
場所は、道頓堀川の直ぐ北岸の、東西約350mの通りです。

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大阪街歩き-28 法善寺横丁と水掛不動さん

大阪ミナミ の 法善寺横丁水掛不動さん
織田作之助 の 「夫婦善哉」 や 藤島恒夫の 「月の法善寺横丁」 で
全国に知られるようになった観光スポットです。
その後、平成14年の中座の火災と、15年の横丁火災で
横丁の建物が焼失することがありましたが、その後 地元の方々の
がんばりで復興をはたしています。
また 法善寺横丁にある水掛不動さんには、水をかけて ご祈念すれば
どんな願いも叶うという事で、毎日参拝客が絶えません。

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         法善寺横丁入口

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           水掛不動さん

大阪街歩き-29 日本のシャンゼリゼ 御堂筋

全長4km 幅員43.6m の大阪のメインストリート 御堂筋
当時の市長 関氏が、パリやヨーロッパの都市を参考にして
1937年に完成しました。
秋の いちょう が色づく季節が、一番 美しくなる大通りです。

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            冬枯れの御堂筋


大阪街歩き-30 大阪市内にある山 天保山

大阪市内にある、日本で一番低い山といわれる 天保山
標高わずか4.53mです。
元々は、安治川の河口を浚渫した土砂で できた築山で
それが行われたのが、天保2年からということで
天保山と呼ばれたようです。

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写真の石碑は、明治天皇行事記念の碑で
その右横に 天保山「山頂」 の三角点があります。


大阪街歩き-31 大阪南港 副都心

大阪湾を埋め立てて、新しい街づくりを進めている南港地区です。
そのシンボル的な建物が写真中央の WTCコスモタワー です。
正式には 大阪ワールドトレードセンタービルディング と言います。
ビルの高さ256m、地上55階建の日本で2番目に高い超高層ビルです。しかし このビルや、写真右側の アジア太平洋トレードセンター(ATC) 等の事業がうまく行かず、大阪市の財政を圧迫しています。

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大阪街歩き-32 北新地

大阪を代表する繁華街は、キタ(北) と ミナミ(南) と呼ばれています。
そのキタとミナミそれぞれに、大阪を代表する夜の街 歓楽街があります。
ミナミは 宗右衛門町 に、そしてキタが写真の 北新地 です。
ただ北新地は、歓楽街といっても、昔から風俗店は皆無で
大阪の高級歓楽街として知られています。
しかし近年の不況で、北新地も若者や女性客相手の
洒落たショットバーや飲食店が増えてきて
新地本通りの雰囲気も随分変わりました。

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大阪街歩き-33 大阪駅前ビル街の桜

大阪駅前にある、駅前第4ビルと第3ビルの間には
桜の木が植樹されています。
樹木の少ない大阪梅田のビジネス街ですが
ここを歩く人達に、春の訪れをしっかり告げてくれます。

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大阪街歩き-34 日本橋の電器街

大阪日本橋の電器街です。
しかし昔は、家電大型店がづらりと並んでいたこの街も
最近は、関東系の大型店に押されて、昔のように
安く家電製品 買うなら日本橋 という流れは、変わってきているようです。

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大阪街歩き-35 慶沢園

天王寺公園内、市立美術館の裏手にある 慶沢園
住友家の庭園として、明治41年から10年かけて造園された
林泉回遊式と呼ばれる日本庭園です。

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              慶沢園庭園

大阪街歩き-36 阪急百貨店 梅田本店 建替中

1929年(昭和4年)完成の 阪急百貨店 梅田本店
現在 建替工事中です。建替後は、地上41階 地下2階の規模で
売場面積も日本一の百貨店に生まれ変わるそうです。
完成は、2011年の予定です。

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           建替工事中の写真

大阪街歩き-37 地下街都市 大阪

大阪の街には、多くの地下街があります。
さながら 地下街都市 とも言えます。
梅田の ディアモール大阪ホワイティうめだ
堂島の ドージマ地下センター 長堀通の クリスタ長堀
難波の なんなんタウンなんばウォーク 阿倍野の あべちか
京橋の コムズガーデン 
これらは いずれも、ビルの下にある地下街ではない
道路の地下につくられた、文字通りの地下街都市です。
どうして大阪に地下街が多いのかの理由は、何でしょうか。
これも大阪の文化なのかもしれません。

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天井から光りの入る地下街
クリスタ長堀です。

大阪街歩き-38 大阪歴史博物館とNHK

大阪中央区馬場町の西北角にある
大阪歴史博物館NHK大阪放送局
難波宮史跡公園の整備の一貫として建てられました。
歴史博物館の地下には、難波宮遺構が保存され
建物各フロアごとに、大阪の歴史にちなんだ展示がされています。
隣接するNHK大阪放送局と共に
新しい大阪の文化ゾーンを形成しています。

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大阪街歩き-39 心斎橋商店街

大阪を代表する商店街で、北の長堀通りから南の戎橋までの
約600mのアーケード付の商店街です。
名前の由来は、長堀川(現在は地下街駐車場になっています)を
開削した 岡田心斎 にちなんで、長堀川に架けた橋を 心斎橋
命名したことに由来しています。
昔は、東の銀ブラ 西の心ブラ と呼ばれたほどの
日本を代表する繁華街として知られていました。

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元 心斎橋の橋が
架っていたところから見た心斎橋筋

大阪街歩き-40 ワッハ上方界隈

大阪ミナミにあります ワッハ上方
正式名 大阪府立上方演芸資料館 は、上方演芸のライブラリーギャラリーや、300人収容のワッハホールを備えた建物です。
この建物と真向いの 吉本なんばグランド花月 あたりは、上方演芸の
メッカの趣きがあります。毎年ここで 「上方演芸の殿堂入り」 の選考も
行なわれています。
しかし 橋下大阪府知事の経費削減方針で、この施設の閉鎖も取り沙汰
されており、今後 どうなるのか気になるところです。

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大阪街歩き-41 大阪府庁界隈

現知事 橋下さんが頑張っている大阪府庁は
大阪城 大手門の前、大手前にあります。
1926年(昭和元年)竣工という、都道府県庁舎としては
最も古い建物です。戦争中は、屋上に機銃掃射が設えてあったそうです。
昭和から平成の、大阪の歴史を見つめてきた建物です。

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大阪街歩き-42 千日前道具屋筋

大阪難波 千日前の道具屋筋は、元々は 法善寺から今宮戎へ抜ける
参道に、古道具を売る店ができたのが始まりとされています。
その後 「天下の台所」 といわれていた、大阪の食文化を支える
道具を売る、問屋専門店街として栄え、今日に至っています。
ここに行けば、あらゆる厨房器具、食器から店看板までが揃います。

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大阪街歩き-43 昭和山登山道

大阪市大正区にある千鳥公園には、昭和山という
標高35mの人工の山(丘陵)があります。
地下鉄の工事の掘削土砂を盛り上げて作ったものです。
現在では、亜熱帯植物やツツジなどが群生し
ほんとうの山のようになっています。
山頂?の 「港の見える丘」 からは、港大橋が一望できます。

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大阪街歩き-44 水都プロジェクト 「ほたるまち」

旧阪大病院のあとに、水都OSAKAプロジェクトとして
再開発が行なわれてきました。
その街名 「ほたるまち」 が ほぼ完成しました。
朝日放送新社屋、ABCホール、堂島リバーフォーラム など
商業棟や50階建のマンション等で構成された新しい街です。
また この地区には、その川向いに京阪中之島線の中之島駅も
今年10月に開業します。

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大阪街歩き-45 USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)

USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)は
アメリカのユニバーサルスタジオ(ユニーバーサル映画)の
テーマパークの海外進出第1号として、大阪市此花区の日立造船や
住友金属工業があった敷地の跡に造られ
2001年3月31日にOPENしました。
現在では、大阪の新しい観光スポットとして、賑わいを見せています。
最寄駅のユニバーサルシティ駅は、このテーマパークのために
新設された、JR桜島線(ゆめ咲線)の駅で、大阪環状線や
北陸・東海道線からの直通運転もされています。

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大阪街歩き-46 大阪城 大手門と大手前

現在の大阪城の正門 大手門 は、豊臣秀吉が築城した当時のものでは
なく、徳川時代の1848年に大掛りな補修をしたものです。
また大手門は、幕末までは追手門とも呼ばれていました。
そして この大手門の前が 大手前 という地名で
大阪の官庁街を形成しています。

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大阪街歩き-47 舞洲 と 夢洲

大阪湾に新しく造られた 舞洲夢洲
大阪の新しいウォーターフロントのスポットです。
舞洲は本来は、オリンピック誘致計画のメイン会場としての
計画もありましたが、現在は、体育館・野球場・テニスガーデン
オートキャンプ場・ロッジ・緑地 等の施設と、アントニオ ガウディ風の
大阪市環境事業局のゴミ処理場 等があります。
また舞洲と夢舞大橋で結ばれる夢洲には
コンテナターミナルがありますが
それ以外の計画は、まだ未定のようです。

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大阪街歩き-48 大阪ビジネスパーク(OBP)

元々この地は、旧陸軍の大阪砲兵工廠があり
そのため太平洋戦争時には、大空襲にあいました。
戦後20年以上も更地として放置されていましたが、土地が大阪市に
返還された時点で、再開発計画が決定し、大阪ビジネスパークとして
生れ変りました。
最近では、キタ・ミナミ に対応して、OBPと京橋 天満橋 地区一帯を
大阪の新しい副都心 ヒガシ と呼ぶようになりました。

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大阪街歩き-49 日本一長い 天神橋筋商店街

大阪市北区の 天神橋筋商店街 は、南北2.6キロメートルの
アーケード街で、天神橋1丁目~6丁目までつながる
日本一長い商店街です。
この商店街に接続する駅は、北から 地下鉄天神橋六丁目駅・JR天満駅
地下鉄扇町駅・地下鉄南森町駅・JR大阪天満宮駅 があります。
写真は 今年の天神祭の、夜の天神橋筋商店街2丁目あたりの様子です。

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大阪街歩き-50 八軒家浜港

京都伏見と大阪を結ぶ、三十石船の発着場と
熊野街道の起点として栄えた 八軒家浜 が再生されました。
水上バスの港と天満橋駅ビルをつなぐデッキが完成し
大阪の新しい水辺の観光スポットとして注目されています。

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大阪街歩き-51 大阪府警察本部庁舎

大阪 大手前に新しく登場した、大阪府警本部庁舎 は
旧庁舎を建替えた建物で、警察庁のビルとしては
日本最大の規模を誇り、黒川紀章氏の設計によるものです。

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大阪街歩き-52 大阪市立工芸高校校舎 

大阪市阿倍野区にある 大阪市立工芸高校 の校舎です。
この高校は、工芸デザイン系の学科と、美術科を併設している
専門の高校で、校舎は ドイツのヴァイマル工芸高校をモデルとして
設計され、1924年に竣工しました。
平成8年3月に保存修復が完了して、現在に至っています。

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大阪街歩き-53 阪急百貨店 建替中

阪急百貨店の建替工事が進んでいます。そして その横に建っていた
富国生命ビルも解体されて、なくなっていました。
また 大阪駅北ビルの工事も、鉄骨が組み上がってきました。
大阪駅前は、大きく変貌しようとしています。

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            阪急百貨店工事中
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            大阪駅北ビル工事中

大阪街歩き-54 八軒家浜船着場

大阪の水辺を再生しようと、再開発されたのが
京阪天満橋の大川沿いにできた 八軒家浜船着場 です。
江戸時代には、伏見ー八軒家浜 と三十石船が淀川を下ってきて
ここで一泊して、熊野街道を熊野詣でに、旅を続けて行ったという
昔の交通の要衝だったところです。そこに八軒の船宿があったことから
ついた名前が 八軒家浜 です。
現在は、大阪川巡り観光の水上バスの港と、川面を望むカフェテラスに
なっています。
夕暮れ時には、ライトアップもされ、中之島やキタのビル街の
灯りも美しい、新しい水辺のスポットです。
是非 一度 お訪ね下さい。

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       新しくできた八軒家浜のテラス
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大阪街歩き-55 阪急百貨店 建替中

大阪梅田の阪急百貨店の南側の部分が、只今 建替工事中です。
工事は、2011年完成予定だそうですが、だいぶ高く骨組みができて
来ました。気がつかないうちに、いつの間にか高くなりますので
ここで、工事中の写真をアップして、経過をお知らせします。
興味のある方は、ご覧下さい。チョット オーバーに言えば
大阪の街の小さな歴史の証人になるチャンスです。

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         工事タワーが建てられた頃
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               工事進行中

大阪街歩き-56 梅田スカイビルのクリスマスツリー

梅田スカイビルに例年通り
クリスマスツリーが設置され、点灯されました。
今年は、ドイツのクリスマスツリーをイメージしているそうですが
いよいよ 年が押しせまってきた気がします。

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点灯したドイツ風イメージのクリスマスツリー
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同じ会場に設けられたメリーゴーランド

大阪街歩き-57 北浜堺筋の古い建物と新しい建物

北浜堺筋界隈が随分変わってきてますが、その変貌の一番は
高麗橋三越後に工事中のタワーマンションです。日本一高いそうです。
その反面、古く味わいのある建物も残っています。
北浜堺筋は、大阪にしては、結構 風情の残る街と思います。
よかったら、一度散策して見ませんか。

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北浜三越跡に建てられている北浜タワー
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堺筋に面して建っている
風格のある高麗橋野村ビル

大阪街歩き-58 茶屋町界隈

大阪梅田の繁華街も、JR環状線を北に伸びたのが
阪急百貨店の馬蹄形の間にあった阪急梅田駅が、現在の位置に
移ってからに始まります。そして さらに北に伸びて、ちゃやまちアプローズ
ピアスタワー・MBS あたりまで広がりました。
それにともない、アーバンテラス茶屋町や、NU茶屋町の
新しいショッピングスポットもできて、北へ北へと人の流れも
変ってきているようです。
そんな茶屋町界隈をウォッチングして見ました。

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             NU茶屋町
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         アーバンテラス茶屋町

大阪街歩き-59 キャナルテラス堀江

道頓堀の御堂筋から西側、つまり西道頓堀は、今まで倉庫街のような
街でしたが、四ツ橋筋と道頓堀の角に湊町リバープレイスができ
その前に遊覧船発着の湊町港ができてから
様子が少しづつ変って来ました。
この夏、湊町リバープレイスと西道頓堀をはさんだ北側に
キャナルテラス堀江というレストランが入る
洒落た建物がオープンしました。ここは夜ともなると
リバープレイス側の灯りが水面に写り、それを見ながら ゆったり
キャンプ料理や、お酒を頂くという設定のところだそうです。
さらに12月には、この間を結ぶ浮庭橋という橋も完成するようです。
落ち着いた夜の時間を楽しめるゾーンが、西道頓堀にできていますので
紹介してみました。

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           キャナルテラス堀江
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          もうすぐ完成の浮庭橋

大阪街歩き-60 ブリーゼ ブリーゼ

西梅田に新しいショッピングスポット 「ブリーゼ ブリーゼ」 が
10月にオープンしました。
元々 サンケイホールのあった、サンケイビルが建替えられて
新しく1階から地上6階部分が、お洒落なショッピングゾーンや
レストラン・映画と、新しいサンケイホールになりました。
そして、このビルの曽根崎通り(国道2号線)側から、ガーデンアベニューと
呼ばれる、ハービスプラザ側に抜けられる、設計のエントランスに
なっているので、新しい西梅田のお洒落なビル街が結ばれて
ぐるっと散策出来るようになりました。どこか、大阪らしくない?街並ですが
なかなか洒落たところです。
梅田から直ぐのところですので、一度 足を伸ばしてみては
如何でしょう。

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ブリーゼ ブリーゼ のハービス側のエントランス
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ブリーゼ ブリーゼ 吹抜ホールの人形
予定の時間になると動きます。

大阪街歩き-61 中之島イルミネーション ストリート

12月1日~25日まで、中之島イルミネーションが開催されます。
また 12月8日からは、御堂筋イルミネーションが
平成21年2月28日まで行われます。
大阪の冬は、各スポットのクリスマスイルミネーションを加えて
光の大阪にドレスアップしました。
私も早速、中之島イルミネーションを見に行って来ましたので
紹介致します。

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大阪市庁舎前の光のクリスマスツリーです。
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みおつくしプロムナードが
イルミネーションストリートに変貌しました。

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ライトアップされた水晶橋です。

大阪街歩き-62 リモデルスタイルフェアの様子

インテックス大阪で、11/28・11/29 に リモデルスタイルフェアが
開催されました。このフェアは、TOTO・ダイケン・YKK の3社が
合同で開催しているものです。
現在 住宅業界にも、アゲインストの風が吹いていますが
会場には、熱心な お客様が沢山 見えていましたので
その様子を ご紹介します。

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        モデル展示内での様子
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       戸建モデルまるごとの展示
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      テーマごとの施工パネル展示

大阪街歩き-63 阿倍野の新しいスポット Hoop と and

近鉄阿倍野百貨店が、超高層ビルに建替られる関連で
百貨店南側の Hoop の裏に、近鉄百貨店の別館の and が
オープンしました。このあたりは、以前は、ごちゃごちゃした
古い街並みでしたが、Hoop に続いて and のオープンで
阿倍野の古い街のイメージとは違う、お洒落な雰囲気の街に
様替りしました。今なら Hoop では、クリスマスイルミネーションも
綺麗に飾られています。

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             Hoop 全景
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     Hoop の隣に新しくできた and

大阪街歩き-64 天保山 イルミネーション

天保山ハーバービレッジ でも、クリスマスイルミネーションが
行われています。チョット場所が、大阪中心部から離れてますが
素晴らしいイルミネーションです。
私は 事務所の仕事を片付けて、地下鉄大阪港まで行って来ました。
ジンベイ鮫 や エイ をモチーフにしたイルミネーションは
とっても幻想的でした。また、天保山大観覧車もイルミネーションされて
いるので、このエリア全体が、おとぎの国のようです。
是非 必見のクリスマスイルミネーションです。

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大阪街歩き-65 鶴橋国際マーケット

JR鶴橋駅と近鉄鶴橋駅に隣接して広がる 鶴橋国際マーケット
(鶴橋商店街) は、戦後の闇市の時代から続く商店街です。
一班 二班 というような区切りに、その当時の面影が感じられます。
ここは国際と名のつくように、コリアン系の焼肉・キムチ・ブティック
雑貨店・ちじみの店 等、韓国のもので活気に満ちています。
ここに行くと、まるで南大門市場にきたような気になります。
最近は有名になって、いつも観光客や近郊からのお客さんで
賑わっています。
一度 手軽に、韓国気分を味わいに行って見ませんか。

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  観光客や近郊からの客で賑わうお店
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       近鉄鶴橋駅ガード下もお店


大阪街歩き-66 クリスタ長堀

大阪の地下街で 一番新しい地下街が クリスタ長堀 です。
場所は、昔 長堀川が流れていた、四ツ橋から堺筋の長堀橋までの
東西 約730m、現在の長堀通りの地下です。
この地下街の特徴は、ディアモールと同じで
空が見えるトップライトがあり、そこに水を流し
昔の長堀川をイメージしていることです。
地下街には、靴底を張替えてくれる、お店何かもあり
ここは連日、女性のお客さんが順番待ちをしています。
また、輸入食品のジュピターやイタリアンスイーツにイタリア料理
さらに フランスのパン屋さん、カフェと多国籍なお店が並んでいます。
心斎橋に来られたら、チョット寄って行きませんか。
地下鉄 心斎橋・四ツ橋・長堀橋 に直結しています。

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          窓の見える地下街
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          クリスタ長堀のお店

大阪街歩き-67 美々卯本店

最近は、四国のうどん店が大流行ですが、大阪で、うどんと言えば
「美々卯」 と言われるほどの名店です。
特に私は、美々卯の 「うどんすき」 が、オススメだと思います。
偉そうな言い方をすれば、ただの 「うどんすき」 ではないのです。
これから鍋の季節、チョット贅沢して
美々卯のうどんすき何て如何でしょうか。

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大阪街歩き-68 阪急三番街 川の流れる街

阪急三番街は、大阪万博の開催の前の年に、阪急梅田駅が環状線の
北側に移設全面完成した、1969年11月に
その駅のホームの下に完成しました。
当時は、トレビの泉を模した人工池や、川の流れる街が話題になり
本当にコインを入れる人が多く、大阪の新しい観光名所になりました。
しかし 今でも古い感じは全然しなくて、いつも人通りの絶えない街です。
地下2階が川の流れる街の飲食店、地下1階がファッション関係の
お店と趣味関係のお店、1階が紀伊国屋や阪急の高速バスターミナル
そして2階が阪急梅田駅のコンコース、そして3階が阪急梅田駅の
この巨大な複合ビルを、久しぶりに散策して見ました。

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阪急三番街のトレビの泉です。
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阪急三番街地下2階の川の流れる街です。

大阪街歩き-69 安治川隧道探検

大阪の中之島の一番西の端で、堂島川と土佐堀川が合流したところで
川は、安治川 と 木津川 と名前を替えて、再び分かれます。
そのうちの安治川には、中之島西端に架かる、船津橋から43号線の
安治川大橋までの間、約2kmに橋はありません。そのため ここには
船の航行の邪魔にならないように、安治川隧道(トンネル) という
日本で最初の川底トンネルがつくられ、昭和19年に完成しました。
以前は、自動車ごとエレベーターで川底まで運んでいましたが
今は、人と自転車専用のトンネルになっています。
チョット 不思議な感じの体験出来る、地下14m 長さ80m の
小さな冒険旅行です。尚 料金は無料です。
場所は、JR・阪神西九条駅から南へ 約250mの所にあります。
一度、安治川隧道に潜ってみませんか。

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安治川トンネル北側口
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安治川トンネルエレベーター
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安治川トンネル内部

大阪街歩き-70 昔 府庁のあった江之子島

橋下知事の大阪府庁 南港WTC移転が、話題になってますが
昔 現在の大阪府庁の前に府庁があった場所が、西区江之子島に
あります。中之島の一番西の端で、土佐堀川が安治川と木津川に
分かれて、直ぐの木津川沿いが江之子島です。
元々は、東側にも堀があったようですので
本当に小さな島だったようです。明治時代に、初代の大阪府庁が建てられ
続いて市役所も建てられました。そして、木津川の対岸の川口には
外国人居留地が設けられ、モダンな洋館建築が立ち並んでいました。
当時の大阪のもっとも近代的な街でした。
その後、府庁があった場所の南隣に
大阪府工業奨励館付属工業会館が建てられました。
この建物は、その後の大阪モダン建築につながる建築です。
現在は、立ち入りを遮る塀で囲われて、使われずに佇んでいます。
府庁があったあたりの道路の木津川にある、天満宮神幸御上陸地の
石碑が、ここに府庁があった場所の証を
示すように ひっそり建っていました。

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           江之子島の風景
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          府庁があった場所
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江之子島の大阪府庁(大阪市100年より)

大阪街歩き-71 福沢諭吉が生まれた ほたる街

大阪 堂島川の北岸、元阪大病院があったところが、水都プロジェクトとして
開発されて、新しく ほたる街 という、ネーミングの街に生れ変りました。
実は ここは、元々 中津藩邸のあった場所で、ここで 福沢諭吉 が
生まれたんです。私も知りませんでしたが、ほたる街に行きますと
石碑が立てられていました。
中之島のウォーターフロント整備として、遊歩道も出来ています。
京阪中之島線が開通した事で、行きやすくなってますし
これからの季節、ウォーキングのコースとしても良いかも知れません。

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           ほたる街 全景
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       福沢諭吉 生誕地の石碑

大阪街歩き-72 大阪ヒガシ副都心 京橋界隈

大阪京橋界隈を、最近 キタ ミナミ に対抗して ヒガシ
呼んでいるようです。そこで その大阪 ヒガシ を巡って見ました。
京橋は、もともと 飲食店・風俗店・ホテル街 等の、ゴチャゴチャした
怪しげな大阪らしい街でした。しかし、旧弁天島に大阪ビジネスパークが
できて、京阪電車が高架になり、立派な駅ビルとショッピングモールができ
地下鉄鶴見緑地線が開通して、副都心的な街並みができてきました。
近代的なビル街と、怪しげな街並みが混在する
大阪の副都心 ヒガシ を、一度訪ねて見て下さい。

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京橋の新しいエリア 大阪ビジネスパーク
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JR京橋駅 東側の歓楽街

大阪街歩き-74 阪急百貨店建替え外装工事完成

大阪梅田の阪急百貨店の建替え工事の南側部分が、ほぼ完成し
9月3日にオープンするようです。北側工事を含めた全体としては
2011年完成予定ですが、大阪駅前・御堂筋 に面した
南側が先に完成しました。

全てが完成しますと、売り場面積 84.000㎡ の
日本最大のデパートになります。
また、阪急梅田タワーと呼ぶ この建物の高さは
187m 地上41階 地下2階 です。
百貨店部分のクラシカルなデザインの上に、モダンな超高層部分を
足したような外観には、賛否両論があるようですが
何れにしても目立つ建物です。

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大阪街歩き-75 新町遊郭を訪ねて

大阪西区新町には、江戸時代 新町遊郭 と呼ばれた
幕府公認の遊郭が在りました。

今の道路で言うと、東が、西横堀川のあった現在の阪神高速道路。
西が、なにわ筋あたり、北が、厚生年金会館のあるあたり。
そして南が、長堀川のあった長堀通りあたりで
これらに囲まれた新町が遊郭でした。

そして、近松門左衛門や井原西鶴によって書かれた話が
歌舞伎や落語になり、そこに登場する有名な太夫が、夕霧太夫です。
その夕霧太夫 目当てに、西横堀川に架かる新町橋や
長堀川に架かる四ツ橋を渡って、男達が新町遊郭に通ったようです。

そんな新町遊郭の面影を訪ねて、西区新町を散策しました。

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阪神高速道路の下に残る、新町橋の石碑です。
当時 この橋を渡ると新町遊郭でした。

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戦後まで、新町に芸子さんが居た事を今に伝える
新町演舞場のあった建物。
現在は、大阪屋という書籍会社が使っています。

大阪街歩き-76 南堀江のミュゼ オオサカ

今 新しく、若者文化を発信している、南堀江のフレキシブルな
レストランとして、人気のお店です。堀江公園に面した角にある
ガラス張りの建物で直ぐにわかります。フレンチやイタリアンのエッセンスを
活かした料理 「本日のおすすめ料理」 1600円~が人気です。
立花通り オレンジストリート でのショッピングの後に
最適なところかと思いました。

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ミュゼ オオサカ 堀江公園側
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ミュゼ オオサカ 立花通りからの角

大阪街歩き-77 天王寺七坂ー1 逢坂

大阪には 天王寺七坂 と呼ばれている、七坂の歴史ある坂があります。
ほぼ 平坦な大阪では珍しい、坂のある道を紹介します。
第1回は、天王寺側から。

逢坂
私は、大阪の町の名前は、ここから来ているのでは と
秘かに思っていますが(一般的には、石山本願寺住職説ですが)
この坂は、今とは違って、かつては急な坂だったようですが
観音寺住職 清明 が、1876年 土盛りして
拡張して現在の姿になったそうです。
逢坂の近くにある、この安居神社は、大阪夏の陣で戦った
真田幸村の最期の地とされ、その石碑があります。

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逢坂の石碑と高札です。
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安居神社 真田幸村 戦死跡碑です。

大阪街歩き-80 水都大阪2009 終了

8月22日から、大川(淀川)・堂島川・土佐堀川・東横堀川・道頓堀川
木津川 と、その河岸や中之島を中心に、様々なイベントが
開催されていましたが、10月12日をもって終了しました。
そこで、その会場となった、中央公会堂や難波橋
中ノ島公園の夜景を ご紹介します。

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          中ノ島中央公会堂
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            難波橋と北浜
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              バラ園


大阪街歩き-81 天王寺七坂ー3 天神坂

天神坂は、菅原道真を祀った安居神社の北側にあることから
この名がついたようです。

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               天神坂
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             天神坂湧水

大阪街歩き-82 天王寺七坂ー4 清水坂

清水坂
京都の清水寺を模した、有栖川清水寺の北側にある坂です。
昔から名泉所と知られ、天王寺七名水と親しまれていたそうです。

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               清水坂
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昔あった大阪清水寺(大阪市100年より)

大阪街歩き-83 天王寺七坂ー5 口縄坂

口縄坂
「口縄」とは、蛇を意味するそうで、坂の下から眺めると蛇に見えた事から
この名がつけられたという説です。
坂の上には 「織田作之助」 の文学碑が立っています。

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              口縄坂
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          口縄坂 石碑 高札

大阪街歩き-84 天王寺七坂ー6 真言坂

真言坂
この坂は、千日前通りから入ります。名前の由来は 真言宗六坊 が
この坂のあたりにあることから名前がつけられました。
他の坂と違うのは、この坂だけが、北から南へ上がる坂です。
そして上がりきりますと、生国魂神社に続いています。

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              真言坂
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            真言坂 高札

大阪街歩き-85 大塩平八郎 終焉地

大塩平八郎は、大坂町奉行所の与力を勤めた後
養子 格之助に与力職をゆずり隠居していた1837年
天保の飢饉による米の買占めに対する、住民の不満を代表して
徳川幕府(大坂町奉行)に対して、蜂起しました。
これが世に言う「大塩平八郎の乱」です。
その大塩平八郎の終焉の地が、大阪西区靭本町1丁目の
天理教教会の前にあります。

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      大塩平八郎 終焉の地 石碑
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      大塩平八郎 終焉の地 高札

大阪街歩き-86 巨大獅子の神社(難波八阪神社)

大阪のドギツイ広告は有名ですが、難波に ずぼらやのふぐや
かに道楽のかにの看板 を上回る、高さ12m 巾11m の
獅子殿のある、大阪らしい神社があります。

それは、難波八阪神社という祭神に、スサノオ尊 奇稲田姫命
八柱御子命 を頂く神社です。夏祭りの折りには、その獅子殿の
口の中が舞台になって、獅子舞が舞われるそうです。
また、その獅子の両目がライト、鼻がスピーカーになって
光と音を出すそうです。いかにも大阪らしい、洒落っ気のある神社です。
しかしながら創建は不詳だそうです。

また境内には、謎の沈没をした、戦艦陸奥の大砲の部分が
記念碑として、立っていました。
さて 行き方ですが、高島屋前を斜め右に歩いた、次の元町2丁目の
交差点を大国町の方へ進むと、右手に東横インが見えます。
その東横インの直ぐ裏手の道に面しています。
なんば高島屋から徒歩12分程です。

一見の価値は、あると思いますが如何でしょう。
きっとビックリしますよ。

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難波八阪神社の巨大獅子殿
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巨大獅子殿の舞台になっている口の中


大阪街歩き-87 堂島薬師堂

大阪堂島にある 堂島アバンサ庭園 に、人工衛星のカプセルのような
建物が、人工池に浮んで見えます。これが 堂島薬師堂 です。

この薬師堂の歴史は古く、聖徳太子の四天王寺創建の頃にまで
さかのぼります。その頃 聖徳太子が、四天王寺創建のための
建築資材を運ばせていた船が難破し、堂島あたりの中洲近くに
流れ着いたそうです。そこで聖徳太子が、その中洲に お堂を
建てたのが、起源とされています。

そして 明治時代まで、堂島川と曽根崎川に挟まれた中洲に
薬師堂がありましたので
このあたりを 堂島 と呼ぶようになったそうです。

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           堂島薬師堂 全景
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            薬師堂弁財天


大阪街歩き-88 「菜の花や 月は東に 日は西に」の場所

「菜の花や 月は東に 日は西に」 は、与謝蕪村が
京都東山での句会で、連句として発句したものと伝わっています。

実は、この句の読まれたところは、大阪北区茶屋町です。
明治の初めの頃、茶屋町あたりは、一面 菜の花畑だったようで
蕪村は、夕方のこのあたりを、俳句に読んだものと思われます。

さて、その蕪村の句碑が、茶屋町の梅田芸術劇場の前にあります。
何か モニュメントのような句碑ですので、お見逃しなくご覧下さい。
つまりは、このあたりが、夕陽の映える 菜の花畑だったという事です。

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             蕪村の句碑
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  梅田芸術劇場前の句碑のある植込み

大阪街歩き-89 堂島毎日新聞社跡モニュメント

大阪毎日新聞社は、1922年(大正11年) 堂島に石造りの
本社社屋を構えました。戦災にも遭わず、堂島の顔として
中ノ島の朝日新聞とともに、堂島界隈のカルチャーな
雰囲気の街並みを形成してきましたが
1992年(平成4年) 西梅田に移転しました。

その跡に建設された、アバンサの四ツ橋筋正面に
毎日新聞堂島社屋の正面玄関を復元した
モニュメントが建てられています。
このモニュメントで、堂島にあった御影石5階建の
毎日新聞社を偲んで下さい。
場所は、地下鉄西梅田駅直ぐです。

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堂島アバンサ正面にある
元毎日新聞社 大阪本社正面玄関モニュメント

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モニュメントを説明するプレート板

大阪街歩き-90 中崎町界隈

今 北区中崎町界隈で、古い町家を改装した 雑貨店・ブティック
カフェ などの お店が、若い人達に人気です。
ガイドブックや地図、デジタルカメラを持った若い女性達や
カップルが、土日には、結構 中崎町を歩いています。

若者の人気の街が、アメリカ村から南堀江、さらに中崎町と
広がっているようです。
そんな中崎町を紹介します。

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JAM POT という雑貨店
地下鉄中崎町駅2号出口 北への通り直ぐ

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町家を改装した美容院

大阪街歩き-91 越中井

中央区森之宮にある史跡 越中井 は
戦国大名 細川越中守忠興 の屋敷にあった
台所の井戸の跡です。

石田三成が、細川忠興の夫人 玉子(洗礼名 ガラシャ)に
人質になるように申し入れたが、それを拒否して
家来に自分を殺害させて、屋根に火をつけて亡がらを
わからないようにしたと伝えられる、歴史上の場所です。

近くには、そのガラシャ像と、高山右近像のある
玉造教会もあります。

場所は、JR森之宮 または 地下鉄森之宮2号口から
中央通り西へ、旧府立青少年会館 越えて左
歴史散歩道 南へ5分の所にあります。

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         越中井の井戸と石碑
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      越中井に続く歴史の散歩道


大阪街歩き-92 歯神社 ご存知ですか

大阪梅田に 歯神社 という小さな神社があります。
文字通り 歯の神様で、歯医者さんや歯ブラシ
歯磨き関係の方も参られるそうです。
場所は、JR高架下のショッピングモールエストの一番東端を
出たところの正面にあります。

この神社のいわれは、この地域の農耕神として
お祀りされていた、稲荷神社のご神体の巨石が
決壊した淀川の濁流をせき止めた、歯止めた事から
歯止めの神様として信仰され、後に その語インが転じて
歯痛止めに、霊験があるという事になったようです。
毎年 6月4日が例祭日で、この日は 無料で
歯ブラシが配られるそうです。

街角の小さなお社ですが、調べてみると
こんなことが見つかりました。お近くに行かれましたら
寄ってみて、お参りしてみて下さい。

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           歯神社 鳥居正面
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            歯神社 全景

大阪街歩き-93 滝見小路

今回は、梅田スカイビル地下1階にある
昭和初期の下町情緒を再現した地下飲食街
滝見小路 を紹介します。

昭和初期の暮しを再現するために
当時の鉄板製の看板や、駄菓子屋 井戸 お稲荷さん
そしてダイハツミゼットの2代目などと
昭和初期風の建物で、小路が作られています。
チョット 昭和初期にタイムスリップした気分です。

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滝見小路裏路地の井戸と駄菓子屋
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滝見小路の表通りに停車しているダイハツミゼット


大阪街歩き-94 国産ビール 発祥の地

大阪市北区堂島の新ダイビルとANAクラウンプラザホテルの
北側の三角形の木立のところに
国産ビール発祥の地の石碑が立っています。

ビールの醸造は、横浜で外国人の手で、作られていたようですが
日本人が作ったビールは、大阪天満の渋谷庄三郎が
明治5年3月から 「渋谷ビール」 として醸造販売したのが
最初とされています。
明治の時代から新しいもの好きの大阪人は、居たようです。

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国産ビール発祥の地の石碑
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国産ビール発祥の地の石碑のある木立


大阪街歩き-95 淀君の墓

大阪北区 大融寺に、ひっそりと 淀君の墓 があります。
梅田曽根崎警察署と、工事中の富国生命ビルの間の
扇町通りを、東に350m程 歩いた右側に、大融寺が見えてきます。
(扇町通りの反対側、東急インの向い)

その境内に入ると、一番隅っこに、淀君の墓がひっそり建っています。
NHK大河ドラマ「天地人」にも登場する、日本の歴史を左右したとされる
女性の墓にしては、質素な感じもします。
一度 お訪ねになっては、如何でしょうか。

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             淀君の墓
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             淀の方の碑

大阪街歩き-96 陶器神社

大阪 本町に、陶器神社があります。
このあたりが、陶器の問屋街でしたので
出来たものと思っていましたが、以外に歴史は古く
1848年~1853年に、さかのぼるようです。
大陶祇神(おおすえつちのかみ) 迦具突智神(かぐつちのかみ)
を お祭りしている神社さんです。

毎年7月の大祭には、せともの祭りも行なわれています。
現在の社は、昭和46年に再建されたようですが
色んなところに陶器神社だけあって、陶器が使われています。

この陶器神社は、坐摩(いかする)神社の境内にあり
地下鉄本町駅15号出口から、西南200m 丁度
御堂筋本町の伊藤忠やINAXの入っている
大阪センタービル(茶色の大きなビル)の裏手にあたります。

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            陶器神社 社殿
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           陶器神社 陶板碑

大阪街歩き-97 弁天埠頭

弁天埠頭 は、南港の かもめ埠頭 が出来るまでの
大阪の国内航路のターミナルでした。そのうちの別府航路は
新婚さんのハネムーンで、賑った時代もありましたが
今は、関西汽船 加藤汽船の建物があるだけで
航路の運航は、なくなってしまいました。

一時代前の大阪の、海の玄関の面影をみることができます。

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関西汽船 加藤汽船の旅客ターミナルビル


大阪街歩き-98 なにわ七幸(ひちこう)めぐり

大阪に七つの社寺を巡って、幸せに授かるという
お参りがあります。お参りした それぞれの社寺で
ご朱印を頂いて、お家で飾っておけば、幸せに恵まれるそうです。
是非 皆さんも 「なにわ七幸めぐり」 して見ませんか。

それでは、その七つの社寺をご紹介します。

一番 大阪天満宮 学業成就
二番   住吉大社 厄除祈願
三番 四条畷神社 心願成就
四番  大念仏寺 諸芸上達
五番    大融寺 無病息災
六番 今宮戎神社 商売繁昌
七番   四天王寺 家内安全

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なにわ七幸めぐりの立て札(四天王寺)


大阪街歩き-99 大阪府下散策ー1 白鳥伝説

この企画では、大阪市内に拘らず、大阪府下を散策した時に
見つけた史跡やスポットを、紹介したいと思っています。

そこで 第1回は、白鳥伝説 にまつわる場所を紹介します。

そもそも 白鳥伝説 とは、「日本武尊 ヤマトタケルノミコト」 が
悲運の最期を、現在の三重県亀山で迎えましたが
その後 白鳥になって、最後に降りた地にまつわる伝説です。
その地が、大阪の羽曳野です。(諸説ありますが)
その羽曳野に、白鳥稜古墳と白鳥神社があり
ともに、日本武尊を祀っています。

古代日本の成り立ちにかかわる史跡が、大阪にあります。
これからの季節、一度 散策してみては 如何でしょうか。

尚 行き方は、近鉄南大阪線 古市下車
白鳥神社は、踏切を渡って徒歩2分です。
白鳥稜古墳は、古市駅から徒歩7分です。

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             白鳥稜古墳
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            白鳥神社鳥居

大阪街歩き-100 なにわ七幸(ひちこう)めぐり-1 大阪天満宮

大阪天満宮は、901年に菅原道真が、大宰府に行く時に
この地にあった大将軍社に、参詣して行ったと伝えられ
そののち、菅原道真 没後に、その大将軍社の前に
7本の松が生え、霊光を放った事から、それが都に伝わり
時の村上天皇の勅命で、949年 天満宮が創建されたのが
始まりとされています。
よって 主祭神は、菅原道真交
そして 一番目の幸は、学業成就です。

行き方は、地下鉄谷町線南森町駅4-B口 徒歩5分
または、JR東西線大阪天満宮駅駅ビル エレベーター出口
徒歩5分です。

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大阪天満宮(お正月の様子)
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大阪天満宮 本宮

大阪街歩き-101 なにわ七幸(ひちこう)めぐり-2 住吉大社

なにわ七幸めぐりの二番目は、住吉大社です。
ここでは、厄除祈願の幸を授かりますように、お参りします。

海の神 住吉三神 を祀る住吉大社は、住吉造りと呼ばれる
本殿や、住吉鳥居と呼ばれる、四角柱の鳥居なども知られています。
さらに 淀君が寄進したとされる、反橋(太鼓橋)を渡って
お参りする参拝風景は、今も昔も変わらず続いています。

さあ 二番目の幸せ、授かりましたでしょうか。

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住吉大社正面鳥居
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淀君寄進の太鼓橋

大阪街歩き-102 野田藤

昔 関西では、吉野の桜・野田の藤・高雄の紅葉 と称され
太閤秀吉も見物したと言われる 野田の藤 が
4月から5月にかけて咲きます。

そこで、この野田の藤を紹介します。
この野田は、福島区の野田のことで、今の住所地名では
野田の隣、玉川1丁目にある春日神社が、野田藤の発祥の場所と
されています。また 下福島公園にも石碑があります。
桜の次は、文字通り 藤色の藤 が、見頃になる季節がやって来ます。

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      下福島公園の野田藤の石碑
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          下福島公園の藤棚

大阪街歩き-103 鴫野古戦場

大阪市城東区鴫野に石碑が残る 鴫野古戦場 は、大阪冬の陣で
西軍と東軍が戦闘をくりひろげたところで、上杉景勝や直江兼続も
参戦したとして、歴史に残っています。

現在は、城東小学校の校門のところに、石碑と説明板が残るだけですが
説明文を読みながら辺りを見ていると、冬の陣の光景が
目に浮かんでくるようです。

行き方は、JR学研都市線鴫野駅下車、高架横の道を東へ約8分程で
城東小学校に着きます。その東側の裏門のところです。

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            鴫野古戦場碑
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           鴫野古戦場説明板

大阪街歩き-104 市電が最初に走った場所

大阪に市電が走ったのは
1903年(明治36年) 花園町ー築港桟橋 間です。
花園町というのは、現在の九条新道で
築港桟橋は、今の大阪港中央突堤にあたります。
そして、1969年(昭和44年)に、交通停滞を理由に
全線廃線されてしまいました。とても残念です。

その市電開業の地の石碑が、九条新道に建っています。

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           九条新道の石碑
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        九条商店街 九条新道側

大阪街歩き-105 平野郷散策ー1

平野郷は、平安時代 日本最初の征夷大将軍 坂上田村麻呂の子
坂上広野麻呂の領地であったところから 広野 と呼ばれていましたが
それが訛って 平野 になったと言われています。

その後 戦国時代には、織田信長の攻撃から守るために
環濠(堀)を周囲に巡らし、環濠自治都市と呼ばれる
独自の自治を確立しました。しかし その後、豊臣秀吉の時代には
その環濠も埋められ、有力な商人も大阪城下に移転させられ
今日に至っています。

そんな 平野郷 をご紹介します。

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          平野郷 歴史案内板
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           平野の大念仏寺

大阪街歩き-106 なにわ七幸(ひちこう)めぐり-3 四条畷神社

四条畷神社は、建武中興 15社 の1社に数えられる神社です。

南朝の将として戦い、四条畷の戦いで敗死した 楠木正行(小楠公) を
主祭神としています。そのため 境内には、太平記の話しで有名な
「桜井の別れ」 のシーンの石像が立っています。

尚 「桜井の別れ」 とは、楠木正成 正行 父子が、湊川の戦いに臨む前に
現在の島本町桜井で、今生の別れをしたという 「太平記」 の名場面として
伝えられている話しです。

そんな事から ここ四条畷神社の幸は、心願成就です。

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             四条畷神社
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            桜井の別れの像

大阪街歩き-107 平野郷散策ー2 南海路面電車跡

平野には、昭和55年まで、南海電鉄の路面電車が走っていました。
その電車が廃線になった跡が、遊歩道や公園として残されています。

その場所には、信号機やレールを模した歩道など
今にも電車が走って来そうな気がします。
ノスタルジックな、優しい空気の流れる平野です。

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南海平野線終点跡のホームと線路を模した公園
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平野線の電車の絵が描かれた公園

大阪街歩き-108 平成OSAKA 天の川伝説 開催

7月7日 本日19時から21時に
大阪 大川 天満橋エリアで 天の川が
応募した参加者の手で実現します。

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天の川が再現される 大川 八軒家浜付近
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昨年の大川にできた天の川

大阪街歩き-109 谷崎潤一郎 「蓼喰ふ虫」 の碑

大阪には、大阪ゆかりの文学者の石碑が多くありますが
千日前通り日本橋の、国立文楽劇場へ行く歩道に
谷崎潤一郎 「蓼喰ふ虫」 の黒い石碑が立てられています。
チョット 見過ごしてしまいそうな石碑ですが
近くに行かれましたら、寄ってみてください。

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谷崎潤一郎 小説 「蓼喰ふ虫」 の石碑
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石碑のある 千日前通り日本橋界隈

大阪街歩き-110 上本町新歌舞伎座

今年9月3日、柿葺落興行が行なわれる、上本町駅南複合ビル内の
新歌舞伎座の外観が、ほぼ見えてきました。
正面を唐破風をイメージしたルーバーで覆った新歌舞伎座が
ほぼ出来上がりました。
難波の新歌舞伎座は、建築界の巨匠 村野藤吾 の設計でしたが
今回は、そのイメージを残したデザインという事ですが
随分 近代的なビルになりました。
大阪の新しい劇場が、この夏 オープンします。

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歌舞伎座の入る上本町の新しいビル

大阪街歩き-111 中ノ島リバーサイドグリル&ビアガーデン

中ノ島公園のバラ園に、オープンスタイルの素敵な
レストラン&ビアガーデンがオープンしています。
堂島川とバラ園を眺めながらの食事とビールは
きっと美味しいことでしょう。

一度 行ってみませんか。
難波橋からバラ園内の堂島川沿い直ぐです。

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バラ園から見たリバーサイドグリル&ビアガーデン
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堂島川から見たリバーサイドグリル&ビアガーデン

大阪街歩き-112 なにわ七幸(ひちこう)めぐり-4 大念仏寺 

大念仏寺は、どこにあるのか、と思われる方も多いかも知れませんが
このお寺は、平野区のJR平野駅から南に5~6分の所にあります。
伝統仏教宗派13宗の一つ、融通念仏宗の総本山が大念仏寺です。
伝統仏教宗派で、大阪に本山があるのは、融通念仏宗だけです。
そして、このお寺をお参りして授かる幸は、諸芸上達です。

融通念仏宗は、1127年 良忍上人が、鳥羽上皇の勅命を受けて
平野で念仏道場を開いたのが始まりです。仏教でいう融通とは
「姿かたちも働きも違うものが、ひとつに調和し、とけあう姿」を
融通というそうです。そして、融通無碍の境地に達するために
念仏の力が役に立つという教えです。

是非 融通念仏寺にお参りして
我という障害を、一時でも取り払って頂きたいものです。

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大念仏寺本堂
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大念仏寺正門

大阪街歩き-113 北港ヨットハーバー 

北港ヨットハーバーは、此花区の新淀川と正蓮寺川に挟まれた
突端になる、常吉になります。
向いは 舞洲で、とても大阪とは思えないような、海辺の風景です。

大阪湾の穏やかな波で、ヨット遊びや練習ができる場所になっています。
チョットしたリゾート気分を味わえますよ。

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北港ヨットハーバーの風景
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ヨットハーバーに停泊している
間寛平が世界一周に乗って行ったヨット

大阪街歩き-114 北浜の川床喫茶 「MOTO COFFEE」

難波橋(ライオン橋)の北浜側たもとに、川床のある喫茶
「MOTO COFFEE」と云う、川床になったオープンテラスのある
喫茶店があります。
土佐堀川に吹く川風にあたりながら、中ノ島公園を眺められる
ロケーションです。宵やみの涼しい時間、チョットひと息 如何ですか。

場所は、京阪・地下鉄 北浜駅、難波橋側出口直ぐ
北浜ライオンビル1階です。

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難波橋南詰から見た 喫茶 MOTO COFFEE です。
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MOTO COFFEE の川床オープンテラスから
中ノ島公園を望む

大阪街歩き-115 大阪市道路元標(梅田新道)

大阪市の道路の起点終点になっている場所が
大阪市道路元標地点です。
現在は、梅田新道交差点北西角にあります。

この地点は、昭和27年 新道路法が制定されて
この位置に設けられました。それまでは、中ノ島の大阪市庁舎前
さらに それ以前は、高麗橋東詰に、明治9年里程元標が設けられました。
今も高麗橋には、里程元標の石碑が残っています。

このように、大阪市の道路の起点終点地点も
時代と伴に変化しているのが
ここから、うかがうことができます。

梅田新道に行かれたら、寄ってみては如何でしょうか。
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大阪市道路元標
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梅田新道交差点と道路元標

大阪街歩き-116 大阪湾から見た南港WTC

大阪湾から見たWTCです。
いろいろ論議のあるWTCですが、日本では、横浜ランドマークに次いで
高いビルです。南港が海から見て、絵になるような景観になるのは
いつのことでしょう。

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舞洲から見た南港WTC

大阪街歩き-117 万代池

住吉区帝塚山に、万代池という池があります。
一説には、聖徳太子が、この池に棲む魔物を鎮めるために
曼荼羅経をあげた事から、まんだら池と呼ばれていたそうで
そこから転じて、万代池になったそうです。

池のたもとを、熊野街道が通っていますので、街道を熊野へ向う
昔の人達も、ここで一休みして、池を眺めたように思います。
そんな熊野街道の石碑も建てられています。

行き方は、阪堺電軌上町線 手塚山3丁目電停下車 直ぐのところです。
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万代池の風景
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熊野街道石碑

大阪街歩き-118 天神橋筋夫婦橋

天神橋筋4丁目の阪神高速道路守口線の高架下に
夫婦橋がありました。

元々ここも、天満堀川という川がありましたが
高速道路工事と共に、埋められてしまいました。
現在は、橋の欄干親柱に夫婦橋と書かれてますので
良く見ると橋が、この場所にあったことがわかります。

夫婦橋のいわれは、元々この地に、夫婦池と呼ばれた二つの池が
あったことから付いたという説と、二つの池の廻りに住んでいた
若い夫婦の夫が、旅に出かけて帰らず、寂しさで妻が池に身を投げ
帰ってきた夫も後を追ったとかで、その夫婦を偲んで、ここに架かる
橋の名になったという説があるようです。

そんな物語のある、天神橋筋の夫婦橋です。
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           夫婦橋の石碑

大阪街歩き-119 西淡路の高射砲台跡

東淀川区の西淡路に、戦時中に造られた高射砲台跡が
現在 住宅に使われて残っています。砲台は、建設当時 6基ありました。
今残っているのは4基ですが、1基は、改装されて工場に
残りは、住宅として使われています。

この高射砲台は、来襲する敵の戦闘機や爆撃機を迎撃する為に
設置されたもので、太平洋戦争の末期、日本中が空襲を受けた
悲惨な時代の証人として残っています。

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道路から見た高射砲台

大阪街歩き-120 「てっぱん」 に出てくる電停

NHKの朝ドラ 「てっぱん」 によく出てくる
阪堺電車の電停(駅)が、上町線手塚山4丁目駅です。
今や、結構 有名になりつつあります。

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阪堺電車 手塚山4丁目駅(電停)

大阪街歩き-121 大阪歴史博物館ー1

大阪歴史博物館は、2001年開館した、大阪の歴史を難波宮の時代から
現代まで、見る事のできる博物館です。
館内は、10階 難波宮、9階 中世近世、7階 近代現代
B1階 難波宮地下遺構 と、見ることができます。

私たちの暮らす大阪の歴史を、あらためて見てみませんか。
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馬場町から見た歴史博物館
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中央通りから見た歴史博物館


大阪街歩き-122 大阪歴史博物館ー2

大阪歴史博物館10階フロアには
難波宮 大極殿が、原寸大で復元されています。

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難波宮 大極殿が復元されています。


大阪街歩き-124 高津宮 縁結び坂(相合坂)

高津宮には、北と南から登って、合流してから登れる坂があります。
この坂を 縁結び坂(相合坂) と呼んでいます。
男と女が、南側と北側 それぞれから登り、ちょうど合流地点(踊り場)で
出会うと、相性が良いとされています。
大阪らしい、洒落のような相合坂です。
ちなみに その少し西側に、古い鳥居に登る西坂がありまして
これを 縁切り坂 と呼んで、ここで悪縁を切ってから
相合坂で良縁に出会うと云う段取りのようです。

さて、悪縁を切って良縁を得たい方は
高津宮に行かれては、如何でしょうか。

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相合坂 登り口
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南と北から登ってきて出会う場所

 

大阪モダン建築巡り 第1回、元消防署がイタリアレストラン

大阪街歩き の新しいシリーズとして、今日から 大阪モダン建築巡り
始めることにしました。大正末から昭和の初め、大阪は東京を凌ぐ人口と
市域を誇り、東洋一の商工都市として賑わった時代がありました。
その時代に建てられた、当時としては最先端のモダンな建築が
現代に残されています。それらのモダンな建物を巡って
大阪が輝いていた時代に、思いをはせたいと思います。
そこで第1回は、元消防署がイタリアレストランとして活かされている
建物を紹介します。

大阪中央区今橋四丁目に、元消防署(今橋出張所)を改造した
イタリアレストランがあります。「アンティカ オステリア ダル ポンピェーレ」
という名前です。オステリア はイタリア語で 食道 という意味で
ダル ポンピェーレ消防士 です。
1階部分は、元々は消防車のガレージだったそうですが、そこが見事に
イタリアレストランに変身しています。本格的なイタリアレストランの
お店という事で、通には知られた店だそうです。
一度 如何でしょうか。

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大阪モダン建築巡り 第2回、北浜レトロ

北浜レトロビル は、元々は 株関係の企業の社屋として
1912年(明治45年)に、煉瓦造で建てられた建物です。
現在は、英国紅茶とスイーツの店として営業しています。
2階中央の半円アーチ窓と、左右に縦長窓を配した
窓(パラディオ窓)が印象的な建築です。

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大阪モダン建築巡り 第3回、五感北浜本店(新井ビル)

元々 銀行だった このビルは、皇居二重木造や、奈良ホテルを設計した
河合浩蔵 の手になる建築です。左右対称シンメトリーで古典様式で
飾られています。そして現在は、自然と愛がテーマの 五感 という
ケーキショップの建物になっています。

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大阪モダン建築巡り 第4回、大丸心斎橋店

大丸心斎橋店は、メンソレータムで知られる ヴォーリズ の設計で
昭和8年に竣工しました。当時 御堂筋が拡張され、梅田ー心斎橋 間に
地下鉄が開通するのに合わせて、建替えられたものです。

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        御堂筋側から見た大丸
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        大丸心斎橋側 正面玄関

大阪モダン建築巡り 第5回、堺筋に唯一残る 旧松坂屋

堺筋は、1930年頃までは、大阪のメインストリートとして、賑わって
いました。その事をあらわしているのが、堺筋に四店もあった百貨店です。
高麗橋三越(1917年・大正6年)開業をかわきりに、備後街に白木屋
長堀橋に高島屋、そして日本橋に1934年(昭和9年)に松坂屋が
オープンし、百貨店通りと呼ばれた頃です。
しかし、1926年(大正15年)から御堂筋の拡張工事が始まり
1937年(昭和12年)に完成し、さらに 地下鉄 梅田-心斎橋間 が
1933年(昭和8年)に開通すると、メインストリートは堺筋から
御堂筋に移っていきました。
そんな堺筋がメインストリートだった頃の、面影を残す建物が
今も堺筋に健在です。そこで今も残る、堺筋メインストリートの
歴史的証人とも言える、モダン建築を紹介していきたいと思います。
第1回は、堺筋にあった百貨店で唯一、今も建物が残っている
旧松阪屋大阪店です。
現在は、高島屋東別館として家具ショールームとブライダルサロンに
なっています。
堺筋(日本橋筋)に面したアーチと、壁柱のモダンなデザインは
今も日本橋に存在感を示しています。

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堺筋から見た高島屋東別館(旧松阪屋大阪店)
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旧松阪屋大阪店の見事なアーチの玄関ファサード

大阪モダン建築巡り 第6回、堺筋伏見町の蔦で覆われたビル

堺筋を伏見町の通りへ西へ入ると直ぐに、蔦で覆われた建物が見えます。
この建物も、れっきとした大正モダンの建築で
現在の名前を 青山ビル と言います。
はじめは、個人の邸宅として建てられたようですが、その後 昭和9年
創業と云う 「丸福珈琲店」 が店を構えて、現在に至っています。
今の季節 蔦が冬枯れで、モダンな建物の外観が見えています。
今は、枯れている建物の蔦は、あの甲子園の蔦を株分けしてもらった
ものだそうです。
歩いていても、気に留めなければ、何気なく通り過ぎてしまいそうな
建物ですが、堺筋のモダン建築それぞれに、小さな物語があるようです。
そして静かに、時代の移り変わりを見ながら佇んでいます。

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蔦の冬枯れで外壁のみえた青山ビル
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青山ビルのエントランス部分
丸福珈琲店の看板が見えます。

大阪モダン建築巡り 第7回、ヴォーリズ建築 大阪教会

大阪には、大大阪時代のモダン建築が、大阪市内 各所に残っています。
今回から、その大阪のモダン建築を紹介して行きたいと思います。
第1回は、大阪にある ヴォーリズ建築としては、大丸心斎橋店と共に
貴重な大阪で初めての大阪教会です。
大正11年(1922年)に、礼拝堂が完成しています。
ロマネスク様式と呼ばれる建築で、正面のバラ窓が印象的な建物です。
行き方は、地下鉄肥後橋駅8号出口を出たところの
東西の道を、約7~8分西に行ったところにあります。

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             大阪教会

大阪モダン建築巡り 第8回、高麗橋 野村ビルディング

堺筋界隈には、今に続く企業の建物が、大正から昭和初期には
すでに社屋を構えていました。
その代表的な建物が、現野村グループにつながっている
高麗橋 野村ビルディング です。
このビルは、大阪ガスビルを設計した事で知られる
安井武雄の設計です。
黄土色の壁を斜めに傾け、その縁を瓦のラインで仕上た
独特のデザインがモダンで印象的です。
この建物が、出来た当時の堺筋では、さぞハイカラで
目立った建物であったろうと想像します。

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堺筋から見た高麗橋 野村ビル
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特徴のある 野村ビル玄関ファサード

大阪モダン建築巡り 第9回、堺筋日本橋の白い教会

堺筋が、千日前通りを越えて、日本橋筋と名前が変るところの
ちょうど黒門市場と日本橋筋(堺筋)を挟んで、反対側に建っている教会
大阪日本橋キリスト教会 を紹介します。
1903年(明治36年)創設という、歴史のある教会です。
2000年には、文化庁より登録有形文化財にも登録された教会建築です。
明治も後半になると、キリスト教会がボツボツ各地に建てられていました。
そしてこの頃、堺筋や千日前の商家の中にも、キリスト教を信心する方も
多くなってきていたようです。

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堺筋から見た大阪日本橋キリスト教会
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教会の玄関ファサード

大阪モダン建築巡り 第10回、大阪で一番モダンな時計台

堺筋を東西に横切る平野通りは、昭和初期には、カフェや飲食店が
軒を並べ、心ぶら と共に 平ぷら と呼ばれた程、賑わっていたそうです。
その頃、つまり 1930年 昭和5年 に、堺筋と平野通りの角の一等地に
生駒時計店 が出来ました。
当時 生駒時計店では、本店新築にあたり、大阪で一番モダンで
斬新な設計を依頼したそうです。そして出来たのが、当時 流行の
スクラッチタイルを全面に張った、アールデコスタイルの独特の
デザインのビルでした。丁度 東京銀座の 和光時計店 のように
堺筋の新しいランドマークとして、親しまれました。
それが、堺筋で未だに目立っている 生駒ビルディング です。

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          生駒時計店 全景
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         生駒時計店 ファサード

大阪モダン建築巡り 第11回、堺筋倶楽部

堺筋と南船場3丁目北通り東北角に、シンメトリ(左右対称)の
重厚な4階建の建物が、ひときわ異彩を放っています。
この建物は、1931年(昭和6年) ちょうど満州事変が起こった年に
川崎貯蓄銀行大阪支店として建てられました。その銀行建築を 1階は
イタリアン、2階は フレンチのレストランとして、2001年オープンしました。
その名も 堺筋倶楽部・アンブロシア です。
モダン建築に似合うのか、レストラン・カフェ・ケーキショップ・画廊 として
リニューアルされている建物が多いです。
チョット 行って見たくなるモダン建築です。

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          堺筋から見た外観
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   堺筋倶楽部アンブロシアの玄関廻り

大阪モダン建築巡り 第12回、三井住友銀行 大阪中央支店

堺筋には、多くの立派な銀行建築が、立ち並んでいました。
しかし、第一勧業銀行高麗橋支店や、三井銀行船場支店のように
取り壊されたものや、既に紹介した五感本店の入る現新井ビルのように
リニューアルされて転用されているもの等がありますが
今も堺筋高麗橋に建つ、三井住友銀行大阪中央支店は、銀行の名前は
替わってますが、現在も銀行として残っている数少ない例です。
銀行の名前は
三井銀行大阪支店→さくら銀行→三井住友銀行大阪中央支店
と変遷しています。
そして、この建物のエンタシス列柱の威風堂々とした姿は
今でも この界隈で存在感を示しています。

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三井住友銀行 大阪中央支店の全景
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正面の列柱ファサード

大阪モダン建築巡り 第13回、船場ビルディング

堺筋から淡路町の通りを西に入って、二筋越えた北側に
船場ビルディング があります。外観は、あっさりしたアールデコの
デザインで、そんなに古くは見えませんが
しかし このビルの完成は、1925年大正14年です。
ビルの特徴は、パティオ(中庭)の廻りに、外廊下があり
その廊下に面して各室(テナント)が配置されている点です。
大阪の、ど真ん中にあるビルなのに、パティオ(中庭)があります。

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        船場ビルディング 外観
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        中庭を望むエントランス

大阪モダン建築巡り 第14回、綿業会館

大阪が東洋のマンチェスターと呼ばれた、明治後半から昭和前半の時代
東洋紡 岡常夫 の遺言からの寄付をもとに建てられたというのが
綿業会館です。
三休橋筋と備後町通りの角に建つこの建物は、一見して、本場 ロンドン
(マンチェスターは行った事がないので)の街角にいるような
錯覚を与える程の風格があります。
この建物の設計は、ダイビルも手がけている
当時の関西建築界の巨匠 渡辺節氏 です。
そして その助手が、私達の時代の巨匠 村野藤吾 という
言わば建築における 双葉山と大鵬 のコンビで造ったような建築です。

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三休橋と備後町通りの角から見た綿業会館
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綿業会館 玄関廻り

大阪モダン建築巡り 第15回、ダイビル

ダイビルは 既に、解体して建替えられる事が決まっていますので
残念ながら、もう直ぐ見られなくなります。
設計は、巨匠 村野藤吾 の師匠 渡辺節 という建築家です。
この渡辺節は、合理的設計でありながら、装飾を華麗に取り入れる
事の出来た建築家で、北側正面玄関のロマネスク調の半円アーチに
鷹と少女の像を あしらったデザインや、玄関左右の柱の
様々な動植物や謎の人面は、まるで インディージョーンズに出て来る
古代の建物を思わせます。
もう見られなくなる、こんな素晴らしいモダン建築を是非 ご覧下さい。

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         西北側から見た外観
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         玄関正面の半円アーチ
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          玄関脇の列柱飾り

大阪モダン建築巡り 第16回、大阪倶楽部

大阪倶楽部は、会員制の紳士のための社交場として
1912年(大正元年)開館しましたが、1922年に火災で焼失しました。
その後 安井武雄の設計で、再建され1924年(大正13年)完成したのが
現在の建物です。大阪ガス・高麗橋野村ビルと並ぶ、安井ワールドの
象徴的な建築で、トーテムポールに鎮座する怪物など
独得の装飾デザインが印象的です。大大阪時代の貴重な建築遺産で
国の登録有形文化財にも指定されています。

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大阪モダン建築巡り 第17回、里山カフェ(山内ビル)

四ツ橋筋の肥後橋交差点直ぐ、西の土佐堀川に面して建っている
茶系のタイル貼りの建物があります。この建物の名前は 山内ビル
言いますが、それよりも 「里山カフェ」 といった方が、知っている方が
多いのではないでしょうか。無農薬・有機農法 で作った 野菜・果物 を
使ったメニューの お料理が人気のお店です。
しかし このビルは、元々 法律事務所として、1933年(昭和8年)に
建てられました。連続するアーチ窓や、ステンドグラスの入った
花びらのような窓、さらに屋上部分の軒飾り等、この当時の装飾的な
デザインが、バランス良く施された、モダン建築です。
一度 ここで、ヘルシーメニューを食べながら
大大阪時代にタイムスリップしてみたいものです。

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       山内ビル外観(里山カフェ)
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   肥後橋の交差点から見た山内ビル

大阪モダン建築巡り 第18回、堺筋の小さなホテル

伏見通りの蔦のビル(青山ビル)の、直ぐ隣に立っているモダンな建物
それが今回 紹介する 伏見ビル です。
もとは、ホテルだったというこの建物は、そう言われてみれば
窓の取り方に、そんな感じが残っています。
現在は、このビルの現オーナーが経営する 「ギャラリーもず」 という画廊他
テナントが入っています。このビルが出来た1923年(大正12年)
アールデコのモダンな このホテルに、どんな方が泊まった事でしょう。

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           伏見ビル全景
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        西側から見た1階部分

大阪モダン建築巡り 第19回、天神橋 フジハラビル

大阪北の天神橋筋が天神橋にかかる手前(北詰)を
左に入った直ぐのところに フジハラビル があります。
このビルは、1923年(大正12年)に建てられた、モダン建築です。
現オーナーの藤原氏が、建物内部をアートに開放している事で
知られています。
私が写真を撮りに行った時も、ゲバラ展を開催していました。
そしてウインドーには、音楽に連動した映像アートが映し出されていました。
4階と地下にギャラリーが設けられ、演劇・音楽・落語の会 や
ファッションショーも催されるそうです。
建物の雰囲気を活かして、現代に生きているモダン建築です。

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          フジハラビル 外観
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          エントランス部分

大阪モダン建築巡り 第20回、大阪中央郵便局

大阪駅の西側に、周りに比べて古い感じの四角いビルがあります。
これが、大阪でも存続問題になっている 大阪中央郵便局 です。
柱と梁を、そのまま見せたデザインのモダン建築です。
1939年(昭和14年)竣工の この建物は、逓信省の吉田鉄郎氏の
設計になります。(と云う事で東京の中央郵便局も吉田鉄郎氏です)
そして この建物は、柱と梁の間にある窓の段数は
階によって違いますが、格子で区切られた大きさは、みな同じ大きさです。
これが この建物が、緻密な比例の設計で、デザインされている事を
表しています。
吉田鉄郎氏は、日本の伝統建築が、柱と梁の美しい建築であるので
それを機能主義とも呼ばれるモダニズム建築と融合させて
設計し現わしたのが、この大阪中央郵便局と言われています。
予断ですが、この建物も桂離宮と同じで、海外の専門家の評価が高いと
聞きます。何れにしても、大切な時代の文化を表現する
貴重な遺産ともいえる この建物を、残して欲しいものです。

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大阪中央郵便局全景
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柱・梁と窓のバランスが取れている外観

大阪モダン建築巡り 第21回、三休橋筋のモダン建築

堺筋から西に三つ目の、梅壇木橋につながる南北の筋が三休橋筋です。
この筋にも、モダンな建物が今に残っています。
今橋通りとの角に建つ、現八木通商は
もとは銀行として建てられたものを、その後 全面的な改修を行ない
アール・デコスタイルの建物に変身して、現在に至っています。
さらに、一筋 南に下がったところの角には、シェ・ワダという
フレンチのレストランになっている建物が目に入ります。
この建物は、もとは保険会社の社屋だった建物で
設計は、日銀大阪支店や中央公会堂の設計に関った、辰野金吾です。
そして隣には、ゴシックスタイルの日本基督教団浪速教会が建っています。
この建物は、ヴォーリズの設計指導のもとに建てられたようです。

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八木通商は 元銀行です。
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シェ・ワダは 元保険会社社屋です。
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ヴォーリズの設計指導による
日本基督教団浪速教会です。

大阪モダン建築巡り 第22回、大阪府庁本館

何かと話題になっていました大阪府庁本館も、立派なモダン建築です。
江之子島にあった大阪府庁から、新府庁(現府庁)に移転したのが
1926年(大正15年)です。江之子島府庁と同じく白い外壁は
タイル貼りで仕上げられ、正面玄関車寄せ部分には
イスラム風の唐草模様がデザインされた重厚な建物です。

太平洋戦争の時には、屋上に機銃掃射が設置されて
アメリカの空襲に備えたそうです。そして、戦争を乗り越え
今日に至り、現役の都道府県庁舎としては、もっとも古い建物です。
最近では、木村拓哉主演の映画 「HERO」 のロケでも使われたようです。

結局 府庁のWTC移転が流れたようですので
この先 この府庁本館は、どうなるのでしょうか。
立派な歴史的建造物ですので、中途半端に建替えないで
このまま残して欲しいと思うのは、私だけではないような気もしますが
如何でしょうか。

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            大阪府庁全景
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府庁車寄せ部分のイスラム風 唐草模様

大阪モダン建築巡り 第23回、高級食料品の明治屋ビル

堺筋が中央通りと交差する、一つ手前の西側の角に
明治屋ビルがあります。
1924年(大正13年)竣工ですから、7階建のこのビルは
その当時としては、規模の大きな建物だったと思います。
高級食料品の明治屋として、今でも知られてますが
現在は1階にローソンが入り、その上の帯ラインのMEIDIYAの文字の跡に
出来た当時の名残を感じます。
このビルも、堺筋がメインストリートだった頃の面影を残す
貴重な建物といえると思います。

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堺筋から見た明治屋ビル
塔屋は見えませんが、モダンな装飾が施されているようです。

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        モダンな面影の玄関部分

大阪モダン建築巡り 第24回、堺筋日本橋の白い教会

堺筋が千日前通りを越えて、日本橋筋と名前が変るところの
ちょうど黒門市場と日本橋筋(堺筋)を挟んで、反対側に建っている教会
大阪日本橋キリスト教会を紹介します。

1903年(明治36年)創設という、歴史のある教会です。
2000年には、文化庁より登録有形文化財にも登録された教会建築です。
明治も後半になると、キリスト教会がボツボツ各地に建てられていました。

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   大阪日本橋キリスト教会正面です。
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          教会正面玄関部分

大阪モダン建築巡り 第25回、堺筋倶楽部

堺筋と南船場3丁目北通り東北角に、シンメトリ(左右対称)の重厚な
4階建の建物が、ひときわ異彩を放っています。
この建物は、1931年(昭和6年)ちょうど 満州事変が起こった年に
川崎貯蓄銀行大阪支店として建てられました。
その銀行建築を 1階は イタリアン、2階は フレンチとして
2001年にオープンしました。その名も 堺筋倶楽部・アンブロシア です。
モダン建築に似合うのか、レストラン・カフェ・ケーキショップ・画廊 として
リニューアルされている建物が多いです。
チョット、行ってみたくなるモダン建築です。

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大阪モダン建築巡り 第26回、中央電気倶楽部

大阪北区堂島に中央電気倶楽部という、モダン建築があります。
大阪には、大大阪時代の会員制の社交場になっている倶楽部建築として
残っているのは、以前 紹介しました、大阪倶楽部と綿業会館と
この中央電気倶楽部が有名です。

1930年(昭和5年)竣工のこの建物は
日本電気協会関西支部として発足しています。
今は 最上階のホールでは、ダンスパーティーやコンサート等も催されて
歴史の重みのある内装が、雰囲気を盛り上げています。

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         中央電気倶楽部全景
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       不思議な瓶のような彫刻

大阪モダン建築巡り 第27回、十三のヴォーリズ建築

大阪の十三に、ヴォーリズの建築があるのを ご存じでしょうか。
場所は、神崎橋につながる十三筋に面した、十三元今里あたりです。
博愛社という、福祉法人が運営する博愛社礼拝堂です。
1936年(昭和11年)に完成しています。
教会の名前は、日本聖公会 聖購主教会(あがないぬし)です。

ただ この教会は、ヴォーリズの指導で、弟子が設計したとの
説がありますが、まぎれもなく ヴォーリズ建築の作風です。
阪急十三から歩いて 10分程ですが、ヴォーリズ建築が お好きな方は
一度訪ねられては、如何でしょう。

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十三筋から見た 聖購主教会礼拝堂です。
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絹のような曲線の美しい エントランス部分です。

大阪モダン建築巡り 第28回、芝川ビル

芝川ビルは 元々は、花嫁学校として関西では有名だったようです。
竜山石(たつやまいし)を用いた、マヤインカ文明を思わせる
個性的な設計は、本間乙彦の手によるもので、F・Lライトの影響を
受けているとも言われ、1927年(昭和2年)に完成しています。

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大阪モダン建築巡り 第29回、大阪ガスビル

大阪ガスビルは、1933年(昭和8年)
御堂筋拡幅工事や、地下鉄開通と共に完成しました。
当時の大阪の最もモダンな建築でした。設計は 安井武雄 で
水平線の庇と半円柱で構成するモダンな外観は
今も古さを感じさせません。

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          大阪ガスビル外観

大阪モダン建築巡り 第32回、今は建替中 新朝日ビル

新朝日ビルは、1958年(昭和33年)に竣工した
地下2階 地上13階建の、当時として日本一の商業オフィスビルでした。
リーガグランドホテルやフェスティバルホールが入居していて
特にフェスティバルホールは、大阪の音楽のメッカとして
親しまれていました。今年から解体に入り、2013年に
新しいフェスティバルホールを含んだ、高層ビルとなるようです。
モダン建築の範ちゅうには入らないかも知れませんが
大阪の名物建築ということで、ここで紹介します。

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            旧新朝日ビル
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         旧フェスティバルホール

大阪モダン建築巡り 第34回、松竹座

大阪松竹座は、日本初の洋式劇場として
1923年(大正12年)に開館しました。

開館当初から、洋画の封切館とOSK(大阪松竹歌劇)の本拠地として
親しまれてきました。平成になって、ネオルネサンスの大きな
半円アーチ部分を残す形で改築され、歌舞伎などの演劇を
上演する劇場に生まれ変わりました。

設計は、大林組の木村得三郎という方で、京都の先斗町歌舞練場なども
手掛けています。今でも、道頓堀のシンボルとして、存在感のある
建物です。定期的に上演されている歌舞伎ともども
良く見て頂きたい大阪のモダン建築です。

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            松竹座 夜景
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       道頓堀通りから見た松竹座

大阪モダン建築巡り 第35回、長瀬産業

四ツ橋筋に面して建つ 長瀬産業 は、1928年(昭和3年)に
建てられた、モダン建築です。
その後、事業の拡大と共に増築された新しい建築も、最初に建てられた
旧館に配慮して設計されていますので、色調やデザインに統一感があり
心地良い街並みを形成しています。

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         長瀬産業 旧館全景
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        旧館玄関ファサード部分

大阪モダン建築巡り 第36回、旧鴻池組本店と居宅

大阪市此花区伝法に、準大手ゼネコン 鴻池組の明治42年(1909年)
建築の本店と居宅が、現在も史跡として残っています。
鴻池組の本店として、使われていた建物は洋館の方で
居宅の方は、卯建もある町家建築で、その和と洋が一体として
造られた、ちょっと珍しい建物です。

洋館の方は、アールヌヴォー様式で、赤と白を使った
現在 残っている外観は、大正3年(1914年)に改修された
時のものだそうです。

大阪に残るモダン建築のなかでも、異彩を放つ建築です。
行き方は、阪神なんば線 伝法駅下車、改札を出た南側の道を
東へ 徒歩5~6分のところにあります。

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旧鴻池組本店に使われていた洋館
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洋館につながる町家建築の居宅

大阪モダン建築巡り 第37回、リストランテ・サリーレ

西区土佐堀にあった、モダン建築をリニューアルして
レストランにしているのが、今回 紹介する リストランテ・サリーレ です。
元々は 大正末期に、大阪産業信用金庫として、建てられたビルです。

このレストランのオーナーが、ビルの所有者とかけ合って
OPENしたそうです。このように、古いモダン建築を活かして
頂けると嬉しいものです。

場所は、なにわ筋常安橋南詰、中之島から橋を渡って
直ぐ東(中之島から来ると左)の土佐堀に面するところです。

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         リストランテ正面外観
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         玄関エントランス廻り

大阪モダン建築巡り 第38回、旧第四師団司令部庁舎

旧第四師団司令部庁舎とは、いかにも 厳しい名前で
そんな建物、今時 何処にあるねん と、仰られそうですが
最近まで、市立博物館として使われていた、大阪城内にある
中世の城郭を思わせる建物と言えば、お気づきの方も
おられるかも知れません。

実は、今回 紹介する旧第四師団司令部庁舎は、御堂筋を
造った事で知られる、関市長の時代 1931年(昭和6年)に
大阪城本丸広場に建てられました。これは 関市長が、軍施設を
大阪の一ヶ所にまとめておきたいとの、思惑があったようです。
デザインは、中世の城郭のような小塔や、ギザギザ模様の
パラベット飾りなど、凝ったつくりで、これが当時の大阪市民の
寄付で建てられたとは、驚きです。

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    旧第四師団司令部庁舎 正面外観
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            玄関廻り外観


大阪モダン建築巡り 第39回、高島屋大阪店

1932年(昭和7年)に南海電鉄が、南海難波駅のターミナルビルとして
全館完成した建物の大部分に入居したのが、高島屋大阪店です。
当時は 梅田に、同じく阪急電鉄の梅田ターミナルに、阪急百貨店が
OPENしていましたので、この頃から、大阪のキタとミナミが
競うようになった始まりのようです。

この建築の設計は 久野節 で、16本のコリント式壁柱と
アーチをテラコッタでつくった、ヨーロッパの雰囲気をかもしだす
重厚なモダン建築です。
今年、リニューアル工事と増築工事が完成し、同じく新装なった
梅田の阪急百貨店と、77年の時を越えて
競っているようにも思えます。

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            高島屋改装前
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            高島屋改装後

大阪モダン建築巡り 第40回、大阪市立中央公会堂

水都大阪2009や、光のルネサンスで賑った中之島界隈ですが
なんと言っても、中之島のシンボルは、中央公会堂です。

北浜の相場師 岩本栄之助が、アメリカ視察から帰って来て
大阪にも市民の集う、集客施設が必要と、明治のお金で
100万円を寄付した事で、この建物が出来ました。

ネオ・ルネサンス様式と呼ばれる、優美なこの建物の設計は
当時29歳の若き建築家 岡田信一郎の案が、コンペで選ばれ
それを、東京駅や日銀の設計で知られる辰野金吾が
修正して完成しました。

何れにしても、中之島のランドマークにもなっている建物です。
是非 一度お訪ね下さい。
半地下部分にあるレストランも人気です。地下鉄・京阪から
淀屋橋を渡って、市役所横のみよつくしプロムナードと呼ばれる
並木路を抜けると、直ぐに見えてきます。

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大阪市立中央公会堂 南側からの外観です。
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中央公会堂の夜景


大阪モダン建築巡り 第41回、大阪市立中央公会堂 内部

昨年の12月22日、大阪市立中央公会堂の内部が
無料公開されました。
その時に、内部を写真に撮りましたので
ここで ご紹介致します。

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            1階大ホール
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            3階の天井画

大阪モダン建築巡り 第42回、大阪市立中央公会堂 内部-2

昨年の12月22日、大阪市立中央公会堂の内部公開時に
撮影した写真の続きです。

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公会堂正面にある 3階ホール窓です。
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3階ホールの壁画です。

大阪モダン建築巡り 第43回、大阪市立中央公会堂 内部-3

3階には、正面側の特別室や、中集会室 小集会室があります。
何れも、仲々クラシカルな雰囲気のインテリアです。

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         3階の小集会室です。
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         3階の中集会室です。

大阪モダン建築巡り 第44回、大阪市立中央公会堂 内部-4 階段室

公会堂の回り階段には、洒落た窓がデザインされており
その窓から、中之島や梅田界隈の景色が見えます。

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階段室から見える景色
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階段室の洒落た丸窓

大阪モダン建築巡り 第45回、大阪市立中央公会堂の由来

大阪市立中央公会堂は、1911年(明治44年) 北浜の株式仲買人
岩本栄之助の当時の100万円の寄付によって、建築設計コンペを
行ない、岡田信一郎案が1位になり、岡田案に基づいて
辰野金吾 片岡安 が実施設計を担当し、1918年(大正7年)に
完成しました。その説明板が、栴檀木橋側にあります。
また当時の市長が、岩本氏へ寄付の礼を書いたものが
公会堂 玄関エントランス壁面に飾られています。

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         中央公会堂説明板
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        寄付の礼を書いた銘板


大阪モダン建築巡り 第46回、京町ビル

大阪四ツ橋筋の西側で、靭公園の北側から土佐堀川の間の
エリア 京町堀・江戸堀・土佐堀 と呼ばれてるところには
モダン建築が結構 残っています。
その中で、四ツ橋筋に面した京町ビルは、規模も大きく良く
目立つ存在です。
正面は、シンメトリーという、左右対称のデザインですが
横から見ると道路沿いに斜めになっています。

創建当時、4階に清和倶楽部という社交場や
5階に欧風レストラン 「京ビル食堂」 があったそうで
その時代の最先端の洒落たモダンビルだったようです。

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四ツ橋側から見た京町ビルです。
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京町ビル 壁面デザイン

大阪モダン建築巡り 第47回、ダコタハウス

チョット 変わった名前ですが、言われてみれば
そんな雰囲気にも感じる建物です。
建っている場所は、肥後橋から延びる、土佐堀通りに面した
西区江戸堀です。

以前は、西船場の近代建築の顔として
良く紹介されていたようです。
1階のカフェの雰囲気が、ダコタハウスの名前を
彷彿させてくれているようです。

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           ダコタハウス全景
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         ダコタハウス1階廻り

大阪モダン建築巡り 第48回、商船三井築港ビル

今回 ご紹介する モダン建築は
その名の通り、港区築港にあります。

この建物が完成した、1933年(昭和8年)当時 築港は
大阪の大陸への玄関口として、大いに賑わっていました。
その頃は、市電も大阪中心部から、大阪港大桟橋まで
通じていました。
この みなと通りの両側には、近代建築が並んでいましたが
現在 残っているのは、今回 紹介する商船三井築港ビルと
その隣に建つ、天満屋ビルぐらいしか建っていません。

このビルは、当初は 3階建でしたが、この地域が台風等で
水没するので、1950年に道路が2m程 かさ上げされて
元の1階が地下になってしまいました。
さらに 2階部分が、60年代に新たに増築されて
現代の姿になっています。

場所は、地下鉄大阪港駅から、桟橋より直ぐの所に建っています。

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商船三井築港ビル
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モダンなデザイン構成の外壁面

大阪モダン建築巡り 第49回、安田ビル

西区京町堀通りと靭公園に挟まれたあたりに
安田ビル という、モダン建築が建っています。
1936年(昭和11年)竣工の このビルの外壁は
当時 流行のスクラッチタイル貼と、4本の円柱で
構成された、シンメトリという左右対称のデザインです。

1階には、画廊が入っているようで、この建物を見ていると
大大阪時代と呼ばれた頃の時間が、まだ流れてるような
雰囲気が感じられました。

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           安田ビル全景
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           安田ビル外壁


大阪モダン建築巡り 第50回、船町ビル

肥後橋から土佐堀通りを歩くと、通りの左側に見えてくる
4階建の小ぶりなモダン建築が、船町ビルです。
このビルが出来た1937年(昭和12年)当時
このあたりは、土佐堀船町と呼んでいましたので
この名前が付いたものと思います。

三本の細い円柱と、頭にギボシのような飾りと、玄関面の壁など
いろいろとデザインに工夫を凝らせた、モダンな建物です。
元々は、自社ビルとして建てられたようです。
当時のこのあたりの街並みが、忍ばれる気がしました。

行き方は、地下鉄四ツ橋線 肥後橋駅 2号出口 徒歩5分です。

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船町ビル全景
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船町ビル玄関部分

大阪モダン建築巡り 第51回、日本生命新本館

御堂筋を淀屋橋から少し南に下ると、直ぐ左手に見える
シンプルな白いビルが、日本生命新本館です。

第1期工事(北半分)が、1939年(昭和14年)に
竣工しました。設計は、長谷部鋭吉と竹腰健造です。
御堂筋は 関市長が、パリの街並みに習って
31mの高さに揃える、取り決めをしていましたので
その高さに則って、設計された建物です。

残念ながら現在は、この規制は、敷地内に空地を取れば
構わないという事に変わりましたので、御堂筋の建物の高さは
揃わなくなりました。
しかし この日本生命新本館は、御堂筋のスカイラインが
揃っていた時代を感じることの出来る、美しいモダン建築です。

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御堂筋から見た 日本生命新本館ビル
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日本生命新本館ビル 玄関廻り


大阪モダン建築巡り 第52回、菅澤眼科クリニック

西区土佐堀2丁目に、1928年(昭和3年)に完成した
モダン建築が建っています。菅澤眼科クリニックという
医院建築です。外観のタイルや玄関廻りのガラスは
ドイツからの輸入品で作られたそうです。
玄関廻りに、古典的様式を抽象化したデザインが用いられた
モダン建築です。
この建物を見ていると、建設当時の時代が想像出来るような
気がします。

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            菅澤眼科全景
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            玄関正面部分

大阪モダン建築巡り 第53回、細野ビル

西区の長堀通りと、新なにわ筋の交差点西北角に
細野ビル という、3階建の小ぶりなビルが建っています。
1936年(昭和11年)に建てられた このビルは
元々は、細野組という建設会社の社屋でしたが
現在は、様々なジャンルのアーティストが集まる
アートスペースとして、使われているようです。

場所は、地下鉄西長堀駅 4c出口すぐです。
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           細野ビル 外観
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          細野ビル 入口部分

大阪モダン建築巡り 第54回、天満屋ビル

以前 紹介した、港区築港の商船三井築港ビルの隣に建つ
天満屋ビル も、大阪港 築港が賑っていた1936年(昭和11年)に
竣工したモダン建築です。
茶褐色のスクラッチスタイルや角の曲面、印象的な丸窓など
当時のモダニズムを、今に伝えています。

1950年(昭和25年)に、この地域を浸水から守るために
盛土されたために、もとの1階が半地下になり
2階には、階段で上がるようになっています。
隣の商船三井築港ビルとともに、昭和初期の時間が
感じられるような気がします。

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            天満屋 全景
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  2階になってしまった天満屋ビル玄関

大阪モダン建築巡り 第55回、原田産業㈱本社ビル

中央区南船場に、原田産業㈱の本社ビルがあります。
1928年(昭和3年)に建てられたモダン建築で、ビル竣工依頼
同じ会社の社屋として、使われている建築です。
正面中央のガラスサッシは、現在 多くみられる
ガラスカーテンウォールに似た、デザイン処理がされ
古典的デザインと、うまく融合されています。

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             正面外観
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        エントランス(玄関)部分

大阪モダン建築巡り 第56回、大阪ガスビルー2

大阪ガスビルが完成した1933年(昭和8年)は
御堂筋が本町まで完成し、地下鉄が開通した年でもありました。
そして このビルは、ガスがもたらす新しい生活のショールームとして
ガス器具の展示と、料理の実演が行なわれ、2階のホールでは
コンサートや、名画試写会が催されたりした
時代の最先端の場所でした。

そして その設計は、既に 大阪倶楽部 高麗橋野村ビル の
設計で知られた、安井武雄です。
ダイビルの渡辺節、その弟子の村野藤吾と並ぶ
関西を代表する建築家です。

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ガスビル外観アール
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ガスビル側面アール

大阪モダン建築巡り 第57回、清水猛商店

淀屋橋・北浜・堺筋地区には、多くのモダン建築が残っていますが
そのなかで、御堂筋から東へ一筋、淡路町の通りに面して建っている
清水猛商店も、中々ユニークなモダン建築です。
外観は洋風で、船場の家具室内装飾を扱う町家です。

構造は木造で、1階部分と2~3階部分が区分されたデザインで
その境目には、和瓦がのっています。
この建物の特徴は、金属製の庇で、庇を吊っているワイヤーや照明器具に
設計者の想いが伝わります。また、1924年(大正13年)竣工の
この建物の、当時の時代も感じられる気がしました。

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              正面外観
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             正面庇部分

大阪モダン建築巡り 第58回、武田薬品道修町ビル

大阪道修町は、江戸時代から日本全国への薬流通の中心地として
栄えた街です。その街に、武田薬品の道修町ビルがあります。
武田薬品は、1781年(天明元年)創業の業種仲買商が
始まりの会社です。1928年(昭和3年)に
この建物を本店として建てました。
この当時 流行のスクラッチスタイルではなく、煉瓦色タイルの面の
モダンデザインで設計された、現在につながる建物です。

地下鉄堺筋線北浜駅6番から堺筋へ出て
道修町通りを西に二筋目角に建っています。

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武田薬品 道修町ビル外観

大阪モダン建築巡り 第59回、大阪農林会館

中央区南船場にある大阪農林会館は、元々 三菱商事大阪支店として
1930年(昭和5年)に竣工したモダン建築です。
1階が、営業室として設計されたため、高い天井のゆったりした
雰囲気です。外観の窓も、現代の建築に通じる大きな窓で
外観面より少し出ているのが特徴です。船場という土地柄で
このビルは、ファッションやアート関係のテナントが入居しています。

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大阪農林会館 外観

大阪モダン建築巡り 第60回、三菱UFJ銀行 天神橋支店

三菱UFJ銀行 天神橋支店は、昭和5年(1930年)に建築された
モダン建築です。この建物は、幕末の新興財閥 山口吉郎兵衛の設立した
山口銀行北支店として建築されました。
その後 昭和恐慌時に、鴻池銀行と三十四銀行と合併して
三和銀行になり、さらに合併して、現在の三菱UFJ銀行になり
今日に至っています。

天神橋北詰の天神橋筋に面して建つこの建物は
日本の時代の変遷に翻弄されながら、今も健在のモダン建築です。

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天神橋筋から見た建物
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パラペット部分にモダンにデザインされた装飾

大阪モダン建築巡り 第61回、天満教会

北区の堺筋と松屋町筋が合流して、天神橋筋と名前を変える
天神橋1丁目から北に一筋行った、東西の通りの西角
南に面して、天満教会があります。

外からは地味な建物ですが、昭和5年(1930年)に建てられた
モダン建築です。日本キリスト教団天満教会が正式な名称で
中村鎮氏の設計になるブロック構造の建物です。

内部の礼拝室が、お茶の水の聖橋に似た、アーチ形トラスで構成された
空間が素晴らしいので知られています。
外回りのドアやステンドグラスに、教会建築の雰囲気が感じられます。
チョット見過ごしてしまいそうな建物ですが、こんなところにも
昭和モダンが、息づいています。

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天満教会 玄関廻り
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天満教会の勝手口 ステンドグラスドア

大阪モダン建築巡り 第62回、イトーキ船場ビル

モダン建築の集まる堺筋から、西へ一筋 南北の通りの平野町通りから
北へ上がったところに、イトーキ船場ビルがあります。
このビルは、はっきりした建築年は不明ですが、昭和初期と思われます。
元々は、薬品会社の社屋だった建物を、1890年 平野町創業の
伊藤喜商店(現イトーキ)の社長が気にいって購入したそうです。
それで今日まで、中世洋館風のモダン建築が残されて、使われています。

近くの生駒時計店などのモダン建築とともに
散策してみては如何でしょうか。

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イトーキ船場ビル外観

大阪モダン建築巡り 第63回、三井住友銀行大阪本店

淀屋橋と肥後橋の間の、土佐堀川に面して、堂々たる風格で建っている
黄土色のモダン建築が、三井住友銀行大阪本店ビルです。
この建物は、住友ビルディングとして、1926年(大正15年)に
建てられました。設計は、現在の日本一の設計事務所と呼ばれる
日建設計の前身、住友工作部の長谷部鋭吉と竹腰健造が担当しました。

大大阪時代の面影を今に残す名建築です。
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土佐堀通りから見た三井住友銀行大阪本店
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三井住友銀行大阪本店 正面玄関

大阪モダン建築巡り 第64回、藤山寛美の学んだ小学校

難波のど真ん中 戎橋筋の東側にある、旧精華小学校は
松竹新喜劇を代表する、喜劇俳優 藤山寛美さんも通った
小学校として知られています。この小学校も、船場の愛珠幼稚園と
同じように、地元の商人らが資金をだして建築した
モダンな小学校です。

現在の校舎は、1929年(昭和4年)の建築で、窓や講堂の梁等に
アーチをつかったモダン建築です。95年に廃校になり
その後、精華劇場としてや、学習ルームとして使われてきましたが
市は、2016年までに売却する予定だそうです。
地元有志の方が、「精華小学校愛好会」を作られて
月1回の校舎を使っての勉強会や、見学会の開催の活動も
しているそうです。(どなたでも事前申込で参加見学可)

そんな 大阪難波のモダンな小学校を、ご覧になりませんか。
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           精華小学校外観
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大阪モダン建築巡り 第65回、メリヤス会館

大阪は、戦前から糸偏産業の盛んなところでした。
そんな時代に、大阪輸出メリヤス工業会の事務所として
昭和4年(1929年)第1期、昭和12年(1937年)第2期と
建てられたモダン建築です。
現在は テナントビルとして、リニューアルされて使われていますが
戦前の大阪の輝いていた時代を、感じることのできる建物です。

場所は、京阪中ノ島線中ノ島駅下車、堂島大橋を渡ったところの
交差点右に直ぐのところです。駅から徒歩5~6分です。

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          メリヤス会館外観

大阪モダン建築巡り 第66回、大阪福島教会

大阪福島に ヴォーリズ設計の素敵な教会があります。
日本基督教団大阪福島教会です。
大正15年(1926年)建築の建物です。
ヴォーリズの建築は、どちらの建物も優美なデザインで心が惹かれます。

場所は、JR福島駅から、なにわ筋を北へ上がって
東海道線のガードを越えて、ガード沿いに西(左)に2筋目を
北に行くと、左側角に建っています。隣りが愛輝幼稚園です。
ヴォーリズ建築がお好きな方は、是非 ご覧ください。素敵です。

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     大阪福島教会の正面ファサード
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          大阪福島教会全景

大阪モダン建築巡り 第67回、板谷歯科医院

大阪市中央区淡路町3丁目、御堂筋から東に2筋目角にある
板谷歯科医院は、大正末期に建てられたモダン建築です。
アーチ窓や丸窓、屋上(パラペット部分)頂部を飾るボーダー飾り
そして何と言っても、角地部分と周囲の壁部分を袖壁で区別した
デザイン処理など、今にも通じるモダン建築です。

地下鉄淀屋橋駅 及び 本町駅どちらからでも御堂筋を歩いて
淡路町通りを東に2筋目 南 西角です。

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    淡路町3丁目の通りから見た外観


大阪モダン建築巡り 第68回、大阪市信用金庫日本橋支店

日本橋の堺筋に面して、大阪市信用金庫の日本橋支店があります。
この建物は、元々は、大阪市信用金庫の本店として、片岡安の設計で
1936年に完成した建築です。片岡安は 辰野金吾と共に
大阪市中央公会堂の設計にも携わった建築家です。
コンパクトな銀行ですが、エントランス廻りやパラペット廻りに
洒落た装飾が施されたモダンな建築です。

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大阪市信用金庫 日本橋支店 全景
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玄関廻りのモダンなレリーフ飾り

大阪モダン建築巡り 第69回、大阪信愛女学院

大阪信愛女学院は、1884年に 川口居留地に開設されたのが
始まりですが、その後 昭和7年(1932年)に城東区古市の
現在の地に移りました。
この建物は、その時に建てられたモダン建築で
学校の本館として、現在も使われています。

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大阪信愛女学院本館(正門)
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大阪信愛女学院礼拝堂

大阪モダン建築巡り 第70回、又一ビル(御堂筋船場)

御堂筋と中央通りの交差点を越えて、直ぐの御堂筋に面して
チョット変わったビルが建っています。前面の一部分だけが
レトロなファサード(前面外観)を残したビルです。

元々 ここには、大谷仏教会館(1919年 大正8年竣工)が
建っていましたが、その建物の外壁だけを切り取った形で
保存して、船場の繊維会社 又一が建てた建築です。
ロンドンなどでは 多くされている、方法での古い建築の
保存方法ですが、日本では 珍しいと思います。

一度 御堂筋に行かれたら 行ってみてください。
地下鉄 御堂筋線 本町駅12号口直ぐです。

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又一ビルの保存外観

大阪モダン建築巡り 第71回、日本キリスト教団島之内教会

島之内教会は、地下鉄長堀橋駅から堺筋を南へ
南郵便局の次の通りを西に入ったところにある
南警察署の直ぐ裏手にあります。

1929年(昭和4年)完成のモダン建築です。
大阪大空襲で炎上しましたが、1950年に復興されて
現在に至っています。以前 紹介しました天満教会と同じ
中村鎮の設計です。

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大阪モダン建築巡り 第72回、天王寺区役所

現在の天王寺区役所は、モダンな外観の建物ですが
元々の建物は、1927年(昭和2年)に、毘沙門池があった
この地を埋め立てて建てられました。そして その建物のイメージを残して
1996年、現在の区役所に建替えられました。

大大阪時代の面影を残す、天王寺区役所
お近くに行かれたら、覗いてみて下さい。

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          天王寺区役所 外観
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              玄関部分

大阪モダン建築巡り 第73回、三ッ山家住宅旧主家

谷町六丁目交差点西南角の、近畿大阪銀行の隣に建っている
モダンな建築が、三ッ山家住宅旧主家です。
大正15年(1926年)に竣工した
鉄筋コンクリート造4階建の建築です。
今 見ても、モダンなデザインが映えています。

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       三ッ山家住宅旧主家 外観

大阪モダン建築巡り 第74回、天王寺消防署元町出張所

四天王寺西門南側の寺田町へ抜ける道(25号線)に面した
消防署があります。いつできたか はっきりしませんが
なかなかのモダン建築です。イギリスかアメリカあたりに
ありそうなデザインの雰囲気のある建物です。
消防署に入っている消防車は、残念ながら日本製の消防署ですが
アメリカ映画に でてきそうな消防署と感じました。

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              外観全景
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           外観柱部分飾り

大阪モダン建築巡り 第75回、大阪セルロイド会館

大阪セルロイド会館は、セルロイドの業界会員の建物として
昭和6年(1931年)に東成区今里に建設され
その後 昭和12年に増築されて、今日に至っています。
国の登録有形文化財にも指定されています。

セルロイドは、歌にも歌われたことのある セルロイド人形 や ピンポン玉
眼鏡フレーム 食器などに多く使われていましたが、可燃性が問題として
だんだん使用する範囲が少なくなっています。そんなセルロイド製品の
業界の会館として、現在も使われているモダン建築です。

行き方は、地下鉄今里駅から玉造通りを西へ
東成区役所の裏手になる黄色い建物です。

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       大阪セルロイド会館 外観


大阪モダン建築巡り 第76回、済生会中津病院 玄関ホール棟

梅田から御堂筋を北へ行くと、阪急電車のガードの下で交わるところに
レトロモダンな 済生会中津病院 が建っています。

元々 この地には、現在は 淀川区にある北野高校の前身
北野中学がありました。1935年(昭和10年)に、その北野中学が
移転して、そのあとに済生会中津病院が建てられました。
1935年 当時の建物は 建替えられましたが
正面入口の玄関ホール部分のみが、外観が残されて建てられています。

昔の済生会中津病院をしのぶ事ができる建物を
お近くに行かれたら ご覧下さい。

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   夜の済生会中津病院 玄関ホール棟

大阪モダン建築巡り 第77回、フジ工業(元山根商店)

土佐堀川沿いの土佐堀通りから一つ入った道に
ひっそりと建つ この建物も、一見すると気がつかないような
シンプルなモダン建築です。
肥後橋から西の土佐堀通り界隈には、以前紹介した 里山カフェ 船町ビル
ダコタハウス 江戸堀コダマビル、さらに リストランテ・サリーレ
などが残る、近代モダン建築が残るストリートです。

近代モダン建築の小品が残る、このあたりの散策は如何でしょうか。
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大阪モダン建築巡り 第78回、岸本瓦町邸

中央区瓦町にある 岸本瓦町邸 は、昭和6年(1931年)に竣工した
当時の大阪財界人の邸宅です。
外壁には、竜山石が使われたシックな建物です。
設計は、笹川慎一で、住友工作部に所属していた方で
そう見ると、住友のビルに似てる様な感じがします。

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岸本瓦町邸全景
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登録有形文化財のプレートが
掲げられた入口部分

大阪モダン建築巡り 第79回、新木川温泉

淀川区木川東にある 新木川温泉 は、昭和3年(1928年)に
建築された、銭湯の建物です。玄関前のアーチが印象的な
昭和初期のモダン建築です。
ただ、外壁をブルーに塗り替えたようですが
チョット違和感を感じました。

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          新木川温泉 外観

 

京都市の景観をウォッチー1

9月1日 から 京都市 で施行される、景観条例 に対する意見が
様々あるようです。条例の詳細は、京都市のホームページや広報を見て
頂くとして、現在の京都市の景観をウォッチしてみました。
そこから 景観を守る何かが見えてくるように思います。

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日本人観光客が憧れる、イタリア フィレンツェ の
ポンテヴェッキオ橋 あたりの アルノ川沿いの街並

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京都市 四条大橋 あたりの 鴨川沿いの街並

あなたは、どちらの景観が良いと思いますか。


京都市の景観をウォッチー2 フィレンツェと京都

フィレンツェ と 京都 を対比して、京都の景観をみていますが
今回は フィレンツェ のシンボル ドゥオモ と、京都のシンボル 清水寺 を
望む景観を比べてみました。

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ミケランジェロ広場 から ドゥオモ を望む フィレンツェ の街です。
フィレンツェは、アルノ川沿いに開けた街ですが
京都の鴨川沿いの街並と、雰囲気が似てると私は思っています。

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京都タワーから東山を望む、京都の景観です。
写真の右上の山の中腹に、京都のドゥオモと言うべき清水寺が見えます。しかし上の写真で見えるように京都市では、随分新しい高層ビルが多い
のがわかります。そこで、市内の歴史的な市街地を守って行こうと
制定したのが、京都市の景観条例です。
上の写真で言えば、写真中央の鴨川のライン(堤と並木が横切っている線)から、東山の山並みまでの間を美観地区に指定して
景観を守ろうとしています。

京都市の景観をウォッチー3 フィレンツェと京都

街の景観で 路地 というのは何となく雰囲気があります。
今回は、フィレンツェの路地 と 京都の路地 を比べてみました。

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     フィレンツェ の市街地の路地
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                  京都 先斗町 の路地


京都市の景観をウォッチー4 フィレンツェと京都

今回は、フィレンツェの街角 と 京都の街角 を比べてみました。
街角は、そこに住む人にとっても旅人にとっても、印象に残る場所です。

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       フィレンツェの街角
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        京都 四条大橋の街角にある南座あたりです。


京都市の景観をウォッチー5

京都タワーから見た京都の市街地を、26年前と現在を比べてみました。
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昭和56年、京都タワーから北の方向の京都市街地です。
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平成19年5月、京都タワーに登り
26年前と同じ方向の京都市街地をみました。

あまり変わっていないように思っていた京都も、結構ビルが増えているのがわかります。さてこの京都の景観をどのようにすれば守っていけるのか
仲々むずかしいなぁ・・・が実感です。

京都市の景観をウォッチー6 京都駅 今昔

京都の景観をウォッチしていて欠かせない建物が 京都駅 だと思います。
現在の京都駅は4代目で、平成9年に建築家 原広司氏 の設計で
完成した、とてもモダンで斬新なデザインの建物です。
しかし この斬新なデザインが、京都の景観にとってどうなのかは
意見のわかれるところです。
そこで、現在の京都駅の前の 3代目京都駅(戦後に再建された) と
さらに その前の 2代目京都駅(大正4年完成) の写真も
合わせて掲載してみました。
さて、京都の景観に相応しい京都駅は、どれだと思われますか。

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                     2代目京都駅
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                     3代目京都駅
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                    4代目京都駅

 

オールディーズ 戦後昭和の時代-1 美空ひばりの歌が聞こえる①

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私は 昭和23年生まれですが、その頃 彗星のように登場したのが 美空ひばりさんでした。
上の写真の 悲しき口笛 や 下の写真の りんご追分 は、この時代を生きた沢山の人の
心に残っていると思います。私も 母親と隣の奥さん(下の写真の女性)に抱かれて、当時 道頓堀に
あった大劇に、ひばりさんを見に行ったそうです。そのせいか、ひばりさんは 何となく身近に感じる存在でした。
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この写真の場所は、現在の此花公園あたりだと思います。
ここに 防空壕 があり、遊び場にしていたと記憶があります。


オールディーズ 戦後昭和の時代-2 美空ひばりの歌が聞こえる②

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美空ひばりさんが、一番輝いていた時代のポスターです。
伊豆の踊り子は、いろいろな女優さんが演じていますが
私にとっては、ひばりさんの 伊豆の踊り子が 最も印象に残っています。


オールディーズ 戦後昭和の時代-3 長島茂雄の天覧試合

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上段は、昭和34年6月25日 の 巨人阪神戦(後楽園ですので)に 両陛下 ご臨席の中
9回裏、長島選手が村山投手 から サヨナラホームラン を打った試合を報じるスポーツ新聞です。
下段は、その長島さんが 昭和49年10月14日、中日とのダブルヘッダー最終戦で引退した試合を
報じる日刊紙です。野球を通して 敵も味方もなく、戦後昭和に明るいインパクトを残した
ヒーロー の最後の試合でした。野球が最も輝いていた気がします。

オールディーズ 戦後昭和の時代-4 街頭テレビのヒーロー 力道山

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テレビ放送が始まった 1953年(昭和28年)当時、ほとんどの家にはテレビはありませんでした。
しかし、そんな時代のテレビの超人気番組は プロレスで、そのヒーローが 力道山 でした。
空手チョップで外人レスラーを バッタ バッタ と倒してフォールする姿は、子供には とっても
カッコ良く、大人達は 外人を倒す力道山を通じて、戦争に負けた ウップン を晴らしていたようにも
思います。しかし そんなテレビを見ていた場所は、私と父の場合は 阪神尼崎駅前の公園
(今は 中央公園と呼んでいるようですが)の街頭テレビでした。でも プロレスが終わると
訳のわからない高揚した気分になって、とっても 嬉しかったのを覚えています。

 

私の懐しいもの展覧会①阪神優勝

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さて今回は、骨董品まではいきませんが、私の懐しいものをご紹介したいと思います。
初回は、阪神タイガースが1962年(昭和37年)藤本定義監督で優勝した時の胴上げ写真です。
私は、いったい幾つだったんだろうなんて考えてしまいますが
村山・小山・吉田・鎌田・並木・藤本・ソロムコ・三宅・渡辺・石川 なんて選手を思いだしますね。
私は、生れて高校生頃まで阪神電鉄沿線でしたので、若い頃は自然にアンチ東京(巨人が嫌いじゃなかったですね)で阪神ファンでした。
ところで現在の私はいつの間にか、特定の球団のファンではなくなってしまいました。

私の懐しいもの展覧会②特急こだま

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写真は、新幹線ができるまで花形だったビジネス特急こだまの当時の写真です。
東京ー大阪間を6時間30分で走り、東京ー大阪間が何とか日帰りできるようになったと話題でした。
私は確か小学生だったと思いますが、大阪駅で入場券を買ってわざわざ見に行きました。
今でも鉄道ファンですが、懐しい写真です。下の2枚も同形の481形つばめと雷鳥です。
これからも鉄道写真をこのコーナーに掲載したいと思ってます。
鉄道ファンの方、お気軽にコメントしてください。


私の懐しいもの展覧会③さらばテンポイント

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               京都大賞典出走のテンポイント

私が競馬を知ったのは、入社4年目ぐらいの時に先輩達が「今度の天皇賞は何だろう」との話を
横で聞いていたのが始まりでした。その時の天皇賞とは、トウメイが優勝した1971年秋の天皇賞でした。当時は東京競馬場3200mのレースで、先輩達は牝馬で3200mの天皇賞に勝つのは無理やと教えてくれましたが、私は密かに何となく、トウメイが勝つような予感がありました。
まあビギナーズラックだったんでしょうが、結局トウメイが勝ちました。(但し馬券は買ってませんでしたが)それがきっかけで中央競馬ファンになり今日まで36年間、中央競馬会には随分、上納させていただきました。そんな競馬歴のなかで一番強いと思ったのがキタノカチドキで、一番印象に残っているのがテンポイントです。キタノカチドキは武豊騎手のお父さん武邦彦さん(武邦と呼びすてにしてましたが)が主戦ジョッキーでした。気性の荒い馬で皐月賞まで全戦全勝で、日本で初めてシード馬(単枠指定)になった馬です。一番印象に残っているテンポイントは、当時関西テレビのアナウンサーだった杉本さんが、「見てくれこの肢」の名調子での放送で競馬ファンなら知らない人のいないほどの人気馬でした。しかし、1978年1月の日経新春杯で66.5Kという酷量を背負って出走し、第4コーナーで悪い馬場に肢をとられて骨折し(この時私も競馬場に行ってました)、その後全国のファンの後押しもあり手術しましたが、蹄葉炎が悪化し、力尽きました。作家 寺山修司さんの「さらばテンポイント」という詩や、杉本アナウンサーの実況放送の収録されたLPレコードも発売され(私も買いました)日本中に涙をさそいました。競馬の話を書きますと尽きませんので、この辺で。

私の懐かしいもの展覧会④菖蒲池遊園地

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この写真は、もう閉園してしまった菖蒲池遊園地で博覧会が開かれた時に
アメリカ空軍のジェット戦闘機が展示された時の写真です。
この頃は、菖蒲池遊園地が輝いていましたね。

私の懐かしいもの展覧会 ⑤ 淀川製鋼所にあったSL

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この写真は、昭和35年ぐらいの淀川製鋼所 大阪工場内にありました、場内の資材運搬用につかわれていましたSLです。型式とか 全然わかりませんが、結構 めずらしい写真です。
幼い頃の私もチョコット写ってますが、もし このSLのことを お分かりになる方がいらっしゃったら
お知らせください。私の懐しい一枚の写真です。
(実は、私の父親が淀川製鋼に勤めていましたので、連れられて いった時の写真です。)


私の懐かしいもの展覧会 ⑥ 昔の大阪駅

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上の写真は、現在の大阪駅に建替る前の大阪駅です。
下の写真は、その旧大阪駅が解体された状態を写したものです。
周りの風景も今とは 随分違います。
下の写真の右側に見えている、梅田貨物駅もなくなって
新しい再開発がされるので、さらに大きく変わることでしょう。

私の懐かしいもの展覧会 ⑦ 伊丹飛行場

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昭和 30年代の大阪空港です。と、言うより伊丹の飛行場と呼ぶ方が、相応しい感じでした。
当時、私はまだ 飛行機を目の前で見たことがなく、どれだけ大きいのかと興味津津でした。
それで当時、西淀川区にあった家から 自転車で伊丹の飛行場まで見に行きました。
何時間かかったか覚えていませんが、とにかく遠かったのと 飛行場が羽田に比べて
貧弱で少しガッカリしました。

私の懐かしいもの展覧会 ⑧ 1974年 第10回 ワールドカップサッカー

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ワールドカップサッカー 日本代表が決まり、もう直ぐ ワクワク ドキドキ のワールドカップサッカー が始まります。上の新聞は、1974年(昭和49年) 西ドイツ で行なわれた、第10回 ワールドカップサッカー 西ドイツ大会 の決勝戦 を伝えた新聞です。結果は、西ドイツ が オランダ を 2-1で下しました。この当時は、ドイツは 西ドイツ と 東ドイツ に分かれていた時代でした。
残念ながら日本は アジア予選で敗退して、本大会には 参加できませんでした。
この年 日本では、長島茂雄さんが 「わが 巨人軍は 永久に不滅です」 の名言を残して引退した
年です。日本では 圧倒的に野球の時代でした。しかし それから 32年、今や サッカーは 日本でも
野球を凌駕(りょうが)する程になりました。尚 この時の西ドイツ大会で、皇帝 と 称された
ベッケンバウアーさんが、今回のドイツ大会の組織委員長をなさっています。
「さあ、ガンバレ 日本!」


私の懐かしいもの展覧会 ⑨ ブリキと木のおもちゃ 

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私は小さいときから、おもちゃ好きでした。
この写真は、私が5~6才の時に買ってもらった
アメリカの爆撃機B29 と 電気機関車 のおもちゃです。
この当時のおもちゃは、ブリキ か 木 で、まだ プラスチック製 のものはない時代でした。

私の懐かしいもの展覧会 ⑩ 昔の宮城県庁

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昔の宮城県庁を、仙台三越屋上から撮った写真です。
今は建替えられて近代的になってますが、昔の建物には風格が感じられます。

私の懐かしいもの展覧会 ⑪ 昔の中央競馬の馬券

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昔の馬券は、薄い紙に穴があいていました。
この馬券は、昭和48年の有馬記念のものです。
私は、大阪球場の横にあった馬券売場の、買う連番の窓口に並んで買いました。

私の懐かしいもの展覧会 ⑫ 床の間にあったテレビ

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私が子供の頃は、写真のように 床の間 に テレビ が大事そうに
置いてありました。懐かしく思われる方が、多いのでは ないでしょうか。

私の懐かしいもの展覧会 ⑬ イリューシンii-62M 旅客機

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シャルルドゴール空港 で見た、旧ソビエト(現ロシア)製の イリューシンii-62M 旅客機 です。
今はもう ほとんど見られなくなりましたが、当時の ソビエト の花形ジェット旅客機でした。

私の懐かしいもの展覧会 ⑭ 任天堂ゲームウォッチ

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昔、私が息子に買ってやった 任天堂ゲームウォッチ の取扱説明書です。
この頃のゲームに比べると、今のゲームの進化は 隔世の感があります。

私の懐かしいもの展覧会 ⑮ サンダーバード秘密基地

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今でも人気のあるイギリス人形劇アクション サンダーバード。何となく主題歌を口ずさみたくなるのが不思議です。上の写真は、私の息子に買ってやった オモチャのサンダーバード秘密基地です。
私以外にも懐かしく思われる方が、けっこうおられるような気がします。

私の懐かしいもの展覧会 ⑯ S47年 当時の江坂界隈

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昭和47年(1972年)竣工の、大同生命本社ビルと当時の江坂駅周辺の写真です。現在の江坂とは
全然違う風景です。この後 江坂は、吹田市の新都心として開発され現在に至っています。

私の懐かしいもの展覧会 ⑰ 菖蒲池遊園地ー2

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奈良 菖蒲池遊園地 の昔の写真パート2です。昭和53年(1978年)に撮ったものです。
当時の 航空自衛隊の主力戦闘機 F104 が展示されていました。


私の懐かしいもの展覧会 ⑱ 阪神タイガース優勝記念入場券

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1985年(昭和60年)に阪神タイガースが、21年ぶりに 吉田監督、掛布、バースらの
猛虎復活でリーグ優勝し、その勢いで西武にも勝って 日本一になった記念に発行された切符です。
その時も確か、道頓堀にダイビングした人が いっぱいいました。
道頓堀も その時に比べれば、だいぶ綺麗になりましたが、それでも今年はやめましょうね!
余談ですが、私のブログの大阪百景で、道頓堀の絵も展示しますので そちらも お楽しみに。


私の懐かしいもの展覧会 ⑲ 昭和30年頃の木造3階建旅館

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上の写真は、京都の木造3階建の旅館です。
昭和30年頃の写真ですので、今はもうありませんが
写真を見ると、耐震性が心配な建物です。
この頃と現在では、耐震基準は違いますが
昔の珍しい木造3階建の建物です。


 

駅舎建築巡り-1 ああ上野駅

上野駅は、主に東北地方から昭和30年代に集団就職で、東京に出てきた
人が降りた駅です。そのため その人達にとって、これほど思い出深い
駅はないと思います。当時 その情景を歌った 「ああ上野駅」 は
昭和39年に井沢八郎によって歌われ大ヒットしました。
現在の駅舎は、昭和7年に建築されたものです。
昭和30年代に、東北からの長距離列車が到着した地平ホームは
現在は、常磐線や高崎線の短中距離電車のホームになっていて
降り立つ人に、昔の雰囲気は なくなりました。

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駅舎建築巡り-2 JR奈良駅

昭和9年竣工のJR奈良駅舎は、奈良駅の立体交差高架工事のため
駅前広場に移動されました。興福寺をイメージしたような
相輪をいただいた屋根が印象的な、めずらしい駅舎です。

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駅舎建築巡り-3 南海浜寺公園駅

浜寺は、白砂青松海岸の景勝地として賑わったところです。
この浜寺公園駅舎は、明治40年(1907)に
イギリスのハーフティンバー様式で建てられた、貴重な建築です。
海岸リゾート地と、関西の別荘住宅地という
当時のこの地域に相応しい外観を持った駅舎です。

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駅舎建築巡り-4 JR難波駅

JR難波駅は、関西本線(大和路線)の始発駅です。
元々は、湊町駅と呼んでいた駅で、寝台列車も発着していましたが
湊町駅の再開発で、OCATという複合ビルが建設され
その地下にJR難波駅、ビル2階に関西国際空港や大阪国際空港
行きのバスターミナルが設けられました。
ミナミの新しい交通の拠点となっています。

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駅舎建築巡り-5 JR京都駅

1997年(平成9年)に竣工した現在の京都駅は
延床面積237.700㎡(72000坪)の巨大な大きさの
駅ビルを持つ駅です。
設計の建築家 原広司氏 は、南海特急ラピートのデザインでも
知られています。
しかし あまりに斬新なデザインのため、京都タワーの時と同じように
賛否両論がありましたが、今では 谷の建築 と呼ばれる
原氏の空間設計の妙や、大階段広場に座る多くの人々の行動に
見られるように、すっかり京都のシンボルとして定着した感があります。

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駅舎建築巡り-6 JR金沢駅

JR金沢駅は、北陸新幹線の延伸に設えて、東口に総ガラス張りの
「もてなしドーム」 と 木製の 「鼓門」 が2005年3月に完成し
あわせて地下広場も整備され、北陸鉄道浅野川線北鉄金沢駅も
設けられ、北陸の表玄関に相応しい構えになりました。
また雪害対策として駅全体を屋根で覆っているのも
金沢駅の特徴です。

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駅舎建築巡り-7 旧大阪駅

現在の大阪駅ビルの前の大阪駅は、昭和11年に着工しましたが
途中で、太平洋戦争が勃発し工事は変更され、昭和18年11月に
完成した時には、当初とは違う外観になっていました。
それが写真の大阪駅です。
その後、昭和54年から現在のアクティ大阪駅ビルの工事が
着工するため、解体されました。
そして 今さらに、新しい大阪駅に誕れ替ろうと大工事中です。

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駅舎建築巡り-8 現大阪駅

現在の大阪駅の駅舎 アクティ大阪 は、駅南側に建つ、27階建の
駅ビルです。さらに 2011年完成を目指して、北側に新たに駅ビル
(新北ビル)と、ホームの上を南北に通ることのできる
橋上駅舎の建設が進められています。
因に 大阪駅の1日当りの乗車人員は、42.3万人で
新宿(78.5万人) 池袋(58.9万人) 渋谷(44.5万人) に次いで
全国第4位です。

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駅舎建築巡り-9 ハリーポッターの駅

映画 「ハリーポッター」 シリーズで、「ボーグワーツ行き特急」の発着する
駅として有名になったのが、ロンドンの キングス クロス駅 です。
実際には、イングランド北部、スコットランド東海岸方面 への列車が
発着している、ロンドンの主要ターミナル駅です。

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駅舎建築巡り-10 旧大社駅

平成2年3月31日 大社線の廃止に伴ない、駅も閉鎖されましたが
駅舎とホームとSLD51 等が保存されています。
駅舎は、1924年(大正13年)に竣工した、出雲大社を模した
神社様式のめずらしい建築です。

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駅舎建築巡り-11 大阪駅大改造中

大阪駅は、今 北側も駅の中も大工事中です。
ホームも移動になってますし、道路も工事区画を迀回してます。
そして、この工事が完了して、新しい大阪駅が完成するのが
2011年(平成23年)の予定です。
そこには、北側の駅ビルに 三越伊勢丹が出店予定です。
その他 専門店や、12のスクリーンからなる、松竹・東宝・東映 3社の
シネマコンプレックスに、さらに コナミスポーツのフィットネスクラブも
出来るようです。また、南側のアクティ大阪と大丸も増築されます。
随分 大きく変わるようですが、一番注目されるのは
駅のホームを南から北へ跨ぐデッキ通路と、その上を覆うキャノピー
(屋根)です。大阪万博の時の、お祭広場を覆った屋根のような
イメージだと思います。どんな風なものかは、JR西日本が発表している
完成予想図をアップしました。
大阪が、大きく変わるようで楽しみです。

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新北ビルの工事中の様子
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JRから発表されている
大阪駅改造後の完成予想図

駅舎建築巡り-12 新大阪駅

古くは、戦前の弾丸列車計画の時に、大阪側の駅をどこに作るかという
話から、現在の東淀川駅辺りに、新しい大阪駅をつくる予定だった
ようです。それが用地買収の関係で、現在のあたりの方が
国鉄用地があるので、買収費が安くなると、現在の場所に
新大阪駅が建設されました。
開業は、東京オリンピックに間に合わせるため、1964年10月でした。
つまり この当時は 文字通り、終着駅でした。
ただ 新大阪駅という名前は、大阪市営地下鉄の新大阪駅の方が
1ヶ月早い、1964年9月に開業していました。
この頃は、この辺りが大阪の新しい副都心になると
多いに期待されましたが、地の利を活かした ビジネスビル・ビジネスホテル
ビジネスマンション の立ち並ぶ街として、変貌を遂げることとなりました。
しかし 今後は、2012年開業予定の大阪外環状線や、なにわ筋延長線
四ツ橋線の延長線の計画の実現によっては
大きく街も賑わいのある街に、変るかも知れません。
何れにしても、現在の大阪の駅のなかで、最も長距離客の多い駅で
九州新幹線が開業すると、この駅から鹿児島行きの新幹線が
発着する事になります。

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新御堂筋から見た新大阪駅
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東海道線ホール側から見た新大阪駅

駅舎建築巡り-13 高野山駅

高野山駅は、南海電鉄のケーブル線(綱索線)の山上駅で
標高867mのところにあります。
建物は、国の登録有形文化財になっています。
1930年(昭和5年)6月29日に、高野山電鉄 綱索線開通と同時に
開業しました。

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              高野山駅
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            高野山ケーブル

駅舎建築巡り-14 大阪の地下鉄駅は土木遺産です。

土木学会が選奨する歴史的建造物のうち、土木構造物を土木遺産として
認定していますが、大阪市営地下鉄の 梅田駅・淀屋橋駅・本町駅
心斎橋駅 が、その土木遺産に選ばれています。

日本の地下鉄では他にない、ドーム構造の駅空間の構造技術と
その意匠性が評価されたものです。
何気なく、毎日 利用されてると思いますが
一度じっくり、ご覧になっては如何でしょうか。
地下鉄駅としては、世界にも誇れるものだと思います。

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          地下鉄梅田駅構内
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          地下鉄心斎橋構内

駅舎建築巡り-15 東京駅復原工事

東京駅の赤レンガ駅舎は、2007年5月30日から
修復復原工事に入っています。
完成は、2011年春の予定です。
東京駅が完成した、大正時代 当時の外観に戻るようです。

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東京駅復原工事中
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東京駅復原工事 完成看板

駅舎建築巡り-16 JR福井駅

JR福井駅は、北陸新幹線乗り入れを想定した
駅舎に建替えられています。
この福井駅には、もうひとつ えちぜん鉄道 の福井駅が東側に
仮設駅として現在 営業してますが、新幹線開業後には
JR福井駅と一体化する形になるようです。

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             JR福井駅
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           えちぜん福井駅

 

国内の懐かしい鉄道ー1 南海こうや号

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上の写真は、南海難波駅で撮った 前の こうや号 です。
下の写真は、その こうや号 の先頭車両の車内の写真です。


国内の懐かしい鉄道ー2 天王寺駅に入線の湘南型電車

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大阪は、南のターミナル 天王寺駅 に入線の 湘南型電車 です。
この当時はまだ、JRは 日本国有鉄道 でしたから
関東のお古が、関西にも配置転換されていました。
今では、めずらしい写真だと思います。

国内の懐かしい鉄道ー3 名鉄 と 小田急 の展望車両

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               撮影は 木村氏

上の2題は、日本を代表する私鉄車両です。
イタリアのセッテベッロ特急 にヒントを得てつくられたそうですが
イタリアのセッテベッロを含めて第一線から引退してますが、日本の名車両だと思います。
私もこの電車に 乗りたくて乗りたくて、しかしそれが実現できたのは
自分の子供が5才になった時でした。

国内の懐かしい鉄道ー4 京阪京津線三条駅

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今はない、京阪京津線三条駅 で1985年(昭和60年)に撮った、
京津線の 急行車両(上の写真) と 普通車両(下の写真) です。
普通車両は、デザインが何となくヨーロッパ的で、私の好きな電車でした。
現在 京阪京津線は、地下鉄東西線に乗り入れて地下化してしまいましたので、
京都の街を走る 路面電車 の風情は なくなってしまいました。

国内の懐かしい鉄道ー5 南海電車 と 近鉄電車

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            撮影 木村氏

上の写真は、南海電車 11000形 ズームカー と呼ばれていました主力電車です。
下の写真は、近鉄 の 橿原神宮ー京都間 の特急です。
撮影は 昭和57年頃だったと思います。

 

いろんな鉄道といろんな駅-1 路面電車

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日本国内の路面電車を集めてみました。
上段左から 札幌市電京阪電鉄京津線福井鉄道
中断左から 長崎市電阪堺電車東京都電
下段左から 広島電鉄富山地方鉄道富山市内線江ノ電 です。
もうなくなってしまったところもありますし、新しい低床タイプの電車に変わっているところもありますが、チンチン電車は なんとなくロマンがありますね。


いろんな鉄道といろんな駅-2 電気機関車①

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電気機関車 EF62型 (中央線 小諸) と ED70 (北陸線 虎姫)
1965.8 撮影です。

いろんな鉄道といろんな駅-3 電気機関車②

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電気機関車 左上から EF14 中 ED30 下 EF60
         右上から ED60 中 EF65 下 EF60

EF60・EF14は 大阪駅、ED60は 天王寺駅、ED30・EF65は、米原駅での撮影です。

いろんな鉄道といろんな駅-4 京阪テレビカー 4題

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京阪電車の看板電車、テレビカー 4題です。
上から 1300形・1750形・3000形・8000形 です。

いろんな鉄道といろんな駅-5 初代ロマンスカー 3題

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上から 近畿日本鉄道初代ビスタカー
真中  阪神初代特急
下   小田急SE車 (小田急新宿駅撮影)

近畿ビスタカー と 阪神初代特急は パンフレットから転用しました。

いろんな鉄道といろんな駅-6 地下鉄①

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大阪の地下鉄の少し前の写真です。
上段左は、御堂筋線 新大阪駅の写真です。右は 中央線。
下段右は、現在の御堂筋線 淀屋橋駅、左は 堺筋線です。
大阪の地下鉄は 堺筋線だけが、阪急電車との乗入れのための架線式です。

いろんな鉄道といろんな駅-7 地下鉄②

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地下鉄の写真の続きです。
左上は、仙台市営地下鉄 左下は、横浜市営地下鉄
右上は、京都市営地下鉄 右下2枚は、名古屋の地下鉄です。
私は どういう訳か 地下鉄が好きで、地下鉄のある都市に行くと必ず乗るようにしています。

いろんな鉄道といろんな駅-8 ヨーロッパの地下鉄

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ヨーロッパの地下鉄を紹介します。
上段 左は イギリス ロンドン 右が グラスゴー
中段 左は パリ  右が リヨン
下段 左は ミラノ 右が ローマ の地下鉄です。
ミラノ の地下鉄は、昔の ニューヨーク の地下鉄のように 落書きだらけでした。

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いろんな鉄道といろんな駅-9 外国の特急列車

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上段 左は、ミラノ駅に入線した ユーロスター です。
中段 左は、フィレンツ駅での イタリアの特急車両 です。
下段 左は、フランスのTGV登場までの 特急車両牽引電気機関車 です。

上段 右は、リヨンヘラッシュ駅に入線の TGV です。
中段 右は、アメリカ アムトラック です。
下段 右は、パリ東駅からフランクフルト行の DB電気機関車 です。


いろんな鉄道といろんな駅-10 京阪三条地上駅と京阪テレビカー

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今はもう 地下の通過駅になってしまった京阪三条駅ですが、この当時は 京阪本線と京津線の
ターミナルとして にぎわっていました。京都三条駅(地上駅)で撮った 京阪特急3000形電車です。

いろんな鉄道といろんな駅-12 ミラノとイギリスの路面電車(トラム)

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上段は、ミラノの最新型LRT
中段は、ポルタ・ジェノヴァ駅でみたトラム
下段は、イギリスの観光路面電車 です。

いろんな鉄道といろんな駅-13 旧営団地下鉄 丸の内線500形

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昔、東京駅に行きました時に 印象に残った電車が、上の写真の 営団地下鉄丸の内線の500形 でした。赤に白帯のドハデなボディーカラーが、いかにも東京らしいと思ったものでした。
この車両は その後、地球の裏側の アルゼンチン ブエノスアイレス に譲られて、今も現役で走っているそうです。できれば、ブエノスアイレス に行って、また乗ってみたいものです。

いろんな鉄道といろんな駅-14 ロンドンの駅と列車

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ロンドン の ウォータールー インターナショナル駅。
ここから パリ まで ユーロスター が3時間で結んでいます。
上段の写真は 国内線のホームで、イギリス南東部方面 に行く 列車の発着駅になっています。


いろんな鉄道といろんな駅-15 パリの駅の列車①パリ東駅

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パリ東駅に入線の ドイツ国鉄 と スイス国鉄 の電気機関車です。
下の写真は パリ東駅発フランクフルト行 です。

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いろんな鉄道といろんな駅-16 パリの駅の列車②パリ東駅

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パリ東駅 に入線の オール2階建通勤列車 です。

いろんな鉄道といろんな駅-17 大阪市営地下鉄 旧100形車両

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11月11日と12日に、大阪市交通局の緑木検車場で、保存車両の公開イベントがありましたので行ってきました。上の写真は、大阪市営地下鉄の旧100形車両です。この車両は
昭和8年に、梅田から心斎橋間に地下鉄開通当時 使われていた車両だそうです。

いろんな鉄道といろんな駅-18 パリの駅の列車③パリ東駅

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パリ東駅に入線のドイツ国鉄車両です。
この列車も昔は、ドイツの花形特急 ラインゴールド を牽引してました。

いろんな鉄道といろんな駅-19 バンコクのスカイトレイン(BTS)

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バンコク を走る 高架鉄道 です。
バンコク の交通渋滞は大変ですので、この鉄道は 快適です。

いろんな鉄道といろんな駅-20 シアトルのモノレール

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アメリカ は シアトル市 のモノレールです。
シアトル で 万国博覧会 が開かれた時につくられました。

いろんな鉄道といろんな駅-21 外国の鉄道 ミラノ の トラム

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ミラノ の オペラ座 の前で見かけた、旧型のトラム(路面電車)です。

いろんな鉄道といろんな駅-22 広島電鉄の路面電車

久しぶりに、広島電鉄の路面電車に乗りに行ってきました。
最新型の5000形グリーンムーバーや、元京都市電 「銀閣」 等
いろいろなタイプの路面電車の走る、日本最大の路面電車を
擁している鉄道会社です。

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宮島駅のグリーンムーバー
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紙屋町電停で見かけた元京都市電
広島での名前は 「銀閣」 です。


いろんな鉄道といろんな駅-23 京阪機関車トーマス号

京阪の人気車両 機関車トーマス号 が
7月4日の運転をもって終了となりました。
子供達の大好きな車両だけに
子供達は、残念に思っていることでしょう。

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京阪の機関車トーマス号

いろんな鉄道といろんな駅-24 阪神梅田駅の電車

大阪梅田から、阪神間浜側と須磨・明石・姫路に行くなら
梅田地下街(ホワイティウメダ)に面した、阪神百貨店地下2階にある
阪神梅田駅からでる、阪神電車が便利です。

山陽姫路まで、直通でつながる直通特急は、91.8kを90分で結んで
特急料金はナシで、JRと違って始発駅ですので、座れやすいです。
車両は、山陽電車のアルミ車体の特急車両と、阪神の柿色と
新型車両が使われています。

他に、三宮・元町・高速神戸・新開地・須磨浦公園行の
特急や赤胴車(柿色カラー)の急行 西宮・甲子園・尼崎行きや
青胴車(青色カラー)の普通元町行きが、発着しています。

甲子園球場・神戸港・三宮元町中華街・六甲山・摩耶山・神戸空港
須磨方面に行くなら、この阪神電車の駅から継続している
大変便利な電車です。

この方面に行かれる時は、是非 利用してみてください。
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山陽直通特急(山陽電車車両)
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阪神新型特急


いろんな鉄道といろんな駅-25 九州新幹線

3月12日に開通した九州新幹線に、5月1日 乗ってきました。
博多から熊本までの約40分ほどの、チョット短すぎる乗車ですが
車内は、水戸岡氏デザインになる素敵な室内インテリアで
快適でした。

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博多駅で九州新幹線「さくら」
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「さくら」車内(普通車)

いろんな鉄道といろんな駅-26 松本電鉄

松本電鉄は、現在は、松本電鉄・川中島バス・諏訪バス の
3社が合併して、アルピコ交通という会社に、社名がなっていますが
正式には、アルピコ交通上高地線と呼ぶようです。
全長14.4kmの路線で、元京王帝都電鉄3000系が
主力車両で活躍しています。

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松本電鉄 新島々駅ホーム
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新島々駅の先
元は 島々まで線路は伸びていました。

いろんな鉄道といろんな駅-27 世界初の地下鉄電車

世界初の地下鉄は ロンドンですが、当時は 蒸気機関車の車両でした。
その後、ハンガリー建国千年祭に合わせて、1896年5月に完成した
ブダペストの電気運転の地下鉄が、世界最初です。
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ブダペストの地下鉄1号線

いろんな鉄道といろんな駅-28 熊本電鉄ー1

熊本電鉄で、元東急の青ガエル(熊本電鉄5000系)が
現役で走っているのは知ってましたが
ようやく 九州新幹線のお蔭で、乗りに行く事ができました。

現在は、熊本電鉄 上熊本ー北熊本 間を折返しで
1両編成で走っていました。
東急時代 青ガエルと呼ばれて、親しまれていた車両が
遠く九州の地で現役で頑張っています。

この熊本電鉄には、他にも東京都営地下鉄の三田線の車両6000系や
元南海の200系(南海では22000系)
500系の元静岡鉄道の車両などが活躍しています。

子供の頃 鉄道の絵本でみた
懐かしの青ガエルが、肥後熊本で頑張っています。

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熊本電鉄5000系(旧東急5102A)
通称 青ガエル

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1両で走るため熊本電鉄で改造された
青ガエル連結側

いろんな鉄道といろんな駅-29 熊本電鉄ー2

熊本電鉄の 上熊本ー北熊本 を折返しで走る
懐かしの元東急の 青ガエル に乗ったあと
北熊本から元都営三田線車両の6218Aに乗って
熊本電鉄終点の藤崎宮まで行きました。
途中 道路併用軌道も走る、珍しい地方私鉄のローカル線です。

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北熊本駅構内の車両基地
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藤崎宮駅到着の元都営三田線の6218A

 

ローカル私鉄の小さな旅 阪堺電気軌道ー1

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阪堺電気軌道 の 阪堺線 の始発駅、恵美須町駅 です。
ホームには、モ501形 モ504 の車両が停まっています。
元々は 大阪市電 の車両でした。

ローカル私鉄の小さな旅 阪堺電気軌道ー2

阪堺電車 阪堺線 は、恵美須町 をでるとすぐに 大阪環状線の下をくぐり、新今宮駅 と接続している 南霞町 に着きます。
それから 豊臣秀吉 が茶会をおこなったことで知られる
天下茶屋 あたりを南下します。

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                     南霞町駅です。
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              天下茶屋あたりの専用軌道です。

ローカル私鉄の小さな旅 阪堺電気軌道ー3

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写真は 住吉鳥居前 です。
海の神 住吉三神 を奉る、全国住吉神社 の総本社になる神社です。
初詣の参拝者は西日本一で、大変にぎわっています。

ローカル私鉄の小さな旅 阪堺電気軌道ー4

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上町線 から 住吉公園 へ行く電車
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住吉公園駅 に入線した 旧大阪市電車両
戦前の車両です。

阪堺電車 には
阪堺線(恵美須町ー浜寺駅前) と 上町線(天王寺駅前ー住吉公園)
があります。
上の写真は、その両方の線が交差する 住吉駅 で撮ったものです。
今は、路面電車が交差するところは、全国的にも珍しくなりました。
そして下の写真は、上町線の終着駅 住吉公園駅 で撮りました。

ローカル私鉄の小さな旅 阪堺電気軌道ー5

阪堺電車 阪堺線 の終点 浜寺駅前 に着きました。
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浜寺公園 海岸通り の道路の端を間借りしたような
浜寺駅前駅 です。

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浜寺駅前駅 と道路を隔てたところにある 浜寺公園 です。
昔は、この公園の直ぐ前が海で、海水浴場でしたが
今は水路の向こうは、石油コンビナートになってしまいました。

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浜寺公園 です。
写真の奥には、もう海はありません。

ローカル私鉄の小さな旅 阪堺電気軌道ー6

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                  南海電鉄の浜寺公園駅
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                   阪堺電車の運転席

阪堺電車 浜寺駅前 の前の道を直ぐ行くと
南海電鉄 の 浜寺公園駅 にあたります。(上の写真)
この駅は、東京駅 や 大阪市立公会堂 の設計で知られる
辰野金吾氏 が 片岡安氏 と大阪で設立した設計事務所が
明治40年(1970年)に設計した建物で、有形文化財に登録されています。
それでは 浜寺 を後に、帰りは上町線を経由して天王寺駅前に向います。

ローカル私鉄の小さな旅 阪堺電気軌道ー7

阪堺電車は、堺市内の大道筋を北へ向います。
堺市では この阪堺電車と接続して、南海堺駅から南海堺東駅を結ぶ
ライトレールの計画が進んでいます。

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            堺市内は 専用軌道 になっています。


ローカル私鉄の小さな旅 阪堺電気軌道ー8

阪堺電車は、大和川を渡ると直ぐの我孫子に車庫があります。
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                我孫子付近の専用軌道です。
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                   阪堺電車の車内です。


ローカル私鉄の小さな旅 阪堺電気軌道ー9

浜寺駅前 から乗ってきた電車を 住吉駅 で降りました。
上町線の始発駅 住吉公園駅 までは、歩いても2分程ですので
歩いて 住吉公園駅 に行きました。

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           住吉公園駅から天王寺を見た写真です。
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住吉公園駅 に停車中の天王寺駅前行の電車です。
この電車は モ161形 で、1928年と1931年に製造された
阪堺電車 最古参の車両です。
この電車に乗って、今度は 上町線 を天王寺駅前に向います。

ローカル私鉄の小さな旅 阪堺電気軌道ー10

天王寺駅前駅に到着しました。
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                 現在の天王寺駅前です。
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20年程前の天王寺駅前駅です。
現在とは、駅を囲う壁がないので少し違った雰囲気です。

阪堺電車の天王寺駅前駅は、あべの筋の真中にあります。
現在は安全のためか、道路側とホームは壁で遮断されています。

ローカル私鉄の小さな旅 阪堺電気軌道ー11

阪堺電車 上町線 の終点 天王寺駅前は、大阪南の一大ターミナルに
なっています。
JR 関西線・阪和線・関西空港線・環状線、近鉄 南大阪線・吉野線
長野線、地下鉄線 が終結しています。
直ぐ横には 天王寺公園があり、公園の中には 動物園や美術館も
あります。また 通天閣や新世界も近いです。
雰囲気が、東京の上野界隈にも似ています。
さてこれで、阪堺電気軌道の小さな旅は お仕舞です。
次回は 水間鉄道 を予定しています。また お楽しみにしてください。

隣の近鉄デパートやJR天王寺駅と陸橋でつながった
阪堺天王寺駅前駅

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